2. 思い出話
そのままわーっと言って抱き着いてくる。私は熱烈な歓迎にしどろもどろになりながら、ぽんぽんとりっこの背中を撫でた。
「久しぶりだねー、りっこ」
「うんうん、卒業のときに顔合わせて以来かな。すっかり瑞樹ちゃん都会の女になっちゃったなあ」
「えー、そんなに変わった?」
「ううん、多分変わってないと思う」
「適当だなーりっこは」
「あ、でもね、服のセンスが変わったよね。あとお化粧も少し変えたでしょ。アイライン、前よりきりっとした感じは仕事用?」
「あれ、思ったよりちゃんと見てくれてた」
「あったりまえよ」
両手を腰に当ててえっへんというポーズをして見せる。そういうりっこは最近流行りの、袖全体にレースをあしらった白のトップスを着ていた。袖口はレースがふわりと広がってお花のようになっている。それに淡い黄色のスカートを合わせていて、清楚なのにちゃんと着こなしているのはりっこだからこそだ。私なんかはどうしてもここまでシンプルな取り合わせは怖くて、何かアクセントを入れてしまう。
けれどりっこの左腕には、不似合いな腕カバーがしてあった。多分台所仕事をするのに袖が邪魔になるから付けていたのだろう。着物で言うところの襷だ。右腕を外したところで私が来たから、左腕はそのままで出迎えてくれたみたいだ。このちょっぴりちぐはぐな感じが如何にもりっこらしかった。腕カバーという妙に所帯じみたアイテムは、新妻のなせる業という気もする。
「りっこは新婚生活はどう?」
靴を脱ぎながら私は尋ねる。
「毎日献立を考えるのがね、楽しいけど大変なの。あとタイムセールを逃さないことね」
「うちのお母さんみたいなこと言ってる」
「そりゃ主婦ですから」
りっこは大学時代からずっと付き合っていた人と、卒業して半年ぐらいで結婚していた。献立作りの感想に、大変よりも楽しいが先に来るのを聞けば、その日々を生き生きと過ごしていることがよく分かった。
玄関を入ってすぐがキッチンだった。シンクには野菜の皮や切れ端がまとめられたビニール袋がある。今日のメインは鍋会なのだけど、準備はすでにばっちりらしい。キッチンとふすまを挟んで向こうがリビングになっている。一番向こうにベランダがあって、それとは別に左手に小さな出窓があった。部屋はそれほど大きくなくて、ベッドと机、それと真ん中に置かれた四角い座卓でだいぶ占領されている。四人で鍋を囲むには十分だけど、六人入ると少し狭そうだった。座卓にはカセットIHコンロと、その上に土鍋が置かれている。人数分のコップとお皿も準備されていた。
「よし、瑞希ちゃんも来たし始めよう」
りっこがおいでと手招きする。私は荷物をリビングの隅に置いて、空いていた出窓側の辺に座った。左手、ベランダの方に東堂君が座っていた。りっこも席に着く。翔太はキッチンの冷蔵庫にお茶を取りに行った。
「ひさしぶりだね茅原さん」
「東堂君も久しぶり」
ピッとIHコンロの火を入れてから、東堂君が挨拶してくれた。
「東堂君は確か市内で働いてるんだよね?」
「あ、そうそう。隣町から通ってる」
「え、こっちに住んでいるんじゃないの?」
「いやそのつもりだったんだけどさ。引っ越しのんびりしてたら物件がなくなっちゃってて、とりあえず実家から通い始めてそのままずるずると」
「あ、じゃあ実家から毎日来てるんだね」
「いい年して親の厄介になってるわけですよ」
面目ない、と苦笑いする。
「そんな言い方しなくても。絶対実家の方がいいと思うよ」
「いや茅原さんの言葉は実感こもってるなあ。就職と同時に一人暮らしだよね?しかも東京だし。大変だったでしょ?」
「まあ、慣れるまで時間かかったよ。これまで家の手伝いでしか家事やったことなかったし。最初はちょっとパニックだったかな」
「わかるわかる、大学に入って一人暮らし始めたときは僕もそんな感じだったし。すぐ洗濯物が溜まるんだよ」
「私はお皿洗いの方が苦手かな」
そんな話をしている間に翔太が席に戻ってきて、四人分のお茶を入れてくれていた。りっこも鍋をあけて火加減を見てくれていた。
「ちょうど良さそう」
りっこが言うと翔太がコップをそれぞれに渡しながら
「よし、飯にするか」
と号令をかけた。四人で手を合わせて同時にいう。
「いただきます」
そこからは、会っていない間のお互いの話が尽きなかった。四人それぞれの生活は本当に別々で聞いていて面白かった。専業主婦のりっこはもちろん、営業の私、教師の東堂君、そして経理の翔太と、自分の知らない世界の話を聞けるのは良い刺激になった。
「翔太は経理なんかやってたんだな」
鍋の第二弾を火にかけたくらいでビールを開けた東堂君が言った。
「経済に興味があるようには見えなかったけどな」
「働き始めたところで必要になって、止むなくね。急いで簿記とかとったよ」
「苦労したよな、お前」
東堂君がしみじみと言う。口にしてからハッとした顔をしたのは、多分お酒のせいで口が滑ったと思ったからだろう。りっこがちらりと横を見ながら非難の視線をやる。私はコップを持ったまま、水面ををじっと見ていた。
「苦労したねえ」
しかし翔太の口調は想像以上にあっけらかんとしていた。気まずい空気を察知して、あえて明るく答えたのだろう。
「気にしなくていいよ、もう落ち着いたしさ」
ばつの悪そうな東堂君に対して翔太はぱたぱたと手を振った。
「父さんが倒れたから山梨に戻って来いって言われた時は、確かに慌てたけど。父さんの古い友人が職場も口利きしてくれたし、助けられた」
「……翔太が大学辞めたの、二年生の冬だっけか」
「十一月に入ったばかりだったかな」
「うん、あの時は本当にびっくりしたよ」
りっこもおずおずと会話に参加する。
「俺の家計的に大学続けるのは難しかったから。年の離れた弟もいたしね。そもそも俺が言ったのもいきなりだったし、みんなにも迷惑かけたよな」
「迷惑なんてそんな!」
りっこがぶんぶんと首を振った。
「心配してたけど、忙しいだろうしあれこれ聞くのもなって思って。なかなか声かけられなくて。私こそごめんね」
「りっこが謝る必要ないよ」
「……親父さん、どうなんだ?」
東堂君の問いに翔太は言葉を濁す。
「再発が見つかって、あんまり楽観視は出来ないって医者に言われたよ」
「そう、なのか」
「まあ仕方ないさ、ヘビースモーカーだったし。一年持たないって言われてたのに、一回家に戻れるまで回復したのが奇跡なくらいだよ。むしろ長生きしたほうだと思うよ」
「翔太君のお父さんのことだし、それで良かったとは全然言えないけど、それでも一度は治療が上手くいったんだね」
「それで完全に治ったとはならねえんだよな」
「仕方ないさ、そういう病気だからね」
ポンと翔太が手を叩く。
「暗い話はこの辺で。せっかく集まったんだし、もうちょっと景気の良い話しようぜ」
「そうだな」
ぽつりと呟くように東堂君が返事をする。
「よし、この前あった生徒の笑い話するか」
「おう、聞こう聞こう」
「これがバカな話でさ……」
私はようやく顔を上げる。話の間中ずっとコップの中だけを見つめていた。けれど話題を終わらせるとき、翔太の視線を確かに感じた。
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