第5章 働く日常
第25話
「よ、少年。直ぐにここが分かった?」
翌日、俺は講義をサボり、朝一でオフィス街の一画にいた。
ここ、『awf総合コンサルタント』は、柊さんや内場さんも所属しているという経営全般に関するコンサルタント会社らしい。近代的なオフィスビルが建ち並ぶ中にあって、そこは正に大正ロマンに溢れた建物だった。中に入るとこれまたレトロな調度品が整然且つ機能的に配置されている。
受付で、昨夜、柊さんに言われた通り彼女を呼び出して貰い、彼女の後について、調査部の扉を潜った。
昨夜、話の流れで、気が付けば俺は一連の保絡みの噂話の事まで話してしまっていた。
それを聞いた柊さんは、今回の件は偽石の呪詛に関する事件の一つかもしれないと、調査する事を決定したのだった。その際、学校に調査員である影見師を入れるよりも、当事者と言えば言えなくもない俺の方が――しかも霊を見る事も出来る俺の方が、適任だという事になったのだ。
因みに余談だが、影見師の仕事は、実際の所占い師等ではなく、心霊事象に関する調査員であるのだと教えられた。その仕事の一環で、彼等は占い師として街頭に立つ事もあるのだという。
基本、占い師として街頭に立つような事は先ず無いのだそうだが、事が複数人に及ぶ場合や、規模が大きい場合等に、この方法が取られるのだという。つまり、シャドウという占い師が街頭で営業をする事自体も稀な為、ある意味、不幸が続いていた――魔に屈した者達による害が無くなった者達の口伝えにより、客は増えるが営業されていないという市場原理のバランスが崩れた状態を招き、分かりやすく言うと、やっているのを見付ける事が困難な人気占い師シャドウ、という存在が出来上がったのだ。
勿論、ネット上で噂される通り、シャドウ自体複数の人間が演じている為、今回の偽石騒ぎのような便乗犯をなかなか見付ける事が出来ない、という弊害も起こってしまうのだという。
さて、実際に占って貰う為に集まって来た者達に対しては、どう対処しているのか? 依頼された件にかかわらず、更に霊の害無害にも関係無く、憑いている者に対しては、ある程度質問をした後に、石を持たせ帰させるのだという。
俺が例の占い師状態の内場さんを見たのは、ある会社――あの日、内場さんが荷物を預けた会社から依頼された案件だったらしい。
結局の所、あの日、彼女等にしてみれば、俺は単なるおまけにすぎなかった。自分達が探していた偽石を持っていた俺を見て、咄嗟の判断で俺をテントに招き入れたのだそうだ。
そうそう、あの時その場に居合わせたキヨさんと呼ばれた真っ当な職の方に見えなかった男も実はこの会社の調査員の一人、影見師なのだそうだ。
「じゃあ、この契約書をちゃんと読んで名前と印鑑をお願いね。あ、印鑑、持って来ているわよね?」
と、柊さんは俺に雇用契約書を広げて寄越した。
今日、俺がここに来たのは、今回引き受ける――と言うよりは引き受けざるを得なかった調査員としての仕事に対して、この会社と正式に契約を結ぶ為だった。
調査部という堅い名前の割には、一部こういった怪しい職員も所属している部署に今日から期間限定で所属する事になった俺だが、意外とまともな会社らしい。awfという会社自体、経営に関するあらゆる事に関してコンサルティング業務を行っている至極真っ当な会社のようでもあった。
契約書に一通り目を通し、サインし、印鑑を捺すと、近くで何やら書類に目を通していた柊さんに声を掛けた。
「うん、上出来」
受け取った契約書に目を通すと、俺にここで待っているよう言いおいて、部屋を出て行った。
「はい。これがあれば次からは受付を通さなくてもここに直接来られるからね」
数分で戻って来た柊さんは、そう言って俺の写真入り社員証を渡した。首からぶら下げるそれを直接俺の首に掛けて。
うう。相変わらず、目付きがわりぃや、俺。
首に掛かったそれを確認して溜め息を吐く。写真は、ここへ通されて直ぐに柊さんに撮られた物だった。
「さて、じゃあ早速、今日から働いて貰う訳だけど、先ずは君の意見を聞かせて貰いましょうか」
保と関わった人間――より詳しく言うならば、保と話した女子が、その日の内に、妙な事故に巻き込まれている、と彼女等には昨日話した。
その際、ある現場――吉元さんが階段から突き落とされた現場――で、被害者が咄嗟に掴んでいたのが、俺が持っていた偽石だったのだ、と。
昨日、偽石を見た柊さん達は、その石に余りいい気を感じない、と言っていた。
どんな物にも念という気が入る事があるらしいのだが、今回、彼等が危惧している偽石の幾つかには、偶然なのか作為的なのか、その気を入れる器としての機能に秀でた物があるのだという。俺が持っていた石もその一つで、持ち主の手から離れた今でも、邪念に満ち溢れているそうだ。この石の状態こそが、今回awfが調査している呪詛という物であるのだとも。
昨夜の時点で、その石を彼女等に渡し、彼女等にその石の処分を委ねた俺だったが、そんな物を携帯に付けて肌身離さず持っていただなんて、今にして思えばぞっとする。
「君自身、君の友達である新山君が、この一連の事故の元凶だと思う?」
テーブルの上で両手を組み、真剣な眼差しで柊さんが問うた。
以前、街中で彼女に会った時や、昨夜の彼女とは、かなり違った印象を受ける。それまでは良く言って格好良いお姉さん、って感じだったのに対し、今日の彼女は、グレーのパンツスーツをビシッと着こなした如何にも出来るキャリアウーマン然としている。
「保……じゃない、新山が元凶だとは思えません。ですが、残念ながら、奴が全くの無関係だとも思えません」
「というと?」
彼女は片方の眉を上げた。
「事故に遭った人間が必ずその日に保と話していたというのは、どうやら事実のようです。ですが、噂にあったように、その全員が、必ずしも保と特別仲が良かった訳でもありません。なのに何故、“保と仲が良い人間が事故に遭っている”という噂が流れたのか? これって、保に対して悪意を持っている人間が、保を犯人に仕立て上げる為に行っているんじゃないか、と感じるんです」
ずっと考えていた事を初めて口にした。
それに対して、柊さんは成る程と言ったっきり黙り込んだ。
手元にある資料らしき物を手早く捲り、あるページに目を通すと、顔を上げ、再び話し始める。
「確か皆、誰かに引っ張られるか、押されるかしたって言ってたわよね」
「はい」
「で、誰も犯人は見ていない、と」
はい、と返事をすると、ヨシヨシと言わんばかりに満足げに頷いた。
「ところで、事故に巻き込まれた人達の話を君なりに調べた、って昨日話してたわよね?」
「え、ああ、はい」
「良かった。じぁあ、事故に遭った時、被害に遭った人達は、何か変わった事に気が付いたような事は言ってなかったかしら?」
「変わった事ですか?」
「何でもいいのよ。そうねえ、何かを見たっていうのでもいいし、何かを耳にしたっていうのでも構わないわ」
そう言って、彼女は手にしていたボールペンを手の中でクルリと回転させた。
「……あの、そう言えば、女の人の声が聞こえたって、皆言ってました」
「声ねぇ……」
資料にボールペンで何やらメモを取りながら、彼女は言った。
「具体的には何て言ってたか、分かる?」
「はっきりと声を聞いたという人間は、基本的に“ブス”と言われたと言っているそうです」
「“ブス”ねぇ。それはそれは」
柊さんはメモを取りながら、ニヤリと笑った。
「ところで、君は一度もその現場に居合わせなかったの?」
「いえ、何度か偶然居合わせました」
俺は吉元さんの事を思い出しながら答えた。
「ふうん。で、その時、君自身は何か気付いた事ってないのかしら?」
「あ……俺も、声を聞きました」
「あら、君も? 何て言っていたか聞き取れた?」
俺は軽く首を振ると続けた。
「でも、影を見ました」
「影?」
柊さんは俺の言葉に、ハッとしたように動きを止めた。
「影って、どんな感じの物?」
「どんな、と言われても……。上手く説明出来ないのですが、初めは薄い霧みたいだったんですが、最終的に濃い雨雲のような物に変化したとでも言えばいいのか……。あ、色的には白やグレーではなく、黒ですけど」
それを聞いた柊さんは、うーん、と唸り、ボールペンの先でコツコツとテーブルを叩いた。
「君としては、それは何だと思う? 霊的な何かだと思う?」
「……良く分かりません。今まで見た事の無い物でしたから」
「……そっかぁ。それじゃあ分からなくて当然よね」
そう言いおいてから、他には何か気になる事は無かったか、と尋ねた。
「……いえ別に」
「そう。……事故に遭ったっていうのは、皆女の子だったわよね」
独り言のように呟いた。
「じゃあ、噂の主、新山君に関してはどうかしら? 何か変わった事は起きていない?」
「保に、ですか?」
「そう、新山君。そうねえ、例えば最近、性格が変わったとか、体調不良になったりだとか……」
思案しつつ、まだまだ幾つか例を挙げようとしている柊さんの言葉は、もう既に俺の耳には入って来なかった。
それって、それって……。
「……もしそういった事が保の身に起きていたとしたら、それってどういう事になるんでしょか?」
「……ん? 少年、何?」
「保の奴、最近、何度か急に具合が悪くなって……」
「あらあら? 病院には行ったの?」
首を振り、下を向いた。
これ以上、詳しい話をして、保が疑われるのも嫌だった。
しかし、それ以上に、俺は自分の発言に責任を持ちたく無かったのかもしれない。昔から俺は、霊という存在に対しては勿論の事、対人関係に於いても、昔から責任という物から極力、距離をおいて生きて来た。
だが、保は違う。あいつは、見ず知らずの絶対的他人である霊的存在や、直ぐに転校して別れてしまうような、かつてのクラスメートでもない。保は腐れ縁だとしても、大切な仲間なのだ。
ここに来ても未だ俺は、誰に対しても責任を持ちたくないのだろうか。
「……昨日、俺、石を使った、って言いましたよね」
顔を上げ、意を決して言った。
「確かにね。なかなかの使いっぷりだったわね」
柊さんはテーブルに両肘を突き頬杖を突くと、笑みを浮かべた。
「あれ、俺の為に使ったんじゃないんです。保の為に使ったんです」
そう言って、今度こそ、その全てを語ったのだった。
「そっか……。じゃあ、君の言う所の影にとり憑かれた新山君から、影を取り除く為に石を使った、って訳か」
頷く俺に、頷き返し、素早くメモを取る。
「この影と言うのも、被害に遭った女の子の時に見た物と、同種の物だと言う訳か……」
成る程ね、と独り言のように言った。暫く、自分で書いたメモを読みながら、彼女は自分の頭で反芻しているようだった。
「最初は、君が触っただけで、その影を取り除く事が出来たのよね? 次に同じ大学の女の子が取り除いた。その時は、君がその影に触れても、何も起こらなかった訳よね?」
「ええ、全く」
その娘も何かの使い手かしら?――等と呟き、メモを取りながら再び考え込む。
「で、最終的には、石に頼ったのよね。新山君自身、何か気付いている様子はなかったかしら?」
「保自身、何かの病気かもしれないと思っているみたいです。急に意味も無く苛々したり、倒れたりするのだと言っていました。それに時々、記憶が飛ぶとも言ってました。実際、三度影に憑かれている保を見た訳ですが、その三度とも、記憶が無いようでした」
「ふうん。記憶がねぇ。他に新山君に関して気付いた事は?」
そう言われてもなぁ……。
頬を掻き、思い出そうと努力する。
「……あの、声が聞こえました」
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