第3話

 暫く凝視した後、俺は言った。

「……別人じゃん」

「え? 何処が?」

「全部」

「えー? 同一人物やん!」

「何処がよ。冗談はお前の顔だけにしろよ」

「えー! ほんまに内場さんやって!」

「えー」

「そうやって。絶対、間違いないって!」

 力強く言い切る保の声を聞きながら、写真の中の彼女を再びじっと見詰める。

 ……さっぱり分からねぇ。

「まぁ、そんなに言うなら別に内場さんでもいいけどさぁ」

 諦めて保の主張を肯定すると、ガシッと保に両肩を掴まれた。

「なぁ、頼むわ! 一緒に内場さん捜すん、手伝ったってぇな!!」

「はい?」

 保が主張する内場さんらしき人物に限らず、このページに掲載されている女の子達の情報は、名前すら無いのだ。辛うじて分かるのは、年齢、職業、もしくは学生ならば学年くらいしかない。それだけの情報で、どうやって捜せというのだろうか?

「冗談はよせ。この写真だけでどうやって捜そうってんだ?」

 保に掴まれた腕を剥しながら呆れたように言う。

「大丈夫! この写真を撮った場所は分かっとおねん!」

 保は妙に自信満々な様子で言った。

「ほら、見たってぇな。ここ、ここ! 『大学帰り』って、なっとおやろ?」

 そう記事を指差しながら言う。

「ほら、ここに写っとう古本屋、知っとおやろ?」

 言われて思い出す。確かに保の言う通り、前にこいつと講義に必要だった本を探しまわっていた時に入った店の一つだった。

 俺が渋々頷くと、勢い付いたように保は続けた。

「で、この撮影現場の近くにあるんが麒翔館(きしょうかん)大やねん。他になーんも大学が無いから、間違いなく、そこやと思うねん」

「麒翔館大ねぇ……」

 麒翔館大学は、うちの大学から五駅程離れた場所にある大学だった。まあ、確かにあの店からだと、そこくらいしか大学は無いだろう。

 それにしても……。

「たもっちゃん、縦しんば内場さんが麒翔館大に通っていたとしてもだなぁ、あそこ、かなり大きいぞ。どうやって捜すつもりだよ」

 肝心な事を問う俺に、保は全身から溢れんばかりの自信を漲らせて言った。

「愛があれば巡り逢えるさっ!」

「巡り逢えるさ、っておい! ……どっから来るんだ、その根拠の無い自信は? と言うか、やっぱり俺も捜さなきゃダメなのか?」

「よろしくお願いしますっ!」

 ……ははははは。

 学食内に、俺の力の無い笑いが響いたのだった。



     *



「本当に見付かるのかぁ?」

 あれから数日、地味に内場さんの捜索を続けている俺達。お互い、講義やバイトの合間をぬっての人捜しなので、なかなかはかどらない。

 学生課に行っても、おそらく教えては貰えないだろうし、それどころか下手をすれば不審人物としてマークされる恐れもある為、今のところ地道に大学内をうろうろと見て回るだけにとどまっている。同じ理由で、学内を闊歩する学生達に、内場さんの事を尋ねる事もはばかられた。

「なぁ、たもっちゃん、そろそろ諦めないか?」

 午後一の体育で、持久走をやらされた日の夕方、麒翔館大の学食で遅い昼飯を腹一杯食った後に俺は言った。もう眠くて眠くて、起きているのもやっとの状態であった。

 そんな俺を余所に、保は元気に答えた。

「またまたぁ。カタやんってばぁ、冗談ばっかしぃ」

 ……いや、冗談なんかじゃないんだが。

「あれ? 今、入って来た娘(こ)、内場さんに似てへん?」

 言うなり、席を立ち、保は駆け出した。

 ……までは良かったのだが、何時もの如く直ぐに落胆してこちらに戻って来る。実際、付き合わされるのも面倒なのだが、この保の捨て犬のような落胆っぷりを見せられる方が、尚更辛い。


「んじゃ、俺、図書館に寄ってから帰るわ」

 結局、この日も何の収穫も無いまま、俺達は帰る事になった。

 俺は本を返却し、新しく借りる為に麒翔館大の図書館に寄って帰る事にした。

 うちの大学を含む市内の大学は、市の方針として公立私立を問わず何処の大学であっても、市民に図書館の資料を公開すると同時に、市内に住む学生及び市内の大学に通う学生には一般書を貸し出してくれるので便利なのだ。

 内場さん捜しでここに出入りするようになって初めて知ったのだが、この大学の図書館はミステリー小説の作家別の全集がかなり充実している。通常、書庫に眠っているそれらの本を検索機で見つけた時は、この大学に来て良かったと本気で思ったくらいだ。

 図書館に入り受け付けカウンターで借りていた本を返却し、新たに借りる本を物色すべく、一階の検索機の設置されている場所に移動する。しかし、生憎と二台あるそれらの機器は、二台とも塞がっていた。

「参ったな……」

 思わず声に出して言っていたらしい俺に、既に顔見知りとなっていた司書の一人が気付いて声を掛けてきた。

「検索機なら、ここの他に、二階の一般書の所に三機と、三階の専門書の所に一機ありますよ」

 礼を言うと、「各階の奥に索引カードもありますよ」と、彼女は教えてくれた。

 早速、二階の検索機を覗いてみると、珍しく何人かの学生が講義の資料がどうとかと話しながら検索機で検索している最中だった。

 後にして思えば、何故その時、本の検索を諦めて帰らなかったのか悔やまれるところなのだが、不思議と諦めるという選択肢は、その時の俺には無かった。

 流石に三階の専門書の階は、他校の人間には敷居が高過ぎる為、検索機を諦めて、アナログ検索をする事にした。

 二階カウンターで、検索カードの設置場所を尋ねると、本当にこのフロアーの奥にあった。以前は現在検索機の置かれている場所にあったのだそうだが、検索機を導入するに伴い、隅に追いやられてしまったという。

 言われた場所に行ってみると、フロアーの他の場所とは微妙に雰囲気が違っていた。

 この大学の図書館は、大学の創立当初からあるとの事だが、内装は何度かやり直したらしく外観に比べ中はかなり近代的で明るく綺麗な印象を受ける。隅とは言え同じく改装した筈のそこは、近付くにつれ、何かが違っていた。図書館独特のカビ臭い埃っぽさはこの際置いておくとして、上手く言えないが、明らかに空気が違うのだ。そう、人にあらざる何かがいる――そんな感じ。

 一瞬、俺的防御の鎧である眼鏡を外して確かめようかとも思ったが、視えたところでお互いに何の益も見出だせない為、あっさりその案を却下した。

 そして俺は、何事も無かったかのように索引カードの棚を物色し始めたのだった。

 今日は誰のミステリーを借りるかな、等と早速本の検索に取り掛かる。

 しかし、嫌な事に空気が徐々に重くなっていくのも感じていた。

 いかん、いかん、気にするな、俺。

 早いところ借りる本を決めてしまおうと、それこそ高速でカードを繰り始める。

『……こっちを向いて』

 え!?

 思わず、その言葉に反応してしまい、カードを繰っていた手が止まってしまった。

 か細い女の声が、耳元でした。息を吹き掛ける息遣いまで感じる。同時に、両肩にずっしりとした重みを感じた。

 やばい。やばいよ、俺。

 慌ててその場から離れようとしたが、身体が全く動かせない。

 何で俺なの?

 その時、ふと視界の端に人影を認めた。

 唯一動かせる目だけをめい一杯、そちらに傾ける。と、女子学生らしき姿が辛うじてとらえられた。

 ……何処かで見た事があるよう……な?

 彼女は、無表情に俺……の背後を見ていた。かと思うと、何事も無かったかのように、その場を後にした。

 ま、待って。置いてかいないで!



 あれからどれくらい経っただろう。

 俺としては、もう何時間も経った気がするのだが、本当は数分……いや、もしかしたら数秒かもしれない。近くにあるらしい壁時計の秒針のカチカチという音がやけに響いて聞こえる。

 自分が妙に冷静になっているのを自覚する。

 いい加減、離れてくれないかなぁ、等と正直うんざりしていると、人の気配を感じた。べったりと俺の背中に貼り付いているのとは別の、生身の人間のそれ。

 再びめい一杯、目だけを動かし、その人物を見てみる。さっき見た彼女とは全くの別人だった。先程の彼女がクールビューティな美人なら、今ここにいる彼女は健康系の可愛い感じの女子学生。

 ……って、何、俺! この状況で女の子の品定めしてんじゃねぇよ!!

 自分自身に呆れていると、視界の端にいた彼女が動いた。

 嗚呼、また俺は霊(こいつ)と二人ぼっちにされるのね。

 そう溜め息を吐いていると、どうやらそういう訳でもないらしい。

 何やら彼女は両手を組み合わせ、スーッという息を吐く音を口から発すると、そのまま動きを止めた。

 すると次の瞬間、背中から何かが引き剥がされようとする感覚がした。何か、とはこの場合、勿論奴。霊体。

 しかし、霊体も俺から離されてなるものかと必死に俺にしがみ付くものだから、当然俺まで一緒に後方に引き摺られる事になる訳で……。

『邪魔!』

 最初に聞いた霊体のか細い女の声とは明らかに違うキビキビとした女の子の声がした。

 と思った次の瞬間、俺はさっきまで見ていた索引カードの入った棚にぶつかっていた。否、ぶつけられていた。

 やっと自由になった身体で無意識に振り返ると、女子学生に羽交い締めにされた女性霊が視えた。霊体が、これだけクリアーに視えてるって事は、ぶつけられた拍子に掛けていた眼鏡が何処かへぶっ飛んだらしい。

 ……って、ちょっと待て。何か変だ。

 霊を羽交い締めにしている女子学生の姿が、微妙に透けて見えるのだ。よくよく考えてみると、視界の隅には未ださっきのまま微動だにしない女子学生の姿もある訳で。

 何? 何がどうなってんの!?

 そうこうしている内に、女性霊を羽交い締めにしている女子学生が、霊の背後からその首筋に歯を立てた。

 ……って、吸血鬼かよ!?

 成す術も無く、呆然と見ている俺の目の前で、女性霊は恍惚の表情を浮かべ始めた。すると、霊体の全身から光が溢れ出し、飛散した。そう、硝子が砕け散るように。

 そして、後には俺と、霊を喰った女子学生と、その本体が残されたのだった。



「大丈夫ですか?」

 その声に反射的に振り向くと、そこには先程、霊を喰らった吸血少女が立っていた。

 彼女は、膝を突き、俺を助け起こしてくれた。

「あの、これ」

 そう言って、立ち上がった俺に、どうやら無事だったらしい飛んで行った筈の眼鏡を差し出した。

 混乱したまま、何時までも手を出そうとしない俺に、彼女は無理矢理俺の手を掴むと、その手に眼鏡を握らせた。その時は、さして意識していなかったのだが、確かに俺に触れた彼女の手は温かかった。

「あの、本当に大丈夫ですか?」

 それでも返事をしない俺に、彼女は困ったような顔をした。

「瑠璃、捜したよ! 携帯の電源、切ってたでしょう」

 突然、声がして、彼女も俺も声のする方を向いた。さっき、冷酷にも俺を見捨てた彼女だった。

 うーむ。やっぱり、何処かで会っている気がするのだが……。

「……さん」

 混乱したままの俺には、吸血少女が呟いた名前は聞き取れなかった。

「あんた、ドイツ語のレポート、まだ出していないんだって? 今日、締め切りだよ。急がないとまずいんじゃないの?」

「あ! 忘れてた!」

 その言葉に慌てて走り出そうとした彼女だったが、もう一度心配そうに俺を振り返ったのだった。



     *



 数日後、最早、半日常と化している麒翔館大の学食に、俺と保はいた。

 よく、保の奴飽きない……いやいや、諦めないなと感心しつつ、レポートの為の資料をめくっていた。

「そう言やもう直ぐ、ゴールデンウィークなんよなぁ。嗚呼、それまでに内場さんを見付けやんと!」

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