第9話
「……その溝って、溝板が何時も外れてたりするの?」
ふと、気になり質問する。
「ああ、それがね、私も気になったのよ」
我が意を得たり――そんな口調で米倉さんが言った。
「そこ、新興住宅地だからね。普段はキチンと蓋がされてるのよ。でもあの日に限って、何故か板が“そこだけ”外されてたのよ。本当、ついてないわよ」
「え? 変……だよなぁ」
「変と言えばさ、他にも気になる事があるのよね」
無意識に口にしていたらしい俺の言葉に、彼女は続けた。
「実はあの時、人に押された感覚があったのよね」
「え? それって単なる怪我じゃないんじゃ……」
「んー、だから感覚なんだって。いや、流石に溝に落ちるなんて恥ずかしいじゃない? 直ぐに周囲を確認したんだけど、誰もいなかったのよね」
「ふーん……じゃあ、本当に気のせいなんだ?」
「んー、多分ね。でもね、もう一つ気になる事があるのよ」
そう言って、彼女は怪我した腕を擦った。
「押される時にね、声がしたのよ」
「声?」
「うん。女の人の声でね、はっきり聞こえたのよ。『ブス』って」
……あれ? 俺、どっかで同じ事、聞いてなかったか?
嫌な感覚が頭を過る。
「なあ、他にも怪我したって娘の名前って、分かる?」
俺が米倉さんに迫ると、それに気圧されたのか、今度はあっさり答えてくれた。
彼女が教えてくれたのは同級生の横山さん、峰岸さん、山下さん。そして、以前、保にアドレス交換を迫っていた――丁度現場に米倉さんと俺が居合わせた――二人の一年。
「え? その二人もなの?」
保と仲が良いようには見えなかったんだけど、と続けると、米倉さんも頷いた。
「でしょう。でも、そうらしいわよ。岩久間さんに聞いたから、間違いないと思うわよ」
え? 何で岩久間さん経由の情報だと、間違いないの?――と、俺が心の中で疑問に思っていたのを知ってか知らずか、米倉さんはこう言った。
「そうそう、岩久間さんもね、その一人だから」
「もー、片瀬君ったら、心配性なんだからぁー!」
その日、米倉さんに岩久間さんと連絡をとって貰った俺は、会うなり彼女にバシッと思いっ切り背中を叩かれた。
「え? え? な、何?」
驚いている俺を余所に、妙なテンションの高さを見せる岩久間さんに、少々……いやいや、かなり俺はどん引いた。
「んもー、照れちゃってぇ。米倉ちゃんに聞いたよー。このこのぉ」
等と、人差し指で腕をツンツンと突ついてくる。
「ああ、米倉さんから」
納得をしてはみたが、実の所何を指して心配性だと称しているのかはさっぱり分からなかった。
「ほんっと、見た目は恐いのに、世話好きなんだからぁ」
「見た目の事はそっとしといて! ……じゃなくて、何処が世話好きなんだよぉ」
「片瀬君、顔、赤くなってるよ」
「なってねぇよ!」
「まぁまぁ。カタやんは世話好き世話好き! それで万事オッケー!」
「のわっ!?」
突然、背後からひょっこり顔を出して来た近藤に本気で驚いた。前回、下手に背後から腕を回した為に投げられそうになった事をどうやら学習しやがったらしい。ちっ。
しかし近藤のガタイだと、むしろ今回も俺の方が潰されるか。
いや、そんな事はどうでもいい!
「何でお前まで出て来るんだよー!」
「ただの通りすがりだってばよぉ。さっきの講義、一緒だったじゃねえかぁ」
「そうだっけか?」
「冷てぇなぁ」
「ねえねえ、米倉ちゃんから片瀬君が私を捜してるって聞いたんだけど、何? やっぱり例の怪我の事?」
ぼやく近藤を尻目に、俺の服を引っ張り可愛い娘ぶった仕草で岩久間さんが言った。
おい、岩久間さん、キャラ変わってるって。
「うん、まあね。……なぁ、ちょっと二人だけで話せないか?」
俺的に、かなり微妙な事を尋ねるつもりだったので、岩久間さんにそう切り出すも、近藤が許してくれそうに無かった。
「片瀬君ったら、つーめーたーいー」
と、背後から抱き付いて来た。
やだ、何よ、気色悪いわね!
「ああ、近藤君の事は心配しなくても大丈夫だよ。多分、片瀬君、近藤君からも話を聞きたいんじゃないかな」
岩久間さんの言葉に、俺と近藤は訳が分からず互いに顔を見合わせたのだった。
「んじゃ何、岩久間さん、ここ最近ずっと生傷が絶えないって事?」
麒翔館大詣でに今日は私用でどうしても行けない旨を保に電話で伝えた後、俺達三人は大学近くのカラオケ店の一室にいた。
着いて早々、アニメソングを熱唱している近藤は置いといて、俺と岩久間さんは話し込んでいた。
「生傷っていうのには語弊があるかもしれないけどね。でも、まぁ、結構きてるわよ」
彼女に限って言えば、災難に遭った回数は、一度や二度じゃないらしい。
烏龍茶の入ったグラスをストローで回しながら、彼女は苦笑した。
「それって、やっぱり噂通り保……いや新山と仲がいいから、かな?」
「あの噂ねぇ。んー……仲が良いと言っても、どの程度の仲なのか微妙だと思わない?」
「と言うと?」
「いやだってさぁ、実際私からすれば新山君よりも片瀬君や近藤君達の方が、仲が良いと思うんだよね。別に新山君と仲が悪いって訳でもないんだけどもさ。友達っていうのでもないし……。幾つか同じ講義をとってる、って程度なんだよね」
……確かに。
「まぁ、この性格だからね、色んな人とはフレンドリーだけどさ。新山君に関しては、知り合い以上友達未満って程度だと思うんだよね。多分、新山君本人もその程度の認識なんじゃないのかなぁ」
そう言われれば確かにそうかもしれない。
俺が考え込んでいると、歌い飽きたらしい近藤がドサリと俺の隣りに座った。
「なぁ、岩久間さん。岩久間さんは新山のメールアドレス知ってるの?」
唐突にそんな質問をした近藤に、俺と岩久間さんは一瞬目が点になった。
「なぁ、なぁ」
近藤が急かすと、岩久間さんは気圧されたかのように、知らないと答えた。
「んじゃ、やっぱり、岩久間さんの言う通り、新山とは友達じゃねぇって事か」
近藤はふっ、と笑ってみせた。
……って、何笑ってんのよ、近藤君! 俺にはさっぱり話が見えなくてよ!
「んじゃ、俺にメアド教えて」
おい。何処をどう解釈したらこの文脈で“んじゃ”になるんだよ。
とか言いつつ、俺もと便乗し携帯を構える。
ここ最近、頓(とみ)に岩久間さんに尋ねる事が多くなっている俺としては、知っていれば何かと便利に違いない。
「あ、そう言えば二人には教えて無かったっけ? いやぁ、うっかりうっかり」
と、笑って自分の携帯を開いた。二人も教えてね、とちゃっかり付け加えて。
互いにアドレスを交換しあうと、隣りで近藤が小さくガッツポーズを作ってみせた。
「女の子のアドレス、初ゲット!」
と、俺にしか聞こえないように言った。
おおっ! 確かに俺もそうだった。
「何二人で赤くなってんのよ。ところで近藤君、何で私が新山君のメアドを知ってるのか聞いたの?」
うん。それは俺も聞きたい。
「ん? いや、新山がさぁ、友達以外にはアドレス教えてない、って言ってたんだよ。な、カタやん」
「うえ? そうだっけ?」
俺の返事に、近藤は困った子を見る顔になった。
「カタやん、前から思ってたんだけどよぉ、お前、ちぃーとばかし記憶力に難有りだぞぉ。ほら、一緒にいたじゃねえかよ、あの時」
と、かなり失礼な事を言いつつ、先日保にアドレス交換を迫っていた二人組みの一件を思い出させた。
ああ、成る程。そんな事言ってたな。
「んじゃ、益々“保友達災難説”ってのが成り立たねぇじゃん」
取り敢えずここは大人になって、近藤の俺の難有りな記憶力発言をスルーしつつ首を捻る。
「んー……とは、思うんだけどね、一つ気になる事があるんだよね」
岩久間さんは指で自分のこめかみを叩きながら呟いた。
「気になる事って?」
「いや、私の場合、そんな事があった日には、必ず新山君と話しているんだよね。その前に」
余りにも妙な事が立て続けに起こる為に、その日の出来事を書き出して見比べてみたというのだ。
「見てみる?」
そう言って岩久間さんが差し出したルーズリーフのあるページには、日付と、その日何処へ行ったか、何をしたか、誰と会ったか等々細かく箇条書きにされていた。
「ほら、ここ。全部新山君の名前があるでしょ?」
蛍光ペンでマークされたそれ。言われてみれば全てが保の名前だった。
しかし、それだけで保に関係があるとは到底思えない。
「ちょっと気になる事があるんだけど……。岩久間さん、菊地さん達と仲良かったよね? 彼女達の名前が一つも無いんだけど、何で?」
「ああ、菊ちゃん達ね。だって、毎日のように会ってるんだよ。つまりは怪我する日以外にも会ってるって事になるでしょう? 流石に関係無いでしょう」
至極、ご尤もなご意見、ありがとう。
だとすると、確かに保に関わって災難に遭っているというのが、あながち単なる中傷とは思えなくなってくる。
「じゃあさぁ、噂されている他の娘達はどうなの?」
そう彼女に尋ねると、横から近藤が答えた。
「そういや、山下さんも新山と話した直後に転んでたなぁ……」
近藤は独り言のように言った。……と言うか、独り言にしちゃあ、声がデカいって。
「転んだって?」
「そうそう、山下さんから聞いたよ! 近藤君が助けてあげたんだって? 山下さん、感謝してたよぉ。近藤君、素敵、って」
「いやぁ、そんな事……も、あるかなぁ」
何、この状況。俺だけが、この現状を理解してないの? 何か俺って、可哀想な子丸出しじゃなくねぇ?
「何、二人で盛り上がってんだよー?」
「あ、ごめん、ごめん。片瀬君、知らないんだよね? 実は山下さんも例の災難に遭っててさ。それを偶然助けてあげたのが、こちら、近藤君でぇすっ」
バスガイドさんみたく、手で近藤を示すと、近藤もいやそんな、等と照れてみせた。
二人の話によると、ある講義の後保と話をしていた山下さんが、教室移動の為に人気の無い階段を一人で登っていたのだそうだ。その際、階段を登り切った所で彼女は頭から後ろにひっくり返るようにして足を滑らせたのだ。幸い、数人の男共と、同じく教室移動をしていた近藤が通り掛かった為に、咄嗟に落ちて来た彼女を受け止める事が出来たので大事に至らなかったのだという。明らかに見ていた近藤達からすれば、彼女は勝手に落ちて来たのだというのに、彼女は誰かがいた筈だと言って譲らなかったらしい。後ろから誰かに髪を引っ張られたのだ、と。
一瞬、米倉さんの怪我の話が頭を過った。何か引っ掛かる物を感じた。もう喉に引っ掛かってとれない小骨のような違和感。
「ゲホゴホゴホ!」
何かを思い出し掛けていた。けれど、隣で飲んでいたアイス烏龍茶が気管に入りに噎せたらしい近藤に気をとられた俺は、物思いから覚めた。
「……ったく、子供じゃないんだから、落ち着けよ」
言いながら背中を摩ってやっていると、やっと落ち着いたらしい近藤が再び烏龍茶に口を付けた。
「けど、何で山下さんと保が話してたのをお前が知ってるんだ?」
「ん? だって俺、前の講義、二人と一緒だったんだよ。講義が終わった後、二人で話してるのを見掛けてたからな」
納得。じゃあ、やっぱり保絡みなのか?
「でもさ、それだけで保が災難の元凶ってのはなぁ。三人だけだろ?」
山下さんに岩久間さん、それに米倉さんを入れたとしても三人しか保と話した後に変な事が起こった、とは言えない話だ。うん、まだこれだけでは保絡みで災難が起きていると言うには、早急過ぎる。
「え? 違うよ。ここ最近、同じような目に遭った他の人達にも聞いたんだけどね、やっぱり変な事が起きる前には、必ずみんな新山君と話してたみたいなんだよねぇ」
同時にある事に考えが至った俺と近藤は、思わず岩久間さんの顔を見詰めたまま、固まってしまった。
近藤に至っては、口に含んでいた烏龍茶をリバースさせる始末。
「それって……」
「何だよぉ。そしたら今回の噂の出所は、ひょっとして岩久間さんなのかぁ? 人騒がせな奴だなぁ」
せっせと自分の粗相の後始末をしながら、近藤は独り言のように言った。
いや、だからね、近藤君、君の場合、独り言になってないから。
「えー!? 酷いよ! 片瀬君達、私の事をそんな風に思ってたの?」
明らかに気分を害したらしい岩久間さんは、不貞腐れてソファーにうっ伏した。
「ちょっと待て。俺はんな事、ひとっことも言ってねえぞ」
「じゃあ、片瀬君は私が噂の出所だと思ってないって誓える?」
慌てて執り成す俺に、顔だけ上げた岩久間さんが上目遣いで睨んで来た。
「やっぱり、片瀬君も私の事、疑ってるんだー!」
何時までも岩久間さんの問いに答えない俺に、彼女は大声を上げて再び顔を伏せた。
ごめん、岩久間さん! 俺、昔っから嘘だけはつけない質なんだよ……基本的に。
心の中で両手を合わせるも、それでも何だかスッキリしない。
確かに、そんな事を聞いて回れば、聞かれた人間の口を介して『保絡み』って話が生まれるかもしれない。けど、本当にそうであるならば『保“友人”災難説』にまで話が膨らむだろうか? よしんば『保“友人”災難説』として、噂が伝言ゲームのように膨らんだとしても、明らかに誰が考えても友人で無いと思われる例の一年の女の子達までもがその中に入ってくるのはおかしくはないだろうか?
「……言っとくけど、私が皆に聞いて回ったのは、“新山君の親しい友達”が、立て続けに災難に遭ってる、って噂を耳にしてからだからね」
俯せになったままの彼女の反論の声は少々籠っていた。
「……じゃあ、先ず先に“噂”があってから、聞いて回ったって事?」
「当然じゃない! そんな事、当事者の私なんかが聞いて回ったりしたら、変な噂が出る事くらい、子供じゃないんだから分かるわよ!」
俺の問い掛けに彼女は起き上がると背筋を伸ばして、キッパリと言った。
確かに、彼女の性格から考えても、自分から噂話を広めたがる人間ではないだろう。
「変な噂が流れてる、って耳にして、その当事者に私の名前が入ってるじゃない。正直、眉唾だとは思ったんだけどさ。……まぁそんな噂を耳にする前から、個人的に新山君と話した日に変な事が私自身に起きてた事は自覚してたけどね」
そう言い、チラリと先程のルーズリーフを彼女は見た。
「あ、そう言えば、一年の女子にも被害に遭ったって娘がいなかったかぁ?」
俺の分のサイダーを勝手に飲んでいた近藤は言った。
「一年って? ……じゃなくて、おめぇ、また勝手に人のジュースをっ!」
「一年? ああ……って、近藤君、やけに詳しいね」
「んー。いや、一応さ、噂話なんかが耳に入って来るんだよぉ。これでもアメフトの次期主将候補だからよぉ」
と、近藤は、ゲボッと大きなゲップを一つ吐いた。
「一年って、ほれ、新山にメアドを教えてくれって迫ってた二人組がいただろう。あれよ、あれぇ」
ヒソヒソ声で、俺にだけ聞こえるように近藤は言った。やれば出来る子だったんだね、近藤君。
「そっかぁ。そうだよねぇ。近藤君って、アメフト部のエースだもんね」
と、妙な感心をしつつ、岩久間さんが答えた。
「多分、それって文学部の一年だよ。一年で変な事が起きた、って娘達、噂にあがっているのは二人しか聞いてないから。それに法学部以外って、彼女達だけだし」
でも、と彼女は言葉を濁した。
「一人の娘の方は、やたらと吹聴してるみたいなんだよね。こう、変な話……自慢してる、みたいな」
「何だ、それ?」
俺と近藤は、思わず声を揃えて言った。
「や、私がそう感じただけ……なのかもしれないんだけどね。いや、『私、新山さんと親しいからぁ』みたいな」
一部、物真似くさい妙な女の子口調を入れつつ、彼女は言った。しかも、その一年、怪我をした訳でも無いらしい。ましてや岩久間さんのように、何度も危うい状況に陥った訳でもないという。
「なのに何かね、色んな人から噂が耳に入って来るのよね。実際に話してるのも目撃したんだけどね。角田(かどた)さん……あ、その一年生の名前なんだけどね、彼女、凄く危険な目に遭った、って言ってるみたい」
それにしては無傷だし、詳しい事は誰も知らないという。
「その時、二人いたらしいんだけどね、その一緒にいたって娘に聞いた人間もいるみたいなんだけど、彼女は何も言わないらしくって。で、結局、誰も詳しい事は知らないらしいんだよね。ね、変でしょう?」
と、岩久間さんは言った。
案外、噂の出所はこの辺りにあるのではないのだろうか、と俺は溜め息を吐いた。
……でも、ちょっと変だよな?
「ん? 何が変なんだぁ?」
ふと思った事を口にしていたらしい。近藤が、新たに歌う曲を入力しながら言った。
「いや、ほら、あれだよ。その災難に遭ってるのって、女の子だけなのかな、って」
「ああ、そう言われれば聞かないよね。男の子の中にそんな子いた?」
「んにゃ、俺は聞いてねぇなぁ。女子限定なんじゃねぇの?」
と、無責任な事を言いつつ、近藤はマイクを握り締めて立ち上がった。
……て言うか、俺、一曲も歌ってねぇのに、カラオケボックス(ここ)の払いは俺かよ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます