第8話

「何!? カタやん、そんな事も知らんのか? この人はやなぁ……」 

 熱く語り出した保の横で、即座に後悔の嵐に見舞われる俺。 

 迂闊に質問なんかするもんじゃねぇ。 

「世界的に有名な映画監督であるだけでなく、脚本家でもあり、俳優でもあるお方なんや。あ、画家としても才能あるねんで」 

 保によると、俺でも聞いた事のある有名な絵画展で、毎年のように入選しているらしい。 

 因みに、映画は無冠。……正直、映画よりも絵の方で食っていった方が本人の為なのではないかと、他人事ながら思ってしまった。 

「どおしよ。俺、気になってもうてしゃーないわ! カタやん、俺、今からその図書館に行ってみるわ!」 

 言うが早いか、片手で軽く敬礼すると、駅に向かって走り出してしまった。 

 ……あの、保さん、私も駅に行くんですけど。 

 呆然と保の後ろ姿を見送りながら、俺は独り言ちたのだった。……って言うか、今から行っても図書館が開いているのか、甚だ疑問ではあったのだが。 



     * 



「カッタやーん! ちょお、聞いたってえなぁ」 

 翌日、大学で顔を会わせた途端、グワシッと肩を組まれた。 

「何だよ、鬱陶しいなぁ」 

 保の腕を肩から外しながら文句を言っている俺の声がいったい保に届いているのかいないのか。全く頓着する様子も無く、保は高いテンションで続けた。 

「見付けたよ、見付けた! 内場さんを見付けてもうてん!」 

「え!?」 

 突然の報告に、呆然としている俺の目の前で、唐突に保は携帯を弄り始めた。 

「あ、ちょっとタイム」 

 メールの着信を告げる音に、断りを入れてから自分の携帯を開いた。 

「んな……何じゃこりゃ!」 

 俺に届いた携帯には、発信者『新山保』の文字と、『愛しの内場理子ちゃん』というメッセージと共に、あの無くなった筈の雑誌に掲載されていた内場さんの画像が添付されていたのだった。 

「おい、これって……」 

「ちょお、たんま。雑誌の画像を写したらいかんとかいう堅い話はこの際見逃したってな。別にこの内場さんの画像を悪用しようとかっていうんやないんやで。ただ、俺、内場さんといっつも一緒にいたいだけなんやってば」 

 いや、誰もそんな事を言いたい訳じゃなくってだな、たもっちゃん。何も俺が聞かない内に言い訳を始めたお前の方がむしろ『いたい』以上に『痛い』って。 

「だいたいさぁ、前かって雑誌を持ち歩かんと、こうやって携帯の待ち受けにしといたら、雑誌が無くなるなんつう事も無かったんよなぁ。……あ、せやけど携帯も無くしてもうた事あったんか、俺。あかんやん」 

「そうじゃなくってだな、この雑誌、この間無くしたんだろ? いったいどうしたんだ?」 

 止まりそうにない保の独りボケツッコミを無情にも口を挟んで止める。 

 付き合ってらんねぇ。 

「え? そんな事?」 

 そう言って説明を始めようとする保に、俺は「短めに頼む」と、釘を刺す。 

「実は、昨日あれから司書のお姉さんに教えてもろた図書館に行ったんやけどな、もう時間的に映画を観さしてもらうんは無理そうやったから、本の検索だけさせてもおてん。ほいでそん時、ついでにあの雑誌も検索してみたんやけどな、したらあったんよ、あの雑誌! 貸し出しは無理やっちゅうから、あのページだけ図書館でカラーコピーさせてもろてん」 

「……成る程」 

 たもっちゃん、端折って話そうと思えば出来る子だったんだね。 

「んでな、これをカタやんにも携帯の待ち受けにしてもろたらやな、内場さんにおうた時、一発で分かるやろ? いやぁ、俺って、天才!」 

 いや、むしろバカっぽいよ、保さん。 

「で、何で俺の携帯の待ち受けに内場さんを設定しとかなきゃなんないの? と言うか、何勝手にひとの携帯弄ってんの? ……って、うわ、本当に内場さんを待ち受けにしちゃったよ、この子」 

 開いたまま返された俺の携帯には、内場さんのあの画像が俺に向かって微笑んでいた。 

「やっぱし可愛いなぁ」 

 うっとりと俺の携帯画面を覗き込む保とは反対に、ゲンナリしている俺の姿がそこにあったのだった。 



 その日、どうしても司書の田中さんにお礼を言いたいという保は、麒翔館大に着くなり俺を引き摺り図書館に向かった。 

「あの、田中さんはいらっしゃいますか?」 

 結局、一通り館内を見て回った結果、田中さんを発見する事が出来なかった俺達は、保に泣き付かれるまま渋々俺が受付で尋ねる事になった。 

 が、当然の事ながら担当司書は渋る様子を見せた。 

 そこへ昨日田中さんの横で爆笑していた女性が通り掛かった。 

「あら、昨日の。どうしたの、この子達?」 

「田中さんの事を尋ねてらしてて……」 

「あの、俺、昨日のお礼を一言伝えたいだけなんです!」 

 一向に埒が明かない状況に業を煮やした保が、口を挟んだ。 

「そうなの……」 

 保の言葉に昨日の様子を思い出したのか、微かに笑うと受付の女性に頷いてみせた。 

 そして俺達について来るよう告げると、奥の関係者以外立ち入り禁止のドアを潜った。 

「わざわざ来て貰ったのに悪いんだけど、彼女、暫くの間、来られないと思うわ」 

 言いながら、臼井さん――田中さんの同僚の女性――は俺達に珈琲を出してくれた。 

 通された部屋は、事務所らしく、そこの隅にある応接セットのコーナーに俺達はいた。 

「え? 有給でもとられたんですか?」 

「うん、まぁ……結果的にはそうなるかしらね」 

 何故か臼井さんは、なかなかはっきり言おうとしなかった。 

「あの、失礼ですけど、何かあったんですか?」 

 わざわざ事務所に通されて、珈琲までご馳走になるという状況が既におかしい。俺は嫌な予感を感じながら、臼井さんに尋ねた。 

「実は入院しちゃったのよ、彼女」 

「入院!?」 

 俺と保は、危うく飲みかけの珈琲を吹き出しそうになりながら、同時に声を発した。 

「え、でも昨日までは全然元気だったじゃないですか!」 

「せやせや。あ、もしかして、盲腸か何かですか?」 

 驚いている俺達に臼井さんは首を振った。 

「病気じゃないのよ。怪我をしたの」 

「怪我!?」 

 再び見事に保と俺がハモると、臼井さんは微かに笑った。 

「骨折したのよ、足を」 

 しかしそう言うと、直ぐに表情を曇らせる。 

「交通事故とかでですか?」 

 あんまり根掘り葉掘り聞くのも悪いとは思ったのだが、気が付くとそう口にしていた。 

「事故と言えば、言えなくもないんだけれどね」 

 昨日、俺達が帰った後、田中さんは図書館内にある階段から落ちたのだというのだ。単に足を滑らせた、というのであれば、何の問題もないのだが、救急車を待つ間に田中さんが言った一言が気になるのだ、と臼井さんは言った。 

「何を言うてはったんですか?」 

 先に珈琲を飲み終えた保が尋ねた。 

「こんな事、言っていいのかしらね……」 

 思案顔になりながら、臼井さんが言った。 

「まぁ、いいかしらね。君達、他校生だし。あ、くれぐれも他言無用でお願いね」 

 と、釘を刺すと彼女は言った。田中さんは、誰かに突き落とされた、と臼井さんに訴えたのだと。 

「でもその時間、この建物の中には数名の職員しか残ってなかった筈なのよ。その前に、残っていた学生達を追い出して、戸締まりをしていた時間だったから」 

 そう言って、困惑の表情を浮かべたのだった。 



     * 



「また怪我人が出たんだって?」 

 数日後、講義が終了したばかりの講義室で、部屋を出ようと立ち上がろうとした途端、そんな台詞が耳に入って来た。特に気になる事は無かったのだけれど、無意識に会話に耳を傾けた。 

「聞いた聞いた。荒木さんでしょ」 

「今週に入って立て続けだよね。私が知ってるだけでも五人だよ。ちょっとおかしくない?」 

 確かに多いなと、心の中で相槌をうつ。 

 ……って、何か暗くねぇか、俺。 

「ナルミが言ってたんだけどさ、怪我したのって、みんな新山君と仲の良い娘達ばっかりだって。あ、これ、他言無用でよろしく」 

「げー!? 何それ!」 

「ねえねえ、新山君って」 

 そうそう、新山君って? 

「ああ、あんたは知らないか。ヴィジュアル系のイケメンなんだけどね、話すと関西弁でね、可愛い子よ」 

「あー! 知ってる!」 

 ……俺も知ってるー。 

「かなり人気あるよねぇ。えー、ショックゥ」 

「んじゃさぁ、ひょっとして新山君って、疫病神?」 

「いや、疫病神は酷いっしょ。むしろ不幸を呼ぶ男?」 

「何それ、酷過ぎだって。でもあれじゃない? 新山君にフラれた彼女の腹癒(はらい)せってやつ」 

 やだぁ、等とはしゃいだ様子で彼女達は教室を後にした。 

 完全に他人事だから言える噂話だよな。溜め息を吐きつつ教室を出ると、俺は話の聞けそうな人間を捜し始めた。 



「ああ、その話? うん。……まぁ、聞いた事はあるわよ」 

 最初に見付けた俺の数少ない話せる女の子の一人、米倉さんに先程聞いた保の噂話の件を尋ねると、かなり歯切れの悪い返事が返って来た。 

「どんな話なのか、詳しく教えて貰えないかな」 

 そう尋ねると、露骨に気不味そうな表情になった。 

「私、噂話って、基本的に好きじゃないのよ」 

 そう言って、あからさまに視線を逸らした。 

「じゃあさ、その怪我したって娘達の名前だけでも教えて貰えないかな」 

 後は本人達に直接聞くから、と俺は続けた。 

 すると米倉さんは、俺をまじまじと見詰め、分かり易い大きな溜め息を吐いてみせた。 

「もー、分かったわ。私もよ。怪我した人間の一人は、私」 

 そう言って、右袖を捲ってみせた。そこにはまだ生々しく残っている傷跡が手首から肘にかけて見事に走っている。 

「何なら足も見る?」 

 俺の返事を聞く前に彼女はジーンズの右足の裾も膝まで捲ってみせた。そこにもやはり腕と同じように生々しい傷跡が走っていた。 

「うわっ! 痛そう」 

 思わず見せられた方が目を逸らしたくなる有様だった。未だ新しいそれは、広範囲にまで及んでいた。 

「痛いわよ、そりゃ。足なんて、太股までやっちゃってるんだから」 

 言いながらズボンの裾を元に戻すと、再び溜め息を吐いた。 

「どんな状況だったか話して貰える?」 

 諦めた彼女は渋々話し始めた。 

「溝にはまったのよ」 

「溝にはまった?」 

 彼女の言葉に、状況を飲み込めずに俺は言葉を繰り返した。 

「そう、溝。平たく言うと落ちたの。ほら、溝って言っても、水が丁度集まるような所があるじゃない? 何て言ったらいいのかな……。あ、交差点みたいになってる感じの所ね」 

 分かるかな、と彼女は言った。 

 何となく彼女の言わんとしている事は理解出来たので俺は黙って頷いた。 

「良かった。でね、私がはまった場所ってね、水が集まる箇所だったみたいでさ、普通の場所より深くなってたのよ。そうだなぁ、腰くらいはあったかな」 

「落ちたのって、片足だけ?」 

「ううん。そうだったら良かったんだけどね。両足よ」 

 そう言って苦々しい顔をした。 

「それで何で右側だけ怪我したんだ?」 

「じゃあ、片瀬君も落ちてみれば?」 

 ひ、ひぇー! 米倉さん、目が据わってるから! 

「冗談よ」 

 俺の顔を見てか、即座にそう否定してくれたものの、超が付く程真面目な米倉さんが言うと、本気なんだか冗談なんだか判断に困る。 

「まぁね、思うに無意識に落ちまいとして塀にでもつかまろうとしてたんじゃないのかな。……急な事だったから、あんまりはっきりとは覚えてないんだけどね」 

 と、彼女は続けた。 

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