真夏の別荘、夜行バス

貝鳴みづす

第1話

 なぜこんなことになってしまったのか。

 この現実が、私にはとても信じられなかった。

 震える両手に、生暖かい感触。恐る恐るそれに目を遣る。

 ヌルヌルとした、赤い液体が自分の両手を汚していた。

 見たことある色。見たことあるモノ。

 ――ケド。

 こんな間近に、こんな大量に…私はこんなもの見たことない。


「ぅ、く…」


 吐き気がした。

 嗅いだことのないこの匂い。感じたことのない激しいこの鼓動。

 思わず口元を手で押さえた私は、すぐにそうしたことを後悔する。

 ――べったりと手に付いていた液体からも…それと同じ匂いがした。


「――ッ」


 耐え切れず、私は壁にぶつかるまで後ろへ下がった。

 自分自身の荒い呼吸と、虫たちの鳴く声が、嫌に鮮明に聞こえていた。

 真夏の山奥の別荘。

 木の温もりがあった静かなこの部屋も、今は不気味なものへと化している。

 中央にある、赤い水溜り。

 ――そこには姉が転がっていた。

 川畑#夏海__なつみ__#。

 全てが私と微々しか変わりのない、双子の姉。

 それがなぜこんなことになってしまったのか。なぜ姉から赤いものが流れ出ているのか。


「夏海」


 どうやってでも否定したい、この現実を。

 叶うことなら消してしまいたい、この事実を・・・


「――夏樹」

「!!」


 私は目を見開いた。


「助けて…なつ、き」


 姉が、私よりもずっとひどく赤に染まった手を私に伸ばしてくる。

 両の目からは涙を流して、だらしなく開いた口からは血を流して。

 自分のそれでベトベトになった床を這いつくばって、私に助けを求めてくる。

 それはもう、私の知っている彼女ではなかった。


「い、嫌っ!」


 反射的に、私は彼女の首を絞めていた。


「なにをっ! あ、うっ」


 こんな姉の姿は見たくない。そんな怨むような目で、見られたくない!

 自分の首を締め付ける私の手首を引き剥がそうと、姉が必死にもがく。

 けれど私は止めなかった。


「ぁぐっ・・・ぅ」


 私の手首を握っていた姉の手の力が、次第に弱くなっていく。

 やがて、その手は床へと力なく崩れ、二度と動くことはなくなった。

 私はしばらく彼女の首を絞めたまま、固まっていた。

 数分、いや数十分経ったかもしれない。

 少しずつ、今私が立たされている現状を理解してきた。

 姉が死んでいる。――私が殺した。

 あぁ、そうだ。私は姉を殺してしまったんだ。たった一人の双子の姉を。

 初めは動揺していた心も、時間と共に妙に冷えていくのがわかった。

 ――この死体をどこかに捨てなければ。

 そう思った。

 夏海の血で汚れた体を洗って、服を着替えよう。そうしたら何事もなかったかのように家に帰るんだ。

 何事もなかったかのように。私だけ、生き延びてやるの。

 そう、「川畑夏海」という人間はもういないんだ。

 「夏樹」は、一人なんだ…。

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