3. 後悔
二度目に火にかけた鍋も空っぽになったころ、ちょうど用意していた飲み物も切れてしまった。
「もう少し酒があったほうがいいよな」
空になった缶を片付けながら翔太がみんなに聞いた。
「そうだな。追加で買ってくるか」
東堂君が腰を上げた。
「あ、いいよ俺が行くし」
「いやいや、ただでさえ会場を貸してもらってるのに、家主に買いに行かせるわけにはいかないよ」
「でも店とか俺の方が分かるし」
そう言われて東堂君がそれはその通りだ、と答える。そのまま翔太は一人で出かけようとしたが、東堂君が
「もちろん僕も行くよ」
と財布を引っ掴みながら後を追った。
「そうか、悪いな」
二人して玄関を出ていく。人の親切を素直に受け取らないのは、翔太の悪い癖だ。おまけにさっきのような、妙に鋭い切り返しをするから質が悪い。長い付き合いの東堂君だから、ああやって後を追いかけてくれるけど、普通ならつっけんどんな態度だと受け取られても仕方ない。閉まったドアをぼーっと見つめながら私はそんなことを考えていた。
「瑞希ちゃん梨好き?」
「え、梨?」
りっこから予想外の質問をされてびっくりする。
「う、うん好きだけど」
「じゃあ剥こうか。せっかく持ってきたし」
「え、梨持ってきたの」
「うん、うちで大量に余ってるからお裾分けにとおもってね」
りっこはキッチンに行くと冷蔵庫に入れていたらしい梨を取り出す。そして洗い物かごから包丁を取ると、慣れた手つきで皮を剥き始めた。あまりに自然で、数年前には半月切りといちょう切りの違いも知らなかった人だとはとても思えない。
私も立ち上がるとそろそろとりっこの傍に行く。
「手伝おうか?」
「ううん、どうせ包丁一つしかないし」
そう言いながら、すでに半分ほどの皮が細長いテープになっていた。
「全然喋らないね」
不意にりっこが私に言った。
「え、そうかな。私も結構喋ってた気がするんだけど」
「ちがうよ、翔太君とだよ」
私は返す言葉を見失ってしまう。自分でも気づいていた。ここに来てからずっと翔太との会話を避けている。りっこはそういうことに鋭かった。こうして二人になるまで、そのことを決して表に出さないところも。
「翔太君が大学辞めるまでずっと付き合ってたんだし、もう少し打ち解けてもいいと思うんだけどな。一旦別れたから、気まずいのも分かるんだけど」
「ううん、そうじゃないの」
りっこが皮むきの手を止めて私を見る。私は目線を合わせないまま、でも問いかけるりっこの視線に対しても答えないままでいた。
答える気が無いのを悟ったのか、りっこは再び皮むきに戻る。皿の上にはすでに一つ目の梨がきれいに八等分されていた。
「大きなお世話だとは思ったけど、でも今日集まったのは、瑞希ちゃんと翔太君がもう一度会える機会を作ろうっていうのもあったの。せっかく翔太君が転勤でこの町に戻ってきたんだし」
そういえば今回の会を言い出したのもりっこだったな。本当に、ほのぼのしてるようで聡い人だ。
二個目の梨も剥き終えて、キッチン脇の棚にあったつまようじを四本適当に梨に差すと、それをりっこは座卓の方へ運んだ。翔太とのことは、それ以上何も言わなかった。
「そう言えばさ」
さっきの場所に座りながらりっこが、出窓の方を指差した。キッチンとリビングの境で立ち止まりながら、私も指差された方を見る。さっきは気づかなかったけれど、出窓の物を置けるスペースに花瓶が置いてあった。いや花瓶というより花を乗せたお皿だ。船形の真っ白なお皿の上に、半円状に花が盛られている。白、ピンク、赤という感じで、こじんまりとした花束のようになっている。
「あれ、プリザーブドフラワーだよね」
「プリザーブドフラワー?造花ってことだよね?」
「ううん造花とは違うの。生花に特別な加工をして長期保存できるようにしたものでね。もともと本物を使っているから造花よりも断然リアルなの。私もお水が無いのを見て、初めてプリザーブドフラワーだって気づいたくらいで」
「確かに、本物みたいだね」
「とは言え材料が生花だから、気を付けて保存しないとこんなに綺麗な状態は保てないんだよね。日本は特に夏は湿度が高くなるし」
「どれくらい持つものなの?」
「うーん、ヨーロッパとかなら五年くらいもつらしいけど、日本だったら気を付けてないと一年ももたない場合もあると思う」
「そうなんだ」
私は出窓に歩み寄る。間近で見ても、その花は本物と見間違えるほどよく出来ていた。窓の向こうで小さく水音が聞こえる。多分来るときに渡った小さな川に面しているのがこっちなのだ。
「翔太君ってお花飾ったりするんだね。それともみんなが集まるから、少し飾ってくれたのかな」
「もらいものだと思うよ。花とか興味ないもん」
「そっか」
りっかがそう言うのと同時に玄関ドアが開く音がした。
「やっほー、追加で買ってきたよー」
東堂君が少し酔ったテンションで帰ってきた。後ろに見えた翔太の顔がやれやれという表情をしていた。
それからも思い出話に花が咲いたけれど、私は始終上の空だった。それからしばらくして翔太の編曲の話になった。
「そもそもドラムとピアノとバイオリンとフルートなんて訳わからない編成の編曲、よく出来たよな」
「さすがにドラム入れた編曲は少なかっただろ。東堂には別の楽器やってもらうことが多かったし」
「まあ僕はあれこれ演奏してるイレギュラーだったからな」
「今もスコア書いたりするの?」
りっこが聞くと、最近久しぶりにまた手を付けたんだよ、と答えながら翔太がノートパソコンを机に取りに立ち上がった。同じ時に、私は手で自分の顔をパタパタと扇ぎながら、
「ごめん、ちょっと暑いかも。窓開けていい?」
と翔太に聞いた。
「いいよ。出窓開けるとちょうどいいと思う」
と充電用のコードを抜きながら答えてくれた。私は立ち上がると出窓に近づいて窓を全開にした。
「え、全開?」
りっこが笑う。私は曖昧な笑顔で返す。そして翔太に話しかけた。
「この下って川なんだね」
「そうそう、この部屋角部屋だからね」
私は出窓の棚の部分に手をつく。その手がさっきの花のお皿に触れる。と、手がつるりと滑り、ちょうど全開だった窓に花を押し出してしまった。
「あっ!」
思ったより大きな声で叫んでしまった。夜の静寂に私の声が反響する。花は散らばることなく真っすぐに川の中へと吸い込まれていく。お皿の方は川の堤防の部分に当たって、パリンと音をたてて砕けた。
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