第2話

 私は自ら殺めた実の姉、夏海の死体を捨て、それから体を洗って服を着替えた。

 準備を終えて時計を見る――深夜の0時。

 どうりで少し肌寒いと思い、上着を手にして別荘を後にする。


(バス、間に合うかな)


 バス停に向かいながら考える。

 ただでさえこんな山奥の道。バスなんて半日に一本通ったらいい方だった。

 けれど幸いなことに、ここは夜行バスがある。こんな真夜中に運行する、夜行バス。

 運がよければ乗れるかもしれない。

 焦る気持ちが、無意識に足を前へと急かす。

 そして、もう少しでバス停に着こうかというところまで来たときだった。

 

ポツ、ポツ…


「あ…」

 私は思わず足を止めた。

 ――冷たい、雨。

 どうしようと迷う間もなく、それはどしゃ降りへと変わっていった。


(バス停まで行けば・・・)


 私は意を決し、雨の山道を全速力で駆け出した。

 停留所になら、きっと雨をしのげる屋根がある。

 あんなにうるさく鳴いていた虫たちの声が、激しい雨音にかき消されてゆく。

 暗く怪しげなこの景色も、今日はなぜか怖くはなかった。むしろ、闇は私を護ってくれる、そんな奇妙な感じさえ感じた。

 そう、私は闇なのだ。

 ――雨は、少しも弱まることなく、この深い暗黒の森に降り続ける・・・



ピーーー


 発車を告げる、聞きなれた音。


(よかった、間に合った)


 都合よく遅れてきた夜行バスに、なんとか乗り込む事が出来た私。進行方向右側の、丁度真ん中くらいの席に座った。

 こんな真夜中の、しかもこんな深い山奥の夜行バスだというのに、乗客は私を含めて六人もいた。あ、いや、赤ん坊もいるから八人だ。

 私より前の席には若い男性二人と、少し頭が輝いている男性が一人。後ろの方には、制服を着た女子高生二人が一緒に座っていて、一番後ろの広い席に、まだ小さい赤ん坊を抱いた若い母親がいた。

 皆、誰一人としてしゃべっていない。

 ただずっと、バスに揺られて目を閉じている人が多かった。


「…」


 雨の音はうるさいくらいなのに、バスの中は不気味なほど静かで、居心地が悪い。

 しかしどういうわけか、その居心地の悪さも、今の私には気持ちよく思えるような気がした。



「隣、いい?」


 突然、言葉をかけられた。


「え?」


 私は声のした方を向いて、少し声を失う。

 私と同じ年頃の女の子。びしょびしょに濡れた姿で、私の隣に立っていた。

 いつの間にバスに乗ったのだろう。

 何も考えないでただバスに揺られていたから、新たな乗客に気付かないでいた。

 それにしても、空席なら沢山あるのに、どうして私の隣に・・・?


「ど、どうぞ」


 ぎこちなくそう答えると、彼女はニコリと微笑んで私の隣に座った。

 何か話しかけてくるわけでもなく、ただずっと前を向いているだけ。謎な少女だ。


「…」


 さっきまでは何も考えず休む事が出来たのに、今は、彼女の存在がそれを許さない。


「凄い雨だね。体、濡れてるけど大丈夫?」


 このまま沈黙が続くのも嫌だから、私は隣の少女に声をかけた。

 染めているのだろうか?少し赤みのある長い髪から、雫が何度も落ちる。

 そして彼女はまた、さっきと同じように静かに微笑んだ。


「そうね。川も凄く冷たくて、夏だけど凄く寒かったわ」

「え、川?」

「そう。この下に川があるのよ。岩が沢山あって、歩くのも大変だったの」


 私はまたも声を失った。

 この人は、一人でこんな山奥の川に遊びに来ていたのだろうか。

 …どう考えても変だ。おかしい。

 なんだか怖くなって、それから話かけるのを止めた。

 彼女も何も話しかけてこなかったし、相変わらずずっと前を見ていて、一体何を考えてるのか分からない。


(…まぁいいや)


 隣の少女のことを深く考えるのはやめにして、私は窓から外を眺めていた。

 降り止まない強い雨。

 暗闇の中を、ただバスは走っていた。



 バスに乗ってからどれくらい経っただろうか。

 相変わらず外の景色は同じで、バスの中も沈黙が続いたままだった。


(夏海…)


 私はついさっきまで一緒だった、そしてこの手で殺めてしまった姉のことを想う。

 あの別荘に二人で来たのは、誕生日を二人で祝うためだった。

 ――まぁ、結果こんなことになってしまったけれど。

 でも私は、夏海と二人きりだなんて全然嬉しくなかった。

 私は夏海が嫌いだったから。


「誕生日おめでとう、夏樹」


 幸せそうに笑っていた、夏海の姿を思い出す。

 私はそれが憎かった。

 夏海だけ、夏海だけが幸せになった。

 それを自慢するかのように話す彼女が、大嫌いだった。

 あのとき私が身を引いた事を、夏海はどんなに喜んだだろう。

 …そう、私達が好きになった男の子は同じだった。

 双子の宿命なのだろうか。

 夏海は私に涙を流してまで頼んできた。


「お願い、私はあの人が好きなの」


 気が弱い私には、諦めることしか道はなかっただろう。

 そして夏海とその彼は、見事付き合うことになった。


(そうよ、夏海が悪いのよ)


 私は目を閉じて思う。

 あの別荘で、姉はひたすら彼のことを話し続けた。 

 私だって好きだった、それをあんたがとったんだ。それを知っているのに、夏海は彼の自慢話ばかりする。

 ――限界だった。

 気付いたら私は包丁を手にしていて、姉は血まみれになって倒れていた。

 私は悪くなんかない。

 そう、あんたが悪いのよ。あんたが・・・夏海が、私からあの人を奪ったから。

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