でこぼこの鏡

丸井零

第1話 小物たちの民主主義

 アール氏という人の部屋にはたくさんの小物が置かれていた。実はこの部屋は少し変わっている。それではどのように変わっているのか、その様子をご覧に入れたい。



 アール氏が職場へと出かけた。すると部屋の小物たちがざわざわと音を立て始めた。それらの中から魂がにゅっと飛び出してきた。作業机の上のパソコンから、テレビから、ペンたてに置かれているたくさんのペンから、電気スタンドから、本棚に敷き詰められた本から。

 魂たちはゆるやかに円を描きながら、部屋の中心へと集まっていった。無数の魂たちがピリピリとしながら向かい合った。

 アール氏の部屋は国なのだ。そして、これから行われるのは国会である。それぞれの権利を主張して、議論を戦わせる場所だ。この国会で決められたことは、アール氏の無意識へと伝わり、実行される。例えばこの国会で古くなったペンを捨てることが決まったとする。するとアール氏は本当にペンを捨ててしまうのだ。新しく本を5冊買うことが決まれば、やはりアール氏はその通りに行動する。それがこの部屋のルールであり、法則だ。アール氏はだらしない性格で、この人間に任せていては部屋がゴミ屋敷になってしまう。それを防ぐために、自分たちの住む場所を守るために、小物たちは話し合いで部屋の管理をすることにしたのだった。そのために国会を設立した。もちろん、国会で決められたことには必ず従わなければいけなかった。自分だけわがままを言うことは許されないのだ。


 今日の議題は「誰を廃棄するか」「誰を修理するか」だった。アール氏の部屋が物で一杯になろうとしていたからだ。この部屋で最も発言力のある情報党のパソコン首相が、堂々とした立ち振る舞いで発言を始めた。


「この部屋には主人の集中力を散らしてしまうものが多すぎるのです。特に酷いのは、ベッド脇に置いてあるマンガ本たちです。主人は昨日、珍しくも部屋を掃除なさっていました。これはすごいことです。建国以来初めてのことだと言っても過言ではないでしょう。しかし掃除を始めてすぐ、ふと目に付いたマンガ本を取り出し、読み始めたではありませんか。せっかく主人がやる気を出したというのに、邪魔をするとはどういことですか。この恥ずべきマンガ本たちから居住権を剥奪するべきです!」


 首相がしてやったりという表情で演説を終えた。情報党に所属する教科書、学術書、電子辞書たちから拍手が巻き起こった。

 この発言に驚いたのは娯楽党のマンガ議員である。とんでもない言われようだ。マンガ議員は顔を真っ赤にして、つばを飛ばしながら反論した。


「ちょっと待っていただきたい。最近の主人は、全くと言ってよいほど我々マンガには触れないではありませんか。昨日の出来事は偶然だ。それに、主人は久しぶりに我々を読んだことで、懐かしい子供時代を思い出していたではないか。主人の精神を満足させることは、部屋の片付けなどよりも断然大切なことだ。それに、主人の集中力を妨げるのが悪いというなら、パソコンこそ主人の仕事の邪魔をしているのではないか」


「何をおっしゃいますか。私は常に主人が求めている情報を提供しているだけですよ。主人がSNSをみたいと言えばそれを差し出し、ニュースを読みたいと言えばそれを差し出す。私はいつも忠実に職務を全うしています。もはや存在すら忘れられようとしているマンガたちとは違うのですよ」


 パソコン首相は嘲るように笑みを浮かべ、言葉を続けた。


「精神の満足が何だというのです。子供時代を思い出したから何だというのです。それで主人の仕事の効率が上がりますか。主人の給料が上がりますか。上がらないでしょう。やはりマンガはこの部屋に必要ないのです!」


 マンガ議員は何か言い返さなければと頭をひねったが、これと言った反論が思い浮かばなかった。悔しそうに顔をしかめて、そのまま黙ってしまった。このままではこの部屋から追放されてしまう。


「まあまあ、お二人とも。そう興奮なさらんでください」


 そう言って発言し始めたのはマンガ議員と同じ娯楽党の携帯ゲーム機議員であった。

「いいですか。人間には二つの体力がある。一つは肉体の体力。もう一つは精神の体力です。肉体と精神を適切に回復しなければ、人間は死んでしまいます。これは比喩ではないのですよ。肉体の方は身体を休めておけばすんなりと回復します。問題は精神です。精神を回復させるにはちょっとしたコツがいるのです。ただ休ませるだけでは上手くいかんのです。これがまたやっかいなのです。何より、自覚症状がない。自覚症状があったとしても、それはその日の気分の問題だとか、心の弱さだとかで片付けられてしまう。」


「早く結論をおっしゃっていただきたい」


 パソコン首相はヤジを飛ばすが、携帯ゲーム機議員は涼しい顔でそれを受け流す。一体何を言い出すのかと、他の議員たちも注目しはじめた。


「ええ、ええ、分かっていますとも。つまり、精神を満足させるというのは、重要な役割なのです。先ほどパソコン首相は言いましたね。効率は上がるのか、給料は上がるのかと。もちろん上がりますとも。信じられないようでしたらここに一つの研究成果を紹介いたしましょう」


「もういい、言いたいことは分かった」


 パソコン首相は言った。携帯ゲーム機議員は取り出しかけた論文をしまった。しかし発言は止まらない。


「そこで、我々の方からも主張させていただきたい。この中に、肉体の回復にも精神の回復にも貢献しておらず、むしろ逆の効果を与えているものがあるのです。それは……テレビです!」


 携帯ゲーム機議員は、テレビをやり玉に挙げた。自分より立場の低いものへと批判の矛先を向けさせることによって、難を逃れようというのだ。マンガが追放されるようなことがあれば、次はきっと自分の番だ。それを遅らせるためにも、マンガにはまだ残っていてもらわなければいけないのだ。

 家電党のテレビ議員が、おびえた顔をして携帯ゲーム機議員の方を見た。


「テレビは延々とつまらない番組を放送し続ける。ずっとテレビを付けっぱなしにしていると、人間はだんだんと頭が痛くなり、視力が弱まっていく。つまり肉体的に主人を憔悴させているのです。またテレビは、刺激の強い情報を一方的に見せつけます。芸人が棒でたたかれて笑われているのを見て、主人が嫌な顔をしてチャンネルを変えます。すると今度は酷い虐待事件のニュースが流れてくる。主人はまたチャンネルを変える。すると今度は下品な格好のキャラクターが満載のアニメ番組が流れ始める」


 そこで携帯ゲーム機議員は一度空気を吸った。


「主人はテレビによって明らかに疲弊している。テレビなんて無ければ、そうこぼしていたことすらあるのです。ですから、本当に居住権を剥奪されるべきなのはマンガではなくテレビなのです」


 よく言った、と娯楽党の小説、マンガ、けん玉たちは湧き上がった。矛先を向けられたテレビ議員はうろたえた。


「いけません、それは、間違いですよ。大きな間違いだ。私は決して主人を疲弊させてなどいない。主人は私が放送する番組を見て、涙を流して感動するのです。私はいつも主人を満足させている」


 むしろ、とテレビ議員は主張を始める。


「私はずっと主人を満足させるために働いてきた。主人が若い頃から、ずっと傍に寄り添っていたのだ。しかし私は古い。所々ガタがきている」


「ならば廃棄処分するしかないでしょうねえ」


 パソコン首相は楽しそうに言った。


「とんでもありません。廃棄など考えられません。全く逆です。私は修理を受けるべきなのです。私はこれからも主人を支えていかなければならないのです。その責務があるのですから。」


「責務と言ったって君、そもそもテレビなんてもう必要ないではないか」


「なんですって」


「どんなドラマも番組も、今では簡単にネット上で見ることができます。見逃した人へのサービスもあります。番組によって主人の精神を満足させたいのならば、私の方が優秀なのですよ。テレビはもう古くなってしまいました。かわいそうですから廃棄とは言いません。お金がかかってしまいますからね。リサイクルセンターへと移住していただきましょう。ええ、それがいい。安心してください。修理は私が受けましょう。あなたの代わりにね」


 話は決まった、とばかりにあちこちから拍手が巻き起こった。すると勢いに乗じて、計算機党の電卓議員が手を挙げた。計算機党は情報党の傀儡である。パソコン首相の後ろ盾によってなんとか発言力を維持していた。


「他に優秀なものがいる、古い、という理由でテレビを追い出すならば、もう一つ追い出すべきものがいます」


 議員たちは長い討論によって疲れてしまっていたが、一応電卓の話を聞いていた。


「それはそろばんです。そろばんよりも私の方が断然優秀なのです。計算能力は桁違いなのです。加えてそろばんは古い。木製だかなんだか知らないが、黒ずんでいて汚らしい」


 電卓のそろばん嫌いは小物たちの間では有名だった。なんとかしてそろばんを追い出してやろうと、電卓は躍起になっていた。


「そろばんの居住権を剥奪しましょう!」


 もう話を終わらせてほしいと思っていた議員たちは、賛成の姿勢を示した。電卓だろうがそろばんだろうが、どうでもよかった。どちらかがいなくなったぐらいで部屋は広くならないし、捨てるのも買い直すのもたいした手間ではないのだ。だから他の議員にとってこの議論は心底どうでもいいものだった。

 一方そろばん議員は、非常に年老いており、もはや声を発することすらできなかった。反対意見が出ないことを確認した電卓議員は、口角を上げて笑った。

 しかしそれを見ていたパソコン首相が、少し意地悪をしてやろうと口を挟んだ。


「先ほど電卓議員がおっしゃったことは事実でしょう。しかし事実と評価は違います。電卓とそろばんを比べますと、確かにそろばんの方が計算能力が劣っている。これは事実です。しかしそれを言うならば、電卓は私に比べると計算能力が劣っているのです。そろばんを追放するなら、電卓も追放しなければ正しくないでしょう。またそろばんは、主人の脳を活性化させる効能を持っています。つまり、難しい計算をするなら私を使えば良い。脳を鍛えるならそろばんを使えばいいのです。ではどういう結論になるか、もうおわかりでしょう。廃棄されるべきは、そろばんではなく電卓だということになるわけです」


 それを聞いた電卓は焦りに焦った。しかし議員たちはパソコン首相に拍手を送った。生意気なことを言っていた電卓が焦っているのを見て楽しんでいた。


「ま、待ってください。そもそも私は……」


「古くなったら捨てる。古くても有用なものは修理して残しておく。そして新しく有用なものを取り入れる。それが効率化・合理化です。それが現代を生き延びる唯一の方法なのです!」


「そろそろ時間です。それでは決を取りましょう」


 電卓の発言はもう認められなかった。議員投票の結果、次のことが決まった。



・テレビをリサイクルショップへと引き渡す


・パソコンを修理する。


・電卓を捨てる。



 決まってしまったことはもう覆らない。皆で話し合って決めたことがすべてなのだ。これがこの部屋の、この国の民主主義なのだ。この方法で国を管理することを、すべての小物たちが受け入れているのだから。反対しないということは、受け入れているということだ。



 結論が出たところで、アール氏が仕事から帰ってきた。いつもより少し早いお帰りだった。このタイミングで帰ってくるとは思っていなかったので、小物たちは大急ぎでもとの身体へと戻っていった。



 元の身体に戻ったパソコン首相は、ある違和感を感じていた。なんだか身体の調子がおかしい。画面をつけることはできるが、流せる動画が限られているのだ。そもそも、動画しか流すことができない。

 これは一体どういうことだ。どうやら私もガタが来ているらしい。しかしもう大丈夫だ。私は修理に出してもらえるのだからな。ほら、主人がやってきた。これから電気屋へと持って行ってくれるのだろう。

 目の前に立つアール氏が言った。


「このテレビももう古いな。リサイクルにでも出してしまおうか……」


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