奇怪な部員達 前編

 あどけなさがまだ残る女性は、藍原未央(あいはら みお)と名乗った。僕の持っていた看板を見たと言っていたが、実際のところはオカルトにはあまり興味がなく、静かに本を読んだり自然溢れる小道を歩いたりすることが好きらしい。


 自分のようにオカルトとは縁と興味がなさそうな彼女によくわからないシンパシーのようなものを感じると同時に、果たして彼女が本当にオカルト研究部とでかでかと書かれた看板を見たのかすら怪しくなってくる。


 もしかしてこの大学のオカルト研究部が変人集団と呼ばれていることを何処かで知った、もしくは知っている一部の心ない人間が彼女――藍原さんを強引に入れるところを見て楽しんでいる可能性などを考えついてしまう。


 慌てて高速で周りを確認するが僕たちを窺うような視線は感じない。すぐ隣にいる藍原さんが、少しだけ目を見開いた不思議そうな顔をしてこちらを覗き込んでいた。


 自分の浅はかな考えを振り払うように小さく咳払いをして、何故このオカルト研究部に入ろうとしたのか。なんとなく疑問に思って聞いてみる。藍原さんは一瞬だけ口を真一文字に結んだ後、意を決したように閉ざされた口を開く。


「新しいことに挑戦してみようと、思ったんです。一人でこの町に来て、この大学に来て。わからないことだらけで、もういっそ、やったことないことばっかりやってみようと思ったんです」


 藍原さんが掛けている眼鏡の半透明の赤いフレームが春の日差しを吸い込んでいき、まるで宝石のように輝く。それは彼女の黒く艶のある髪の毛と調和していくことで可愛らしい印象の彼女から、一種の美しさのようなものを感じた。


「それで、真っ先に眼に入ったのがオカルト研究部? だったんです」


 なるほどと頷きながら藍原さんを連れてメインストリートの隅、我らがオカルト研究部のスペースへと案内する。道中に彼女に察知されない程度に周りを確認してみたものの、そのような視線は感じない。やはり杞憂だったようだと胸を撫で下ろす。


 相変わらずスペースの周りには部員以外に人の姿はいなかった。やはり隔離されているんだろうなぁ、他人事のように思いながら手を小さく上げて机に座る真嗣達に帰還したことを伝える。


 相変わらず寝息を立てている野々村さんと、彼女を起こさないように気を遣ったのか無言だが笑顔を浮かべながら両手を大きく動かして歓迎の意思を表す真嗣。それと長机に直接座り、片方の口角を大きく上げて不敵に笑う邑兎の姿があった。真嗣の心遣いなど蹴り飛ばすように、邑兎はにんまりとした笑みを向かいながら足をばたつかせる。小刻みに揺れる机が不協和音を奏でながら軋んでいた。


「ンふふふふふ、流石は畑中クン。早速新人を連れてくるとは、幸先がいいね。あたしは部長の三倉ね。気軽に読んでねん! で、早速だけど、キミは何が好きなのかな? んー、その眼鏡の奥に光るその瞳。いいねー、実にあたし好み。するとズバリ、キミは多元宇宙に興味があるとみた!」


「……たげん、うちゅう?」


 邑兎が新入部員に必ず、そして唐突に行う『このジャンルに興味があるか当てる』という謎の行為は、藍原さんの首を傾げるだけに終わった。そもそも彼女は言葉の意味をわかっていないようである。いくら興味がなくても、邑兎とは長い付き合いなので、彼女が何を言っているのか理解してしまう自分が少し嫌だ。


 ちなみに僕が入部した時は『オーパーツに興味があるのね!?』と言われ、真嗣は『超能力』で野々村さんは『黒魔術』と言われていた。当然全員が首を横に振ることになるのだが、よくも飽きないものだ。


 補足しておくと多元宇宙とは、僕たちがいる宇宙は1つではなく、多数の宇宙があるという考え方だ。宇宙が膨張を続けているというのは知られている事であるが限り、人類が観測できる距離の外にはまた別の宇宙が存在している。そして、その数多の宇宙が無限の空間の中にに無数に存在していて、並行宇宙では文化だけでなく生殖や進化の系譜、そもそもの物理法則が異なっていたりする宇宙も存在しているかもしれない、ということだ。


 簡単に言ってしまえば、無限の『もし』で埋め尽くされた宇宙のことを示した言葉なのだが、オカルトとSFの中間点のようなカテゴリに属した言葉であり、どちら片方にでも興味か知識がなければ理解など到底出来そうにも無く。


 困った顔をしながら硬直する人を見るのはこれで真嗣の次で二度目だなぁ、となんとなく思いながら苦笑いをした後に、まぁまぁと言いながら邑兎と藍原さんの間に割って入り、何事かと騒ぎ立てる邑兎を嗜めながら藍原さんを部員の皆に紹介する。


「あ、藍原未央です。こういった部活に入るのは、初めてなので、至らない点も沢山あるかもしれませんが、よろしくお願いします」


 流石に大学生とはいえ、入学したばかりの女の子が初対面の年上の生徒に囲まれるのは緊張するだろう。畏ったような、少しぎこちない動きに微笑ましい気持ちになる。そして、その温かい雰囲気を一瞬で変える、真嗣の場違いなほどに明るい声。


「藍原ちゃんかー。俺は樋野真嗣ね! いやー、やっっっっっっと! やっとよ! 初めて後輩ができたと思ったら! ちゃんとした、ちゃんとした女の子が来てくれた! それだけで! それだけで俺ぁ、嬉しいよ! ほんとにね、よろしくゥ!!!」


 そういえば三年生である真嗣と野々村さんが入部してから2年間、進入部員は誰一人として入部することは無かったのだ。藍原さんが入部した以上、二人にとって初めての後輩ということになる。僕も真嗣達が入部した時は嬉しかったものだが、目に涙を浮かべてまではしゃぐ事はないんじゃあないかなとも思う。


 というか、なんというか。


 そういったことを言うとろくな事にならない訳で。


「ちゃんとした女の子、ね」


 気怠そうに呟く声は、はしゃぐ真嗣の隣から。視線を少し横にずらすと、瞳を閉じて眠りについていたはずの野々村さんが真嗣を見据えていた。切れ長の眼から放たれるその視線は抜き身の名刀のように鋭く、見る者の背筋をぞわりと冷やすような恐ろしさを感じた。


 平穏無事に部員を紹介した後に藍原さんにこっそり言おうとしていたことであったが、野々村可南子という女性は気難しさであるならばこの部で一番厄介な存在である。良くも悪くも大型の肉食獣のような彼女は、普段は僕より落ち着いた雰囲気を身に纏いながら瞳を閉じているか何やら難しそうな本を読んでいる野々村さんは、寝息を立てている時から目を覚ますタイミングは大きく分けて2つある。


 当然、彼女の睡眠欲が充足した時。そして、彼女に対して悪態やそれに近い行動を取った時だ。基本的に狭い部室の中で繰り広げられる混沌とした喧騒にも目を覚ますことはまず無いが、どういうわけか後者のような感情には敏感に反応し、甘美な眠りを妨げた怒りもあって対象に強い敵意を向け、時には制裁を加えていくのだ。


「私の何処がちゃんとしてないのか、教えて欲しいのだけれど」


 もう一度言う。彼女が瞳を閉じているときは誰も触れない、触れてはならないというのが部のルールの一つだ。


 額から冷や汗を吹き出し、脊髄反射かと思う速度で反対側に首を動かして何も見なかったことにしようとした真嗣であったが、その視線の向こうには予め移動していた邑兎の姿があった。


「私『達』でしょ、可南子チャン。いやぁしかし、心外なことを言ってくれるェ、樋野真嗣クン」


 真嗣の流す冷や汗は一瞬で脂汗に切り替わる。目は泳ぎ、歯の根は合わない。まるで背骨の髄液が一瞬で凍り付いてしまったかのように震え上がる様は蛇に睨まれた蛙というよりも、むしろ醤油をかけられて口に放り込まれる直前の白魚と例えた方が正しいかもしれない。もしも魚に人間並の感情と痛覚があるならば、きっとこのような表情をした事だろう。


「あ、あの、そういう訳で言ったワケではなくてですね!? ちょっと落ち着きましょう、二人とも!」


 必死に弁解をしても、完全に後の祭り。ドイツに存在した週刊誌、ノイエ・イルストリーアテがエイプリルフール記事に掲載した囚われの宇宙人の合成写真のように両手を野々村さんと邑兎に掴まれた真嗣は、絶望の表情を浮かべたままにずるずると部室棟へと引き摺られていく。


「話は『講義』の後にしようか、じゃあ、可南子チャン、手伝ってくれない?」


「わかりました、行くわよ、樋野君」


 男性と女性。当然男性の方が腕力があるわけで。普通に考えれば振り払える筈ではあるのだが、どういう訳か必死の抵抗を試みる真嗣を引き摺るペースは落ちることはない。側から見たら両手に花、それも二人とも振り向くような美女揃いではあるがその光景は羨ましさのような感情を一切感じることのできない無慈悲なものであった。


「助けて!!!!! 賢治サン!!!! 助けて下さいよ!!! 俺ちゃんと後輩しますから!!!!」


 真嗣の助けを求める声は意味のよくわからない懇願になり、ゆっくりとフェードアウトしていく。ここで助けたならば僕も恐らく3時間は優に超えるであろう邑兎の『講義』と野々村さんの『説教』の巻き添えになる。悲しいけど後輩を見捨てることにして、胸の中で十字を切る。


「えーっと……」


「どうすんだよ、まだ昼にもなってないぞ……?」


 そして、部室棟へと消えていった3人の見送ることしか出来なかった僕と藍原さんはほぼ同じタイミングで溜息を吐いた後、顔を見合わせて苦笑することしかできなかった。まだ午前中でも暖かい春の太陽が照らす構内に風が強く吹き、机に積まれたフリーペーパーが何枚か飛ばされて何処かに飛んでいった。

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