後編 - 予定された絆創膏
「ねえ、私のこと、どう思ってるの?」
映画のチケットのことを問われるのではなく、私が彼女をどう思っているのか訊かれた瞬間、血の気が引く思いだった。想像していた質問と違ったからではない。私が彼女に対する感情を、どう扱って良いのか分からないというのに、それを見透かされたかのような質問をされたからだ。
「ねえ。聞いてる?私のこと、どう思ってるの?」
気不味いことを問い詰められると、つい俯いてしまう。だが、それは失礼というものだろう。そして、透としっかり正面から向き合いたいとも思い、私は気力を振り絞って彼女と視線を合わせた。
彼女は華奢な割に筋肉質で、意外と体つきはしっかりしているのだが、それは自己管理の一環として、ジム通いやランニングをしているからだ。
その美しい体のラインは、滑らかな彫刻のようで、それでいて程よく胸と腰にも肉が付いている。本人は、胸が足りなくて、腰は下半身太りだというのだが、決してそんな風に思ったことはない。髪は鎖骨にかかるくらいの長さだが、それはウェーブさせているせいだろう。毎日手入れに時間がかかっているであろうことが容易に想像できるヘアスタイルだ。
彼女は完璧主義なのだ。何も一緒になって落ちぶれようと言う気もないが、もう少し私との時間を大切にして欲しい。
「正直に言うと、透が考えていることを、理解できない。」
なぜか口から出たのは、そんな言葉だった。言ってしまってから、突き放したように聞こえるだろうと思ったのだが、手遅れだったようだ。
「何よそれ。私だって、わからないわよ。」
二人の間には、別れの気配が漂い始めていた。すれ違って感情的になって、着地点が見えない。私がただ謝ったところで彼女は、何に謝っているのかと言ってくるに違いない。理由もなく、なだめるために謝るのは、かえって逆効果だ。
不機嫌な顔をしているであろう彼女を見ると、予想外の反応に私は驚いた。肩を震わせ、涙を流していたのだ。声も出さずに少し顔を逸らして、髪で表情を隠している。
「私は、あなたのことがもっと知りたくて。でも私、不器用だからどうしていいかわからなくて、だから・・・。」
最後は堪えた嗚咽で遮られて言葉が続かなかった。彼女は、そのまま俯いたかと思うと立ち上がり、席を立つ。店を出て行ってしまうのではないかと思ったが、どうやら洗面所に駆け込んだようだ。人前で泣く姿を見せまいとするところも彼女らしいと思い、ふとそこで気付いた。
彼女らしさってなんだろう。今までの彼女に対するイメージは、私の思い込みなのではないだろうか。
彼女は ”不器用だから、どうしていいかわからなくて。だから・・・。” と言った。もしかすると、私よりも早く関係の危機を察知して、映画を見に行く予定を入れようとしたのではないだろうか。
きっとそうだ。不器用ではあるが人の感情に対して無関心なわけではない。真面目な性格の底には何にでも真剣に取り組む彼女の性格を私は知っている。
その気持ちを私は無下にしてしまって、なんてことをしてしまったのだろう。彼女が健気に映画のチケットを用意した時の気持ちを想像すると、申し訳なさで私も目頭が熱くなった。きっと楽しい時間を過ごせると期待したことだろう。
透は忙しいからと思い込んで、私自身も仕事に打ち込んでいた。彼女から遊びに行こうなんて言い出しづらかったのかもしれない。だから、わざわざ映画の試写会チケットを郵送で届けるなんて方法になったのだろう。きっと彼女なりのサプライズなのだ。
今までの態度や行動を、違った見方で思い返していくと、不器用ながらも心優しく、人懐こい姿が見えてくる。
彼女との思い出が走馬灯のように頭を駆け巡った。自分の不甲斐なさと温かい感情に触れて、目頭が熱くなる。きっともう溢れ出す感情を堪えることなんてできない。
私の思考を遮るように、カツカツと独特のハイヒールの音を響かせて彼女が戻ってくる。彼女は、私を見て驚いているようだった。きっと涙でぐしゃぐしゃなのだろう。そして、彼女は自分がやろうとしたことや、言いたかったことが伝わったのだと察したようだった。
これからはしっかりと向き合おうと思い、彼女を改めて見ると、ハイヒールを履いているとはいえ、歩き方がどことなくぎこちない。不審に思い近くを通る時によく見ると、靴擦れを起こしていた。
「ちょっとこっち来て。靴擦れを起こしてるじゃないか。」
机を挟むように向かい合わせに設置された反対側のソファに座ろうとする彼女を止めて私の隣に座らせると、靴擦れを起こしている方の靴を脱がした。
最初は何に使うのかと思っていたが、私のためではなかったのだ。彼女のために用意された絆創膏を鞄の中から取り出す。
「ありがとう。優しいのね。」
彼女の足に触れ、痛がるカカトに絆創膏を貼ると、物理的な距離だけでなく、心も近づいたようだ。彼女の説明によると、映画のチケットのことを聞いて、私の感情が想像以上に冷めていると感じた彼女は、一刻も早く今日のうちに会って関係を修復しなくてはと思い、20分かかる道をハイヒールで急いで歩いてきたらしい。
「今まで、ごめん。これからはもっと透のことを良く知りたい。」
彼女は靴を履き直すと、少し鼻をすすり、赤く腫れた目で笑顔で返事をした。
「私もちょうど同じことを考えていたところなの。嬉しい。ありがとう。」
それから、私たちは、惚けたカップルのように4人掛けの席で片側のベンチに隣り合って座って、今まで自分たちが何を考えていたのかを、振り返りながら答え合わせをするかのように語り合った。
でも、気がかりなのは、自動宅配システムを司る人工知能は、一体どうやって、どこまで予測していたのかということだ。こうして絆創膏を用意してくれたことには感謝しているが、自分の感情までコントロールされているような、不満を感じる。
私がIT関連の仕事に就いていて、普段から機械やプログラムに振り回されているせいか、いくらユーザーのためであっても、今こうして彼女のことを改めて愛おしいと思う感情までも作られたもののように感じては、非常につまらない。
どうにかして、人工知能の予測を裏切って、この感情が自分自身で得られたものだと思いたかった。
話が途切れたところで、店員が私たちの方に近寄ってくると、間も無く閉店時間ですのでと伝えた。まだ話し足りない気持ちもあるが仕方がなく移動のために荷物をまとめる。
私は、立ち上がろうとする透の腕を掴んで言った。
「今日は来てくれて、ありがとう。大好きだよ。」
すると、透は流れる涙を隠そうともせず、笑顔で頷くのだった。そこで、私は彼女のために用意されたものをポケットから取り出して手渡す。
「ありがとう。」
それは自動宅配サービスから送られてきたハンカチだ。
「え?なにこれ、湿ってるんだけど。」
「すまない。俺の汗だ。」
涙をこぼしながら、笑いながら、怒ってハンカチを投げ返してきた。
「本当に最悪っ!」
もともと透のために用意されたであろう絆創膏とハンカチだが、人工知能も私が極度の汗かきだとは知る由もなかったのではないだろうか。どこまでが予測の範疇だったかは知らないが、こうしてユーザーのために用意されたものが、私も透も得をしない結果になった。それで満足だった。
顔面に向かって思いきり投げつけられたハンカチの感触に、幸せを感じた。
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