第2話
「え? どうするかは、本人次第でしょ。一応、声は掛けとくから。……はいはい、分かってますって」
所在無げに、聞くとはなしに彼女の話を聞いていると、突然、彼女の顔色が変わった。
「えっ!? 場所は? ……ええ、わかったわ。今から向かいます。あ、そうそう、明日には必ず振り込んでおいて下さいよ」
自分の言いたい事だけをさっさと告げて、一方的に彼女は電話を切ってしまった。
「あ、あの!」
俺は駆け出そうとしていた彼女に咄嗟に声を掛けた。
「ああ、ごめん。今、時間が無いのよ」
彼女は肩から掛けていたブランド物の小さなバッグから名刺ケースを取り出した。
「はい、これ。何かあったら連絡頂戴」
彼女は強引に名刺を握らせると、俺の頬にキスをして嵐のように走り去った。
俺の手には、『awf総合コンサルタント 環境調査部 柊桜子(ひいらぎ さくらこ)』と書かれた一枚の名刺が残されていたのだった。
……で、ここは何処よ!!
*
「カタやん、昼飯食いに行かへんか?」
柊桜子というあの訳の分からない女と出会って一週間が経とうとしていた。講義も始まり、何時もの生活パターンが繰り返されるようになっていた。
そんな何時もの昼休憩に、俺は妙にテンションの高い保に捕まった。講義を終えテキストを鞄にしまっていると、この講義を履修していない筈の保が、後ろの席から声を掛けてきたのだ。
「何? お前、黒田の憲法とってたっけ?」
テキストを片付け終わった鞄を肩から掛け、保を促すように歩き出す。
こいつ、新山保(にいやま たもつ)。俺のツレ。と言うか、むしろ腐れ縁。先日のラーメン自棄食いの人物。目下、俺の胃袋の天敵。
俺が父親の仕事の都合で転校を繰り返してきたのと同様、こいつも父親の仕事の都合で転校を繰り返していた。しかもその際、何の冗談か、転校先で何度か一緒になる事があった。流石に大学は独り暮らしをする事になった俺だが、まさか大学(ここ)に来てまで保と一緒になろうとは、良く当たると巷で有名な占い師ですら、流石に予知出来なかっただろう。
「んにゃ、とっとらんへんよ。俺は住田の爺様の方やから」
何故か、近畿地方での転校が多かった保は、未だに関西弁が抜けないらしい。
「……あんな、ちょお聞いて欲しい事があんねやけどな」
「んだよ、気持ち悪い奴だなぁ。あ、金ならねえぞ。この間新しい眼鏡買ったばかりだからな」
「失礼なやっちゃなぁ。んな事とちゃうわ」
「はいはい。あ、学食でいいか?」
頷く保を伴って、二人で学食へと向かう。
何時も思うのだが、こいつと一緒に歩くと視線が痛い。よく女の子達に声を掛けられたりもする。
……保がな。
喋り方は兎も角、実はこいつ、意外と男前だったりする。一見するとヴィジュアル系バンドのボーカルのような顔立ちな上に、適度にガッチリとした筋肉質の身体の持ち主でもある。
そんな男を放っておけという方が、どだい無理な話だろう。事実、嘘か誠かモデル事務所からも何度となくお声が掛かっているらしい。
あ、これは女の子達から仕入れた噂話。流石に、面と向かって本人に尋ねるのは気が引ける。と言うか、むしろ照れ臭いので未だ真偽の程は定かではない。
「何や、また度の無い眼鏡こうたんかいな」
横を歩く保が、呆れたような声を出した。
「似合うからええようなもんの、何かムカつくなぁ」
言いながら保はカラカラと大声で笑った。
その理由を知らないとはいえ、俺が子供の頃から伊達眼鏡を掛けているのを知っている保は、何時もこんな風に何の含みも無く笑うのだ。小学生の頃から掛けている伊達眼鏡に関して、唯一何も理由を尋ねなかったのも保だけだった。
実は保の奴、その神経質そうに見える外見とは裏腹に、かなり大雑把な性格をしている。その為、保の彼女になった人間からしてみれば、『こんな筈じゃなかった』とか『こんな人だとは思わなかった』と、なるのである。その外見の為か、今まで保から告白等と言うものをした事は無い筈だが、大抵、最後にこのテの捨て台詞と共に、彼女等は去って行くらしい。
……で、この間、珍しく保が壊れた。
大体に於いて、人にも物にも執着する方ではない保だが、久々に半年保った彼女にフラれたショックはモテた試しのない俺には想像もつかない程のものだったらしい。そこで保は、自分には何かが足りないのではないかと自棄になり、あの奇行に出たと言う訳。
俺としては、保の相手に対する気持ちが足りなかったんだろう、と言うツッコミを入れたかったが、まあ、あれだ。流石に控えた訳よ。ああ、俺っていい奴。
別に女ったらしではないが、正直、“来る者拒まず”な性格が災いしているとしか俺には思えない。
「あ、新山君」
学食の入口で、保が声を掛けられた。ちょっと派手めの美人で、よく保の周囲で見掛ける女の子だった。
「ん? 何や?」
学食の入口の硝子扉を押し、極自然な動きで先に彼女を中に入れてやりながら言った。
「ねえねえ、今度の土曜、予定ある?」
「んにゃ」
俺は嬉しそうに問い返す保に呆れつつ、食券の自動販売機に向かった。やっぱりその愛想の良さは罪だわな。
そんな事を思いつつ、彼女を横目で見遣る。
「じゃあ、一緒に映画を観に行かない? 試写会のチケットがあるんだけど」
「え? 何の映画?」
敵もなかなかの策士だ。保はああ見えてかなりの映画マニアだ。古今東西、名作から駄作まで何でもOKな人間なのだ。
未だ観ていない映画のチケットならば、ほぼ間違いなく誘いに乗るだろう。しかも公開前の映画の試写会のチケットである。奴ならば、確実に講義をサボってでもホイホイついて行くだろう。
俺はそんな保を待たずに食券を持って食事待ちの列に並んだ。すると、間も無くして俺の直ぐ後ろに保が姿を現した。
「何、もういいのか?」
「ああ……まぁ、うん」
保らしくもない歯切れの悪さに、俺は眉を顰めた。
「で、さっきの彼女とは映画に行く事になったのか?」
カウンターで食券とカレーライスを引き換えながら、同じくカレーライスを受け取っている保に尋ねた。
しかし保は、それに対して返事をしようとはしなかった。何時もならば、無駄に饒舌な保が、である。
妙に思い首を捻りながらも、俺は空いている席に着くと早速カレーを食べ始める。
一緒に席に着いた保はと言うと、カレーライスをスプーンで混ぜるだけで、一向に食べる様子を見せない。
「ん? 何? 食べないのか?」
「いや、食べるけど……」
そう言う保に呆れたような視線を向けると、俺は再びスプーンを口に運び始めた。
「やっぱあかんわ!」
と、突然保は言うなり立ち上がった。
驚いていると、学食内をキョロキョロと見回し、ズカズカと先程保に声を掛けてきた彼女の座っている席へと歩いて行く。どうやら彼女は、数人の男子学生と共に食事中だったようだ。彼女等が突然現れた保に驚いているのが、かなり離れた席にいる俺にもよく分かった。
何やら自分の言いたい事だけ言ったらしい保が立ち去ろうとすると、今度は彼女が保の腕を掴んで耳元で何やら告げた。それに対し、保は彼女の手を剥し、両手で拝んで謝る素振りを見せた。
「さぁ、食ったんでーっ!」
何とか相手を納得させたらしい保が席に戻って来るなり発した第一声がこれだった。
さっきまでの様子が嘘のように、ガツガツとこちらが呆れる程の勢いでカレーを掻き込んでいく。その間に、映画の誘いを一度は受けたがやっぱり断った、と何だか妙に嬉しそうなトーンで自ら告げた。
……たもっちゃん、俺、さっきの彼女の視線が痛くて堪らないのですが、気のせいですか?
そんな小心者の俺を余所に、俺よりも先に食べ終えた保は、食後のデザートとばかりにアイスまで食べていた。
「んで何なの、俺に話したい事って」
俺が自販機で買ってきた紙コップ入りの珈琲を持って席に戻って来ても尚、なかなか肝心の話を切り出そうとしない保に問うた。
「んー……カタやん、芝小(しばしょう)の内場理子(うちば りこ)って娘ぉ、覚えとお?」
突然の質問に、俺は考え込んだ。
芝小ってのは俺と保が初めて出会った学校だった。あれは確か、小学校の三年だったか……。
当時の俺は、まだ眼鏡を掛けておらず、かなり神経質で無口な少年だった記憶がうっすらと……。って、俺の事はこの際関係無いか。
えーっと、えーっと……。
「誰だっけ?」
簡単にギブアップした俺に、保は露骨に嫌な顔をした。
「お前、そりゃないやろ? 内場さんって、カタやんのクラスやったやんか」
「え? そうだっけ? ……うーん、やっぱり分かんねぇや」
「ったく、しゃーないなぁ」
言うなり、保は鞄の中からルーズリーフとシャーペンを取り出し、似顔絵を描き始めた。
実はこいつ、こう見えて意外に器用だったりする。美術系の大学へ行くものだとばかり思っていたくらいだ。何故、行かなかったのか聞いたところ、他にやりたい事があったから、と実にあっさりとした答えが返って来たっけ。
「ほら、これ」
描き上がった似顔絵を俺に向け、テーブルの上で滑らせ保は言った。
それは、腰までありそうな長い髪を二本の三つ編みにした生真面目そうな少女の姿だった。クラスメートは常に彼女を遠巻きに見ていた。
俺の記憶では、彼女はいじめられていた訳ではない。が、何故か何時も独りだった。
……代わりに別の存在が、彼女の周りに集まって来ていた。そう、人にあらざる存在がウヨウヨと。
「……思い出した」
一気に嫌な思い出と共に記憶が甦ってきた。
彼女を見ると、何時も彼女の周りにいる何体かの霊と必ずと言っていい程目が合った。その度に、俺は俺の元に来る奴等を何度も泣きながらお持ち帰りしたものだった。
当時住んでいた家の近くに寺があり、そこに住む引退した先代住職が、幸い何も言わずに通り掛かる度に御祓いをしてくれていた為、大して実害は無かったのだが、嫌な思い出には違いない。しかもその爺様住職の見た目の恐さったらなかった。変な憑物は取って欲しいが、住職は恐い。今にして思えば、あれは正に究極の選択だったような気がする。
「で、内場さんが何?」
嫌な思い出のせいで、幾分口調に棘が出てしまうのは否めなかったが、その事に全く気付いていないお気楽な保は目尻を下げて言った。
「俺なぁ、内場さんの事、昔っから好きやってん」
「はい?」
今の俺は、きっと間の抜けた顔をしていたに違いない。
何故、こんなに突然、お前の昔の片想いの話なんぞを聞かされなきゃならんのだ。
「いやぁ、昔も可愛かったんやけど、今はもんの凄い美人さんになってはったんやわぁ」
等と独り悦に入った保は、鞄から一冊の女性のファッション雑誌を取り出した。
「ほら、これ、見たってぇな」
と、とあるページを開いて見せた。そのページは街角で見掛けたオシャレさん的企画ページで、何人かの女の子達が普段着姿ではにかんだ様子で写っていた。中でも大きな扱いを受けている一人の女の子が目を惹いた。他の女の子達が素人丸出しの態とらしい笑顔であるのに対し、彼女だけは自然な微笑をたたえている。そして、確かに別格扱いに相応しい美人でもあった。
「……っていうか、お前、女性誌なんて買うんだ?」
「んにゃ。この間まで付き合ってた娘が、部屋に忘れていきよってん。……あ、これこれ、この娘この娘!」
すっかり失恋の痛みから立ち直ったらしい保に呆れつつも、奴がトントンと指で叩いて指し示した箇所を見る。そこにはさっき俺が別格扱いされていると感じた彼女がいた。
「え? これが?」
俺の記憶が綻びているのか、記憶の中の内場理子とは、全く結び付かない。
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