第7話
保の側に到着すると、ツレの一人である及川大(おいかわ まさる)と二人になっていた。
及川は俺達と同じ学部、同じ学年で、俺や近藤と肩を並べる程の長身の持ち主でもある。
そこへ例の二人組が近付いて来て言った。
「あの、ちょっといいですか? えっと、あの、新山さんが携帯のアドレス交換をしてるって聞いたんですけど」
と言って、先程の女の子がミサという娘を保の方へ押しやった。
「この娘ともメアドの交換をして貰えませんか?」
及川と保の二人が、一瞬固まったのが見て取れた。何言ってんのよ、あんた達!、てな心境なのか、もしくは、はい?、てな心境なのだろう。
「え? あ、ちょっと何か誤解してへん?」
保が我に返り慌てて否定した。
「新山、それじゃあ俺、行くわ。頑張れよ、イロオト、コ!」
ポンと保の肩を叩くと、及川は俺達の方にも軽く手を振り立ち去った。
そんな及川の後ろ姿を俺達はゲンナリとした顔で見送った。
「……及川(あいつ)、めちゃくちゃキャラが変わってたなぁ」
「絶対、今いる娘達を意識して格好つけやがったな」
「お前に相通ずるもんがあったなぁ」
「何処がだよ! 一緒にするな、一緒に!」
俺が近藤に文句を言っていると、困惑した保の声が聞こえて来た。
「……いや、あんな、悪いねんけどメアドの交換なんてしとらんねんけど」
「えーっ! マユミもアドレス交換して貰った、って言ってましたよー!」
頑張る彼女の横で、ミサと呼ばれた彼女は必死に彼女の服を引っ張り、もうこれ以上言わせないようにしようとしていた。けれど、彼女は一向に止めようとはしなかった。それどころか、「ミサは黙ってて」とまで言う始末。
「え? マユミって?」
「タブチマユミです」
「……ん? ああ、田渕さん!」
ポンと手を叩きそうな勢いで保は納得すると、「ごめんねぇ」と謝った。
「田渕さんにも俺、アドレスなんて教えてないし、彼女にも教えてもろてないよ」
「え、でもマユミは……」
「いや、せやからそれが誤解やねんって。田渕さんには、彼女がバイトしてはるお店の電話番号と営業時間を教えてもろただけやねん、て」
「あ、新山君、おはよう。携帯のデータが飛んだって聞いたけど大丈夫?」
保が二人に説明しているそばから、別の女の子が声を掛けてきた。彼女は俺達と同じ学年で、才女と噂される逸材。
「あ、良かった! 米倉さんのメールアドレスも聞いとかんとあかんかってん。これ、俺の新しいアドレスやねんけど、メール送ったってくれへん?」
「じゃあ、赤外線通信する?」
「いや、それはええわ。メアドだけで充分です」
「ああ、了解」
米倉さんは苦笑すると、保の携帯電話のディスプレイを覗き込むみ、ポチポチと自分の携帯に打ち込み始めた。
「新山さん、やっぱりアド交換してるじゃないですかー!」
二人の様子を見ていた彼女が保に詰め寄ると、保は困った顔をした。
「いや、せやから、友達とはしてる。それって普通の事やろ?」
「でも!」
「んー……あんなぁ、悪いねんけど、僕、友達以外の人間とはアドレス交換した事ないし、これからもするつもりないねん」
保の言葉に尚も食い下がろうとする彼女に、保は遮るように続けた。
「キツい言い方かもしれへんねんけどな、君等かて、友達以外の人にそうそうアドレスとか簡単に教えたったらあかんと思うよ。女の子やねんから、特に気ぃ付けやんと」
何時になく真面目な事を言っているにもかかわらず、たいして真面目な話に聞こえないのは関西弁のせいなのか否か。
けれどミサという娘にはちゃんと伝わったらしい。保に一礼すると、尚も粘ろうとしていた連れの女の子を引っ張って去って行った。
「よ! 色男!」
ニヤニヤしつつ保に近寄りながら近藤が言った。
「ちょー、お前等も見とらんで助けてくれりゃええのにぃ!」
俺達二人の方に困った顔を向けて保が言った。
「ありゃ、気付いてたか」
と、近藤が豪快に笑った。
「そりゃ気付くわ。んなガタイのデカイ奴が二人も並んでりゃあ」
「ちょっと待て、俺と近藤(こいつ)を一緒にするな! 俺はスラッとしてるんだ。単に大きい訳じゃないぞ!」
「まぁまぁ、カタやん、チビッコの僻みだ。気にするな」
「ちょお待てや! 俺はチビッコやないぞ!」
「二人が並ぶと確かに迫力あるものねぇ」
収拾がつかなくなってきた頃、笑いを堪えながら米倉さんが言った。
「はい、これ。でも新山君、気を付けた方がいいわよ。今の娘達、明らかにミサって娘より、捲し立ててた娘の方が新山君のアドレスを欲しがってたから」
保に携帯を返すと、すぐに保の携帯がメールの着信を告げる音がした。
「顔だけは良いもんなぁ」
近藤は嫉妬するでもなく、ただ真実を述べただけだった。
「顔だけって何やねん! 顔なんかより中身のがええっちゅうねん」
保が反論すると、米倉さんは手を振って遮った。
「まぁ、新山君の顔の事は兎も角、女の子達に人気があるのは確かなんだからさ、良くも悪くも。気を付けた方がいいと思うわよ」
苦笑しつつ、保の腕を軽く叩くと、じゃあね、と言って立ち去ったのだった。
「ちゅー訳やねん」
学校帰り、日課の麒翔館大詣で。そこの学食で、食べ損ねた遅い昼食をとりながら、俺は保に事の顛末を聞かされていた。
昨日、大学近くの交番に届けられたという携帯からは、本当に全てのデータが削除されていたのだという。写真や画像、音楽ファイルにとどまらず、アドレスまでもが影も形も無くなってしまっていたらしい。
しかし、保自身、一番ショックを受けたのは、そんな事ではなかったようだ。アドレスの中に溜めに溜め込んでいたデータの方が重要だったらしい。
それは、保が集めに集めたラーメン店のデータだった。無類のラーメン好きでもある保が、自分の足で探した店の電話番号、営業時間、住所から保的店のお薦めラーメンや値段に至るまでが記されていたという。しかもそのラーメンの写真までをも整理していたというのだ。
……って、お前の携帯の一番の重要度はそこなのか?
「いや、だってさぁ、友達のアドレスなんかはまた聞きゃあ済むやん。せやけどあれだけのラーメンデータは、そうそうないんやで!」
保は、何故バックアップを取っておかなかったのだろう、とぼやいたのだった。
いや保君、問題の本質はそこじゃないから。
「けどさぁ、冗談は抜きにして、本当にマズくねぇか?」
俺が言うと、保はさっきまでの脳天気な様子を消した。
「……それを言うなや」
頬杖を突いて溜め息を吐く。
他の人間が気付いているのか否か。ここ一連の保の紛失物に、俺達は明らかに作為的な悪意を感じ始めていた。
最初は単なる落とし物かとも思えていたものが、三度目ともなると、こう見えて意外としっかり者の保の事、有り得ない頻度としか思えない。しかも、単なる落とし物としては雑誌――あれが保の雑誌だったとしての話だが――や携帯にされた事を考えると、単なる悪戯では済まされないものを感じるのだ。そう、平たく言うと、嫌がらせ、ってやつ。
「お前、何か心当たり無いのか」
「心当たりって何やねんな」
「つまりさ、お前が誰かから嫌がらせされてるんじゃないのかって事」
「誰かって、誰やねん」
「何故質問を質問で返すかなぁ」
と、そこまで言って、お互いに虚しくなって大きな溜め息を吐いたのだった。
「すみません。この本返却で、こっちの二冊を貸し出しでお願いします」
その日も内場さん捜しをした後、麒翔館大の図書館で俺が何時ものように本の貸し出しをして貰っていると、図書館の入口でシネマ・フェスティバルのポスターを眺めていた筈の保が珍しく本を片手に受付にやって来た。
「カタやん、本借りたいんやけど、どないしたらええん?」
見ると保は聞いた事の無い作家の本を一冊手にしていた。
「あら、貴方その監督のファンなの?」
俺の本の受付をしてくれていた司書の女性――田中さんが、嬉しそうな声を上げた。
「え、まぁ」
しかし、行き成りの質問に、珍しく保は困ったように口籠った。
「うわぁ、嬉しい! この本、この図書館に入れてから、借りてくれる人がほとんどいなかったのよぉ」
ホクホク顔で受付を完了した本を俺に差し出すと、彼女は早速保の本を受け取った。
「あ、やっぱり。この本ね、五年前入れたのに、君でまだ二人目よ」
本のバーコードを読み込みパソコンで確認した後、彼女はにっこりと破顔した。そして貸し出しカードを作る為の申請用紙を保に差し出した。その間も、マシンガン並みに会話が続いていた。……と言うより、彼女が一方的に話していただけなのだが。
余りのテンションの高さに、保だけでなく何時もお世話になっている筈の俺までもがドン引き気味になる。
田中さんって、こういうキャラだったっけ?
「実は私もこの監督のファンなのよ。本当に嬉しいわぁ」
テキパキと保に貸し出しカード申請用紙の記入欄の書き方を指示しながら、彼女は続けた。隣にいた年嵩の別の女性司書は、そんな彼女の姿に肩を震わせ必死に笑いを堪えている。
「そうそう、君、この監督の映画、全部観た事ある?」
書き上がった申請用紙を元に、出来上がったカードと貸し出す本を保に差し出しながら彼女は言った。
「え、あ、観ましたよ」
何時もはお喋りな保が、やっと口を挟む事が出来た。
「ほんとにぃ?」
と、彼女はカウンター越しに意地の悪い笑みを浮かべた。
「じゃあ、これ知ってる?」
そう言って彼女は何作かのタイトルを挙げた。それに対して保は驚いたように首を振る。
「やっぱり。実はその辺りの作品ってね、彼の無名時代に作った作品なのよ。で、あまり知られてないのよねぇ」
マニア同士、どうやらコアな会話を交わしているのだけは何と無く分かった。しきりと感心する保とは対照的に、俺にはさっぱり分からない会話が続いていた。
「学生時代にアルバイトで出演した作品なら、観た事ありますよ」
「ああ、あの駄作ね。あれは問題外。……って、君、本当に好きみたいね。じゃあ、お姉さんが、いい事を教えてあげましょう」
と、彼女は隣りの市にある公立の図書館の名を告げた。
「実はそこの図書館に、彼の監督作や出演した映画は勿論、彼が書いた本から関連する本まで全てが揃っているのよ、少年!」
田中さんが言うには、そこはその監督の出身地だそうで、監督自らがその大半を市に寄贈したのだそうだ。
「ファンなら一度は行っておくべきよ!」
ガシッ!、と、擬音の付きそうなくらいの勢いで保の腕を掴むと、田中さんは熱い思いを告げた。
「ありがとうございます! 絶対行きます!」
保もそんな彼女に負けず劣らず力強く手を重ねると、宣言した。
……何か、やだ。こんな田中さん。
俺が一人心の内で涙している頃、田中さんの隣にいる司書の女性は、とうとう笑いを噛み殺すのを諦め、声を出して爆笑していたのだった。
「捨てる神あれば、拾う神ありやな!」
麒翔館大からの帰り道、さっきまでの凹みようが何だったのかと首を傾げたくなるくらいの上機嫌さで保が言った。
その手には貸し出して貰ったばかりのあの本が、しっかりと握られている。
「なぁ、その本の著者って、何者よ」
余りの浮かれようについつい素朴な疑問が口を突いて出た。
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