プリザーブドフラワーは枯れない
シャルロット
1. 再会
バスの扉が開く音がして、私は慌てて立ち上がった。ポケットからカードケースを出すと、ICカードの方を下にして精算機に当てる。バスを降りると背中で扉が閉まる。のろのろと走り出したバスには、私以外に年配の方が二人乗っているだけだった。街灯もまばらな通りは、走り去ったバスの他に対向車線を車が二台通っただけで、人もいなかった。市内にもかかわらず、JRの駅からバスで二十分ほど来たこの辺りは都会の喧騒からは程遠かった。向こうの方には高速道路が走っているのが見える。東京で二年弱暮らしてみると、この辺りがどれだけ田舎なのか身に染みて感じてしまう。大学を出るまで生活がすべて市内で完結していた私にとっては、けれどこの雰囲気が無性に懐かしかった。
スマホを取り出してLINEを開く。四人のグループトークを開くと、丁寧に翔太が挙げてくれた地図と近くの写真何枚かを頼りに、私は彼の家を目指して歩き出した。
このメンバーで集まるのはいつぶりだろう。馴染んだ仲間に会うのに、何となく緊張してしまう。私、翔太、りっこ、東堂君の四人が、大学時代のサークル仲間だった。小さな音楽サークルに所属していた私たちは、特に仲が良かったと思う。同学年の他のメンバーがあんまり顔を出さなかったのもあるけれど、この四人でよく部室で空きコマや授業終わりに集まって話したり、アンサンブルをしたり、規則を破ってこっそり飲み会をしたりしていた。
私は中学、高校と吹奏楽をやっていた。中学の時に我儘を言って買ってもらったフルートで六年間続けてきたが、流石に運動部と評されるあの練習の大変さを大学でも続ける気持ちになれず、何となく音楽部を選んで春に何回か訪れるうちそのまま入部していた、という感じだ。翔太は伯母さんがピアノの先生をやっていたので、幼いころから従妹と一緒にピアノを続けていた。本人は齧っただけと言うけれど、初見の楽譜でも難なく弾いて見せるし、耳コピも完璧だし、音楽的な知識も完璧だった。私たちが気まぐれで演奏するためのスコア編曲は、すべて翔太がしてくれていた。
りっこはバイオリニストだった。りっこというのは、理恵という名前から私がつけたあだ名だった。彼女は良い家庭の子で、ざっくり言えばお嬢様だった。音楽部を訪れたのも、最初はバイオリンを好きに弾ける防音室代わりの部屋が欲しかったからだというのは後から聞いた。大学に入学したばかりの頃は、お米を洗うこともまともに出来ないくらいだったのに、一人暮らしをしている間にメキメキ家事の腕を上げて、今では里芋の煮っころがしが得意料理だと言うから驚きだ。
東堂君は偶然訪れた音楽部の部室に、使われていないドラムを見つけてそれを演奏したくて入部したらしい。ずっとドラムをやっていたのかと聞いたら、中学ではホルンを、高校では市内の高校生で結成された楽団でオーボエを吹きつつ学生指揮者もしていたという不思議な経歴を話してくれた。翔太のように編曲とかにはあまり興味がないと言っていたけれど、その代わりに絶対音感があった。
こうしてみると、こうも方向性の違う四人が集まっていたのに、あんなにみんなで一緒にいたのが不思議なくらいだ。それくらい、私の大学生活で一番たくさん一緒にいたメンバーだった。
用水路のような小さな川を渡るとすぐに目印のポストが見えた。この角を左に曲がってしばらく行くと、翔太のアパートの入り口があるらしい。もうすぐ着くからと思って、私はグループラインに「もうすぐ着きます 遅くなってごめんね!」と打ち込んだ。
アパートらしき建物を探しつつ歩いていくけれど、道の両側は一軒家ばかりで、それらしき建物が見当たらない。もう結構きた気がするんだけど、と少し不安になりながら歩いているといきなり肩を叩かれた。思わずビクリと体をすくめる。すると懐かしい声で
「あ、ごめん。驚かせちゃったね」
と言われた。その声に今度は別の緊張で体が強張る。もう少し心の準備をしてから会いたかったのに、と思うけれどもう遅い。振り返る前に、ほんの短く悟られないように呼吸をする。落ち着かない心をそれでも無理矢理落ち着かせる。仕事で鍛えた営業用の笑顔を仮面のようにセットして、私はゆっくりと振り向いた。
「迎えに来てくれたんだ。ありがとう、翔太」
この名前を最後に呼んだのは一体どれだけ昔のことなのだろう。そんなことが頭の片隅に浮かぶ。数年ぶりに見る彼の顔は、当時よりもやや疲れているように見えた。そのせいだろうか、年齢以上に年を取ったようにも見えてしまう。けれど何度も見つめたあの優しい眼差しは、全く変わっていなかった。
「このアパートの入り口、分かりづらいからさ」
そう言って翔太が指差したのは、私が通り過ぎてしまっていた小道だった。
「遅くなってごめんね」
「いや、りっこと東堂の二人もちょっと前に来たところだよ」
ちょっと前、というのは多分オブラートに包んだ言い方だろう。私が申し訳なさを感じないようにごまかしたのだと思う。相変わらず気を遣う性格のままなんだね、そんなことを考えたら少し息が苦しかった。
行き過ぎてしまった数十メートルを戻りながら、私は当り障りのない会話を振る。
「翔太は元気にしてた?」
「俺?うん、まあまあかな。こっち来てから一か月ぐらい経つし、新しい部署のやり方もようやく掴めてきた感じがする」
「そっか。頑張ってるね」
「瑞希はどう?東京だろ?」
名前を呼ばれたことにまたドキリとする。こんな小さなことでいちいち驚いているなんて、私どうかしてる。
「便利すぎて逆に落ち着かないかな。仕事は頑張ってるつもりだけど、ヘマすることも多いしまだまだかな」
動揺がバレないように慎重になる。気持ちと行動を乖離させるのが上手くなったのは仕事のおかげだ。
「そんなもんだよな」
うんうん、翔太が頷いた。一瞬の無言の時間。あっ、と思う。一度会話が止まってしまえば、もう一度始められないことを二人ともどこかで感じていた。しかしどちらも、会話の接ぎ穂を見つけられなかった。居心地の悪い沈黙のまま小道に折れ、階段を上る。彼の部屋は三階の一番奥だった。
「エレベーターとかなくて」
「ううん、大丈夫だよ」
一言ずつ交わしたけれどそれきりだった。階段を上りきると、くすんだベージュ色の金属製のドアが五つ並んでいるのが見えた。手前が一号室で順番に四号室を飛ばして、翔太の部屋が六号室だった。鍵は閉めてこなかったらしい。そのまま扉を開けた彼に続いて私も部屋に入った。
「お、来たね!ひさしぶりー」
部屋の状況を確認するより先にりっこが走り寄ってきた。
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