第3話

 しばらく、夏海のことばかり考えていた。

 夏海の声が、ずっと頭の中で繰り返し聞こえてイライラしてする。しかしそのうち、楽しかった二人の昔の思い出も浮かんできた。

 双子に生まれて、見た目は他人じゃほとんどわからないくらいの二人。

 でも中身はきっと夏海の方が優れていて、私はどこか夏海とは違っていた。夏海は誰とでも仲良く出来る明るい女の子だったけど、私は少し人見知り。私達はどんなときも一緒にいたけど、私はいつも夏海の後ろで、夏海が笑っているのを見ていた。

 「夏樹も夏海のようにもっと明るくなりなさい」って、お母さん達にいつも言われてたっけ。そう、私は何もかも夏海よりほんの少し劣っていたんだろう。・・・見た目は同じなのに。


 だから私は、皆に愛される夏海が羨ましかった。同時に、彼女が憎かった。

 いつも頭の片隅で考えていた。どうして双子に生まれてきてしまったのだろう。夏海さえいなければ、姉妹で比べられることもなかったのに。

 私はそんな風に夏海を嫌っていたけど、彼女は違ったらしい。夏海はどこへ行くにも私を引っ張って、一緒にいてくれた。暗い私がいても、きっと楽しくなんかなかっただろうに。


「ね、夏樹もそう思うでしょ?」


 それでもそう言って、仲間の輪に入れないでいる私に、夏海は声をかけてくれた。いつもそう、いつも夏海は私の事を・・・・

 あぁ…そうだった。夏海は私を愛してくれていたんだ。

 どうしてそれに気付かなかったんだろう。

 別荘でずっと話し続けていたのも、私を楽しませるためだったのかもしれない。いつの間にか笑顔を忘れていた私を、必死で笑わせたかったのかもしれない。

 あぁ、どうして?どうしてそれに気付かなかったの。


(…夏海)


 目に涙が溢れていた。胸が凄く痛い。


(ごめんなさい、夏海。こんな酷い妹でごめんなさい)


 どんなに謝っても、もう遅い。

 けれど私はそうしていなければ、狂ってしまいそうだった。


(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。どうか赦して) 


 赦されることでないのは分かってる。赦して貰えるなんて思ってない。それでも、それでも。



「夏海…夏海…お姉ちゃん」


 無意識に声に出していた。

 隣の少女もそれに気付いたのだろう。不思議そうにこちらを見ている。


「あ、いや…えと」


 慌てて何か言おうとしたとき、頭の中で夏海の声が響いた。


――赦さないよ夏樹、絶対赦さない!!


「―――――っ!!」

 声にならない悲鳴。

 さらに、外に何か気配を感じて、はっとした。

 バスの外。暗く深い森の中。

 バスは走っているのに、通り過ぎていかないものがあった。

 はっきりと見える人影。

 ―――血に赤く染まった、姉の姿。


「い…いやぁぁぁ―――――っ!!」


 バスの中で、私は叫んだ。

 乗客全員が驚いて、こちらを見ている。


「な、夏海が…! お姉ちゃんが!!」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。

 恐怖で涙が零れ落ちる。血の気が引いてもの凄く頭が痛い。


「だ、大丈夫? お姉ちゃんがどうしたの?」


 尋常じゃないと悟った少女が、私の手を握ってくれた。

 雨に濡れて冷え切った、とても冷たい手だったけど、今の私よりは温かかったかもしれない。


(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!)


 目を閉じて、私は必死に謝っていた。

 両手を痛いくらい握り締めて、祈るように。


(赦して!お願い、赦してお姉ちゃんっ)


 ずっとそうしていても、「声」は聞こえない。

 そっと目を開けて、外を見た。


「…夏海お姉ちゃん」


 そこにいた姉は、にやりと笑って、やがて姿を消した。


「赦して…くれないよね」


 最後の涙が、ポタリと零れ落ちる。

 赦すわけないでしょ。

 あの笑みは、確実にそう語っていた。

 ・・・怖い。すごく怖い。


「ねぇ、本当に大丈夫?顔真っ青よ」


 少女が、震えている私を心配そうに覗き込んできた。


「ありがとう…もう大丈夫だから」


 そう言って私は、また目を閉じる。

 他の乗客たちも、何事もなかったかのようにそれぞれ目を閉ざし始めた。

 ――これから、本当の恐怖が始まるとも知らずに。



 夏海の幽霊――いや、幻覚なのか分からないが、それを見てから大分経った。変わらずバスは山道を走っている。


「どうしたのかしら」


 隣の少女が運転席の方を不思議そうに見ていたので、私もそちらに目を遣った。

 前の席に座っていたあの頭の輝きが眩しい男性が、運転手に何か話している。

 そしてバスは停車した。バス停でもないのに。


「トイレ、かな」

「あぁ・・・そうかもね」


 きっとそうだろう。彼は申し訳なさそうに頭を下げて、外へ出て行った。


『時間調整の為、しばらく停まります。お待ち下さい』


 運転手の声。

 あの男性のことを考えて、時間調整と言ったのだろう。優しい運転手だなぁ。



 あの男性がいなくなってどれくらい経っただろう。

 時間と共に、夏海の恐怖も少し薄らいできた。

 しかしバスは一向に進む気配がない。


「遅いわね」


 確かに。トイレに行くにしては、長すぎる。

 聞けば、この近くにトイレはあるらしいのだ。


「運転手さん、俺ちょっと見てきますよ」


 運転席から一番近い席に座っていた若い男性が、そう言って立ち上がった。


「大丈夫かしら」


 隣の少女が心配そうに見ている。


『ありがとう、気を付けて下さいね』


 運転手も少し心配そうに、彼を見送った。

 夜の闇に消えていく男性。


「あの人も帰って来なかったりして」


 少し面白そうに、少女が言う。


「や、やめてよ」


 ただでさえ夏海の事で怯えているのに、こんな状況、私は耐えられなかった。


 ――そして彼女の予想通り、二人が帰ってくることはなかった。

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