第26話
「声が?」
「ええ。一度に沢山の声が聞こえた事があったんです。ええっとぉ……『近付くな』とか『死ねばいいのに』って、言ってるかと思うと、『誰にも渡さない』、『私を見て』っていうような相反する事を言ってたような記憶があります。何か耳が痛いくらいの声で……あっ!?」
「ん? 何? どうかした?」
「あ、いや、ちょっとこれと似た事を被害に遭った娘の一人が言ってたなと、思って」
俺の言葉に、柊さんは、ただ、続けて、と言っただけだった。
「えっと、つい最近の話なんですけど、それまでは……あ、彼女、何度も被害に遭っているんですけど、ずっと聞こえるか聞こえないかくらいの小声しか聞いた事が無かったらしいんです。なのに、この間事故に遭った時は、一度に大量の叫び声を耳にしたって言ってました。彼女、絶対、あの声は一人の声じゃないって」
「……複数、か。やっかいねぇ」
そう言い柊さんは、何かを考えている風だった。
「貴方が持っていた偽石だけど、それは事故に遭った娘が、その時に掴みとった物だったわよね」
質問と言うよりは、自己確認の口調で彼女は言った。
「身近に偽石を持った人間がいるって事か……」
考え事をしている為か、二本の指で挟んだペンの尻で、コツコツとテーブルを小刻みにを叩いた。
「あの、関係が無いのかもしれないのですが」
ふと思い出した事を伝えるか伝えまいか、自問自答の末、俺は話す事にした。
「偽石を持っている人間を、俺、何人か知ってます」
「なかなかいい大学じゃない」
俺の通う大学に着いた早々、柊さんはそう口にした。
あの後、先ずは被害に遭った娘達や保、偽石を持っている人間を見てみよう、という事になったのだ。会う訳では無く見てみる。ここ、ポイント。
時刻は間も無く、午前中の講義が終了するという所だった。
「あ、あそこに座りましょうか」
いい所にベンチがあるじゃない、等と喜々とした様子で彼女は腰掛けた。それは校門側にあるベンチの一つで、この位置からだと人の出入りがよく見える。
柊さんは、先程まで着ていたパンツスーツから、ジーンズにジャケットというラフな出で立ちに着替えていた。
「あの子達、直ぐに分かればいいんだけど……」
そう言って膝に肘を突き頬杖を突いた。
「あの子達って?」
「ああ、言ってなかったかしら」
そう言い、背筋を伸ばし、俺に向き直った。
「風師と影見師を一人ずつ呼んでおいたの。私が着替えている間に電話でね」
と、言った。
「ああ、少年の影見師としての力を疑っている訳じゃあないのよ。これから来る事になっている彼は、影見師として以上に、調査員としての腕がいいのよ。元本職の探偵なの」
アメリカで実際にライセンスを取得して、私立探偵をしていた事もあるのだと言った。
「彼には偽石を持っている人間を調べて貰おうと思っているの」
だから、気にしないでね、と彼女は慌てて付け足した。
「いや、別に気にしてないんですけど」
等と答えつつ、先程から気になっていた事を尋ねた。
「そんな事より、今日は桂さんはいらっしゃらないんですか?」
昨日とは打って変わり、全くその姿を現そうとしない桂氏の事がずっと気になっていたので尋ねてみた。
「ああ。桂はこっちが昼の間は出て来れないの」
「え? どうしてですか?」
「答えは簡単。向こうも昼だからよ。向こうとこっちの時間軸の違いは分からないのだけど、どうやら風師が風と契約を結ぶと、お互い妙な結び付きが出来るらしくてね、時間の流れまでシンクロしてきちゃうみたいなの。例えば、こっちが昼なら向こうも昼。あっちが夜ならこっちも夜、っていう風にね。例え私が日本と時差のある海外に行って桂を呼び出そうとしても、昼だと呼び出せない訳」
俺は、へぇ、等と感心した声を上げた。
「って、でも何で昼が駄目なんですか?」
「んー、今、君はこうして私と仕事をしているでしょう?」
柊さんの問い掛けに俺は軽く頷いた。
「君が起きて生活している時間、君は学校で勉強して、ご飯を食べて、バイトして、デートをしたりしているわよね」
残念ながら、デートに関しては肯定できないが……。
「まあ、そうです」
俺の返事に一つ頷くと、彼女は続けた。
「詰まりはそう言う事。桂にも、桂の生活がある、って事。風である彼等が風として活動出来るのは、夜、寝ている間だけなの。勿論、昼寝をすれば昼に来ようと思えば来られるのだけれどね」
と、笑った。
「なので、桂はお休み。今日は桂の代わりに別の風を呼んでいるの」
「別の風? それじゃあ、その人――ていうか、風の住む世界はまた別なんですか?」
「うーん、どうなのかしら。恐らく、皆、同じ世界から来ている筈よ、理屈から考えても。皆、似通った言語を使っているみたいだし。中には向こうでの知り合い同士、ってパターンもあるみたいだしね。繋げられる場所には限界があるっていうか、彼等が望まない限り、彼等が風としての契約が結べない、っていうか、ね。でも、私にも詳しい事は分からないわ。基本的に彼等って、秘密主義な所があるから」
んな曖昧な。昨日も思ったけど、そんな得体の知れない相手をよくパートナーにしているなぁ。
呆れながらも、彼女の言葉に気になる一節がある事に気が付いた。
「あの、似通った言語を使っている、って桂さんが話していたのは日本語でしたよ」
俺の質問に、一瞬、目を丸くすると、彼女は吹き出した。
「少年、いい所に気が付いたわね! 彼等が話しているのは、間違いなく日本語じゃないわ」
「え? でも……」
「まあ、聞いて。話しているのは、日本語じゃない、のよ。でも実際に君が聞いた言葉は、日本語。間違いなくね。これって、彼等が意識だけの存在だからよ。彼等が伝えたい言葉をテレパシーみたいな物で伝えている、とでも思って貰えればいいわ。そうねぇ、例えば、目の前に死んだ外国人が君に話し掛けているとしましょう。君には彼の言っている事も理解出来るし、耳で聞く事も出来る。でも、君の隣りにいる別の誰かには、何を言っているのか分からないし、何も聞こえない……と言うより視えてすらいない。詰まりはそういう事。まあ、尤も、何かを伝えたくても、相手に彼等を見聞きする力が無ければ、意味は無いのだけれどね」
と、肩を竦めた。
「お、桜ちゃん、お待たせ!」
そんな事を話していると、声を掛けられた。何処から来たのだろう、気が付くと俺達の座るベンチの背後に、男が一人立っていた。一昨日、内場さん扮する占い師と一緒にいたあの男だった。あの時は、変な威圧感を漂わせていたが、今日の彼からは微塵も感じなかった。
彼はちょっとくたびれたパンツに、アイロンのかかっていないワイシャツ、手にはこれまたくたびれた感の拭えないジャケットという出で立ちであった。靴は明るいベージュのローファーを履いていたが、かなり使い古された物なのか、歩く時に出来たと思われる皺や、擦って剥げたらしい部分が、明るく剥き出しになっていた。
「キヨさん。ご苦労様」
柊さんは立上がり彼に椅子を勧めたが、彼はあっさり断ると、反対に今俺達がいる所よりも更に人目のつかない場所に導いた。
「あ、少年、紹介しておくわね。彼は恩田清春(おんだ きよはる)さん。さっき話していた影見師よ。こっちの彼は、この大学の学生さんで、今回臨時にうちで働いて貰う事になった影見師の……えーっと」
「片瀬です」
「そう、片瀬君。確か二人は前にもう会っている筈よね? 理子ちゃんから聞いたんだけど」
「まあ、そんな所かな。よろしく、片瀬君」
そう言って、手を差し出された。こちらこそ、等と慌てて手を差し出し握手をすると、渾身の力で握られた。
くっそー、こいつこの間の事を根に持ってやがったか。
手を放す際、彼はニヤリと笑うと、これでチャラな、と小声で言った。
そんな小さな小競り合いに気付いているのかいないのか、柊さんは早速本題に入った。
「で、今回キヨさんに調べて欲しいのは、この三人ね」
そう言って三枚の写真をバッグから取り出した。
覗き見ると、学生証の写真を拡大したらしいブルーを背景にした写真だった。それには同級生の三浦さん、沢木さん、それに吉元さんの友達の一年、角田さんという先日俺が見た偽石の持ち主の三人が写っていた。
「ど、何処でこれを!?」
「蛇の道は蛇ってね。世の中には知らない方がいい事もあるのよ」
俺の驚きを知ってか知らずか、そう言って彼女はウインクを寄越した。
そして更に書類を何枚か取り出し、恩田氏なる人物に差し出した。
「この娘達の現住所。もしかしたら、この中の誰かが呪詛を行っているかもしれないから、気を付けて。あ、そうそう、ついでにこの子も調べておいてくれる? どちらかと言うと、呪詛を掛けられている可能性の方が高いんだけど」
と、バッグの中から、保の写真と住所の書かれた紙を取り出した。
……そっちかよ。
俺は保が呪詛を行っている側ではなく、掛けられている側の可能性の方が高いと知り、軽く胸を撫で下ろした。
しかしよくよく考えてみたら加害者でなかっただけで、被害者なのだ。保の今の体調を考えると、下手をすると生命の危険が考えられなくもない。
それはそれでマズいだろ。
「桜ちゃん、彼、何か悩んでるみたいだけど?」
煙草を銜え、火を点けると、前回同様、その煙を俺に吹き掛けた。
ゲフゴフゲフ。
「ちょっと、いじめちゃ駄目よ。君も一々気にしてちゃこの仕事、身体が保たないわよ」
バシリと背中を一叩きされた。
「あ、あれ、彼じゃないか?」
恩田氏の声に振り向くと、そこには大学から外に出て行こうとしている保の姿があった。
時刻はもう既に、昼休憩に入っていた。
「あ、そうです」
即答すると、彼に倣って、保の姿を目で追う。
「何も憑いてないみたいだな」
「今はね」
恩田氏と柊さんは、それぞれ見たままの感想を述べる。
「彼の体調が悪くなる時に影のような物が見えた、って言っていたわよね」
チラリと俺を見ると、柊さんは言った。
「ええ。事故に遭った娘の中にも、同じような影が見えた娘がいますけど」
先程、事務所で説明した事を繰り返した。
「と、いう訳。後はよろしくね」
「了解」
恩田氏は、銜えていた煙草を携帯用灰皿で揉み消すと、軽く片手を挙げ保の後を追うように足早に去って行った。
「もう一人来る筈なんだけどねぇ。風が捕まらないのかしら」
恩田氏が去って暫く経った後、先程座っていたベンチに再び腰を下ろした俺達。
柊さんは、苛々したように腕時計を見ながら呟いた。
……風が捕まらない? 何だ、それ?
と言うか、だいたい風って、この時間柊さんの説明だと、こっちに来られない筈だったよな。
「風って、今この時間には来られないんじゃなかったんですか?」
「あ? まあ、基本的にはね。でも、彼だけは例外。何故だか基本的に何時も瑠璃ちゃん――あ、風師の名前、榊田瑠璃(さかきだ るり)って言うんだけどね、彼女の傍から離れようとしないのよ。こちらとしては便利なのだけれどね、ある意味、風の中でも異質な存在なの。誰とも……彼の風師である瑠璃ちゃんとも話そうとはしないし、正直得体の知れない存在なのよね」
でも、力は私が知っている中で一番の使い手なのよ、と言った。
「でも、驚かないでね。かなりな変わり者だから。恐らく、影見師である君にも姿を現さないと思うわ」
と、付け加えた。
更にそれから一時間以上が経過した頃、当の風師が息を切らしながら現れた。
「すみません。朝から来てはいたんですけど、樹(いつき)がうろちょろしっ放しで」
着く早々、そう言って軽く頭を下げた。
「でしょうね。樹君、基本的に変化が嫌いだものね。初めての場所だと、仕方がないわよ」
と言って、笑って立ち上がった。
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