勉強会 - 2

「鈴木さんもいかがですか、ベース契約」

向かいの席に落ち着いた三谷が会話に加わった。


「どういう建物が多いんですか」

思わず真面目に検討してしまう。


「中古の一戸建てからマンショングロスまで色々です」

三谷が答える。


「僕は中古買っては契約するのがメインですね」

池田が解説を加えた。


「借入はスムーズにできるんですか」

「まあ絶対にお客さんはいますんで。あとね、一般向け賃貸より家賃が高いんですよ。だから銀行も安心感があるのか断られたことはないですねえ」


「なるほど」

日本からアメリカ軍が撤退しないかぎり需要が続く商売というわけだ。どうしても入居者が集まらなくなったら検討の余地があるかもしれないなと優子は思った。


優子はジョッキを舐めた。せっかくなのでどうですか、と勧められて優子は生まれて初めてホッピーというものを飲んでいた。氷がたくさん入ったジョッキに少しだけ焼酎が入っている。それを独自の麦芽飲料で割るのがホッピーだった。焼酎の匂いが鼻につくので優子はゆっくりと飲んでいた。


「ホッピーはほんとは三冷でなきゃいけないんです」

三谷は酒の飲みかたにこだわりがあるようだった。


「さんれーってなんすか」

隣に座る木浦が反応した。歳の近い同業者に囲まれたせいか口調が砕けている。発言の後に最初の一杯を飲みきって通りがかったホールスタッフに日本酒を注文した。ペースの早さに優子は目を丸くした。


「ジョッキを冷やす、焼酎を冷やす、ホッピーも冷やす。三つが冷えて三冷です。氷は入れない、焼酎は多め。我々に言わせれば氷を入れるのは邪道です」


優子からするとよく分からないことで胸を張っている。アルコールを割るという意味では氷はあったほうがいいに決まっていると思うのが酒に弱い種族である。


「ご当地グルメなんですね」


「B級どころかC級ですけどね。ご当地グルメといえば、横浜はおでん屋台があったじゃないですか」

三谷がさらに木浦にからんだ。


「いやーもうなくなって随分経ちますからねえ」

木浦は機嫌良く日本酒を啜っている。


「おでん屋台」

ひとりだけ話についていけていない優子に池田が気づいた。


「横浜駅からちょっと歩いたところにビブレがありますでしょ」

「映画館とかがある辺りですか」

「そうですそうです。あの川沿いに、昔は屋台のおでん屋がずらっと並んでましてね」

「そうなんですか」


優子は首をかしげて言われた辺りのことを思い出した。木浦の会社とは違う方角にも川がある。その川沿いには確か柵のある歩道があったはずだ。「ずらっと並ぶおでん屋の屋台」をイメージするのは難しかった。


「戦後からずっと不法占拠されていたというのが行政の言い分。そんなこと今更言われても困るっていうのが屋台側の言い分だったんですけど、最後は強制的にさようならされてしまいまして」

三谷もこちら側の話に加わってきた。


「不法占拠ねー。まあうちの実家だって最初は似たようなもんですけどね。やっぱ登記、登記したもん勝ちじゃないっすか。道路なんか当てにならなくてだめっす」


木浦は先日と似たようなことを再度繰り返して周囲に受けていた。登記簿最高! などというかけ声が聞こえて乾杯が始まった。こうなると優子は眉間にしわを寄せて黙っているしかない。


「でもそんなこと言われても鈴木さんは困っちゃいますよねえ」

乾杯から戻ってきた池田が笑いを浮かべながら口にした。


「一国一城の主ですもの、もとからの地主さんは」

向かいで三谷が調子を合わせている。


「一国一城の主」


思わず優子はオウム返しに復唱した。


「鈴木さんがお殿様だからですよ」

遠野の声が聞こえた気がして優子は思わず右の二の腕を左手で強く握った。


「言われません、そういうこと?」

池田の問いに首を振った。


「あまりそういう考え方をしたことがありませんでした」

「僕はお父様がスキップされたのをきちんと継承されててすごいなあって思ってました」


池田の言葉に優子は困惑した。再び、継いだと言われたようなものだった。そのようなつもりはまったくなかった。祖父が他界し、アパートはお荷物になっており、優子には職がなかった。ただそれだけだったはずだ。


「まあでもあれだよね、お殿様めいた地主さんとは一線を画してるよね、鈴木ちゃん」

乾杯の後隣の卓と賑やかに会話していた木浦が戻ってきた。


「やばそうな業者さんはちゃんとバリアしてるので安心ですよ」

三谷と池田に向かって説明している。


「ああ、そういえば」

やばそうな、で特定の何かを思い出したらしい三谷が言った。


「大変でしたね」


唐突にそれまで別の会話に加わっていた男性が優子に話しかけてきた。三谷の隣に座っている。


「……そうですね」

答えようがない。優子は慎重に言葉を選ぼうとした。


「何かあったんですか?」

池田が不思議そうにしている。


「池田さん分かるかな、藤田っていう社長のいる、いや、いたブローカーなんですけど」

三谷が説明を開始する。

「不勉強ですいません、分かんないや」


「あっこはほんとにだめ、知らなくていいよ池田くん」

三谷の隣人が再び口を開いた。この会の中では比較的年齢が高く四十代後半に見える。


「大塚さんは付き合いありましたか」


三谷が尋ねた。なるほどこの人は大塚さんというのだなと優子はインプットした。


「今の商号の、前の前くらいに何回か売買したけどね。すぐに通帳の数字書き換えようとするんだからあいつは」


優子は思わず眉をしかめた。昔から犯罪すれすれのところを通ってきていたのか。


「今は狐憑きがいるでしょ、だからまあ上手くいってたみたいだけどなんで地面師なんかやったかねえ」


続いた大塚の発言に驚いて思わず優子は声を出していた。


「狐憑き」


そこそこ酒が回っているらしい大塚は赤い顔をして緩慢に頷いた。話していると顎が上がるので少し横柄な印象が加わる。


「会ったことあるでしょう」


優子は否定も肯定もしづらく口を開いては閉じた。逡巡している間に三谷が話を引き取った。


「今日廊下に立ってましたよね。よっぽど追い払おうかと思いましたけど」


それでは三谷も見ていたのかと優子は思った。今の三谷の発言で分かるように遠野に対する風当たりは今強いはずだ。むしろ第三者のほうが当事者である優子よりも言いたい放題できるかもしれない。なぜわざわざ姿を見せたのだろうか。


「もしかしてあれっすか、マスクしてた」

木浦が尋ねる。

「そうです。この暑いのに何考えてるんだか」


「どうして狐憑きなんですか」

木浦は興味深そうにしている。


「そいつが前いた会社が倒産したんだよ。社長は逮捕されたんだけど。去年の話で、社長、潰れる頃にはなんかおかしくなっちゃっててねえ」


「おかしくってどんな感じすか」

「俺も現場には居合わせなかったんだけど、あいつには狐が憑いてる、あいつの呪いだって一度会合で騒いだんだと。それ以来あだ名は狐憑き」


「疫病神っていうのは聞いたことありますけど、狐憑きはまた独特っすね」

「あいつは呪われてる、狐だ狐、って連呼してたらしいよね。まあ逮捕されるかもって思っておかしくなっちゃったんでしょ」


「ちなみになんで逮捕されたんすか」

木浦の問いに大塚が簡潔に答えた。

「脱税」


木浦がおお、と言っている。


「それってもしかして俺の知ってる話かもしれないです。会社名分かんないんすけど、俺の同期の後輩が転職して。この辺の会社だったらしいんすけど、税務署にチクられて倒産、でその後輩が疫病神って呼ばれてて。こないだ鈴木ちゃんにもこの話して名前思い出したんですけど」


木浦は優子のほうを見てにやりと笑った。優子は思わず俯いて眉をしかめた。


「遠野っていうらしいんです。そいつ」


「ああ、そりゃきっと同じ話でしょうね。遠野だったよね? 狐憑き」

大塚が言うと三谷が答えた。


「遠野ですね。間違いないです。そうでしょう、鈴木さん」


話を振られた優子は仕方なく顔を上げた。

「さっき、遠野さんがいらしてたのは間違いないと思います」

それだけ言ってまた俯いた。


「しかしよくそんなあだ名広められて次が見つかりましたよねえ」

したり顔で頷く三谷に大塚が笑った。


「まあ藤田も藤田で困ってたんでしょ。宅建持ってて実務経験あってこの辺のやつで藤田んとこに就職する物好きなんか普通はいねえよ」



「そんな話あります?」

それまで黙って不思議そうに話を聞いていた池田の声が裏返った。


「何をやったか知りませんけど狐憑きに疫病神って酷い言われようだ」


「でも今回は地面師の共犯でしょ。どうせそのうち逮捕されますよ、ねえ鈴木さん」

三谷が言った。


「結局どうなの、そのへん」

木浦も優子に向かって質問をしてくる。優子はうんざりした。


「警察は遠野さんを疑ってはいないようです」

思わず声が固くなった。


「え、そうなの?」

木浦がのんきに言っている。


「でもきっと燃やしたのはあいつでしょう」

三谷は何かしら罪状を遠野になすりつけたいらしかった。

「保険金目当てか嫌がらせか知らないけど、いかにもあいつのやりそうなことですよ」


「燃やしたってなんすか、ネットですか」

「物理です。ファイブスターがブローカーをやった物件が燃えまして、どうも放火じゃないかと」

「そんなことあったんすか」


「鈴木さんちもその前にボヤにあってますよね。あれも放火だったんでしょう」

三谷が優子のほうを向いた。


「え、そうなの?」

木浦が驚いている。そういえばこの話をしていなかったのだった。


「原因はまだ分からない。ほかの火事との関連性も私は何も聞いてない。防犯カメラは警察が解析中」

優子は俯き気味に答えた。


放火かもしれないことは警察の様子から察していた。高坂にたばこを吸う入居者について聞かれたとき、まさかとも思った。しかしそれはただの憶測だ。面白おかしく尾ひれを付けて良いものではない。ごみステーションは、本当に燃えたのだから。


「まあまあ、鈴木さんも大変だったでしょ。あんまりこんな話題を続けると酒がまずくなる」


優子の表情を見てこれ以上は駄目だと思ったのか大塚が場を締めた。話題を広げたひとりであるのに勝手なものだと優子は思った。


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