マネタイズ - 2
「まあどちらかというと当面の問題はFSEじゃないよね。同じようにアパートで、近い家賃で、新築してくる可能性があったらヤバい」
「えふえすいー」
「Five Star Estate、長えから略した」
思わず復唱した優子は木浦の雑な返答に眉をしかめながらも頷いた。そういえばこういう人なのだった。それに略称は話の本筋ではない。
「そういう動きはない気がする」
本題に立ち戻って優子は答えた。駅からあけぼのとしののめの辺りまでで、優子が歩き回る範囲では少なくとも新しい集合住宅は見られなかった。とは言っても長沢さんが退居して以来というもの犬のシッター業も開店休業状態である。見落としている可能性はあるかもしれない。
「ただひとつ何かあるかもしれないとしたら、擁壁のおうちかな」
優子は粟田さんの家を思い出して言った。
「FSEがブローカーやったとこか」
木浦はすぐにピンときたらしい。そのままソファにふんぞり返るようにして天井を眺めている。
「これは俺の経験と勘によるただの仮説なんだけど」
そう言いながら木浦は上半身に勢いを付けて元の姿勢に戻ってきた。
「FSEは売却先から詰められてるはずなんだよね。その鈴木ちゃんが市役所の人を見かけたっていう日の後に」
「擁壁のこと分かってて紹介したんだろうって?」
「そうそう。たぶん金のトラブルに発展してるはず」
「弁償しろとかそういうこと」
「そう。でね、金で手を打とうとしたのかなんなのか、FSEは資金繰りに困って鈴木ちゃんちに手を出した。でも準備期間が短すぎるよね。そんな手の込んだことはできなかったと思う」
木浦は一回そこで茶を飲んだ。
「だからたぶんお父さんから誰か共犯者に譲渡するかなんかの形式にして、いったん手はずを整えてからその共犯者からさらに売却するみたいにしようとしたはず」
「なるほど」
「でそこで成りすましがバレておじゃんになったわけだから、現状誰も得してない」
木浦の言葉に優子の胸が痛んだ。遊んでくれた粟田さんのお嫁さんと、優子と同世代だった子どもたちのことを思い出したのだった。確かあれは姉弟だった。あっという間に実家が詐欺師の商売道具になってしまうとはどんな気持ちがするものだろうか。
「役所もこうなった以上そこで何か建てる場合の確認申請しっかりやらざるを得ないと思う。つまり擁壁の造り直しレベルの手間がかかる」
「それって採算合う?」
「合わないだろうね」
木浦は真顔で言い切った。
「だからたぶん、そこの物件塩漬けになるよ。当分」
「そっか」
優子は小さな声で相づちを打つと俯いた。粟田さんは購入したマンションに満足しただろうか。せめてそうであれば良いと思った。
「ま、ほかの土地に動きがないとすると、目下の脅威はなさそうだね。一番怖いのは大手のサブリース業者がペット可アパート乱発してくることだから」
木浦が励ますように明るい声で言った。心配させてはいけないと思って優子は顔を上げた。
「そうだね」
「そこで俺からひとつ提案なんだけど」
木浦がソファに深く座り直した。
「フランチャイズしない?」
「はい?」
面食らった優子に木浦は説明をはじめた。
「築三十年のアパートを満室にしたばかりか家賃まで上げたって例がなかなかないのは分かるでしょ。それだけだとペット可物件かなりすごいじゃーん、ってなるんだけど、単にペット可にしただけではだめだっていうのも事実だと思うの」
優子は頷いた。
「グループチャットとか、飼い主会とか、そもそも鈴木ちゃんが一緒に住んでることとか、トラブル防止に欠かせないいくつかのポイントがあるでしょ。そもそも普通は多頭飼いなんて分譲マンションでもできないし、頭数制限ないとこなんてだいたい超金持ちマンションだからね」
トラブル防止と言われて優子の胸がちくりと痛んだ。実際にはトラブルを防止できなかった。津久井さんの件があった後あまりにもすぐに栗浜さんが入居してくれたのですでに忘れかけているが、あれでなかなか次の入居者が決まらなかったらきっともっと心の中で引きずっていたはずだった。
「そういうのってノウハウだと思うんだよね。勉強会やるんでーって言われてほいほい教えるのも良いと思うんだけど、ほんとはそこでマネタイズできるはず」
優子の胸中を知らずに木浦は説明を続けている。
「つまりアパートを持てあましている大家にノウハウを教えることで収益化しようと」
気を取り直して行った優子の要約に木浦がそうそう、と合いの手を入れた。
「そんなにうまくいくものかなあ」
「まずはいくつか成功事例作るところからだろうね。パートナーみたいなアパートオーナーを見つけて、最初の五件とかは無料で一年間サポートしたりしても良いのかもしんない」
木浦はもう随分と事業の展開について考えているようだった。
「新会社作ろうよ。俺も出資するから」
優子はしばし俯いて考えていた。悪くない話であるように思われた。こちらから持ち出すのは知識だけである。これまでの不動産経営を投資と捉えて抽出したノウハウで稼ぐ。木浦の手が緩く組み合わされて、両肘がソファに足を広げて座った膝に乗っているのが見えた。左手薬指にはまった指輪が鈍く光った。
「きーちゃんが相談したいって言ってたのはこれのこと?」
「そうそう。不動産オーナーってどうしても金を大量に借りて物件買って大量に家賃を取る感じになっちゃうでしょ。でも投資業ってハイリスクだから、もう少し持ち出し少なくしてビジネスにできたほうがいいと思うんだよね。鈴木ちゃんたまたま相続しちゃっただけで不動産の人になりたいわけでもないでしょう」
木浦の言っていることはその通りだった。これからライバル物件が増えてどう食っていくのか、それを考えるとすぐに思い浮かぶ解は「物件を増やす」しかないのだった。借入と投資と返済のループが果てしなく続くその道に、優子はあまり足を踏み入れたいとは思えなかった。
「ある意味で情報商材になるわけだよね」
木浦の提案について考えつつ優子はゆっくりと口にした。そのとき視界に入る手が一瞬強く握られ、すぐに戻った。
「……まあそういう言い方もできるかもしれないね」
優子は迷っていた。木浦には最初から今まで世話になりっぱなしである。不動産屋目線の的確なアドバイスがなければここまでやってこれていたかどうかすら怪しかった。一般論として、義理のある仕事は受けるべきである。今ここで悩む理由などないように思われた。しかしどういうわけか優子の脳内には霧がかかっていて、そのうっすら白い向こうから何か嫌な予感が漂ってくるように思われたのだった。
「ごめん、きーちゃん、少し考えさせてもらっても良いかな」
優子はとうとう顔を上げて言った。木浦は優子の見慣れない顔をしていた。口はにっこり笑っているのだが、普段のいたずらっぽいにやにやとした雰囲気がなかった。悪いことしたかな、と優子が後悔しかけたタイミングで木浦は口を開いた。
「もちろん。また勉強会の日にでも話そ」
優子はほっとして頷いた。
「あと何だっけ、専任媒介の話か」
木浦の興味はさっそく次の話題に移っているようであった。気にしていなそうで良かった、優子はふたたびほっとしながら答えた。
「うん。流れだと地元の業者さんにお願いすることになるんだけど」
「いいんじゃないかな」
木浦の笑顔はいつも通りに戻っていた。
「ここ、俺しか宅建士いないんだよね。毎回契約のために予定調整するのもちょっと大変だし、うちの実家に流すくらいなら地元の業者さんにつながり作っといたほうがいい」
「きーちゃんが構わないなら」
優子は頷いた。
「しかしちょっと意外だった」
話題が一段落付いたところで木浦が言った。優子は黙って続きを待った。
「すっげーちゃんと大家さんやってるよね」
「すげーちゃんと、やってるかな」
「やってるやってる。地主様ーって感じ」
木浦がわざと出した軽薄な雰囲気に優子は顔をしかめた。どうしてみな家柄だの血筋だのを持ち出したがるのだろうか。優子はとくに取り柄も特技もないただの会社員だった。だからこうやって手持ちの札を使って生計を立てるしかなかったというのに。
「俺んちなんて生まれたときからもう土地土地売却再開発だから。大事なのは謄本。謄本イズ全て」
「全て」
「だから何となく気づいたら良いところに土地持ってて、ふわーっとラッキーだったわーって言ってる昔からの地元の人、良いなあって思ってた。つくばでも再開発でそんな感じだったじゃん」
つくばは長らく「陸の孤島」と揶揄されていた土地だった。大学や研究所が都心から移転したのは隔離だとも言われた。優子が高校生のとき、その陸の孤島に鉄道が通った。それまで家も店も、道路すらなかったような場所に駅が登場し、あっという間に周囲は開発された。そのときを見越して優子の父は駅前になる予定の場所に土地を買った。始発駅からひとつ離れた駅の、冬は筑波颪に砂埃が舞い上がるひたすら広大な平野が広がるただ中にぽつねんとできた住宅地だった。どうしてこんなところにと当時の優子は思ったものだった。
しかし今となっては周囲が様変わりしている。広大なショッピングモールができて市役所が移転してきた。ぽつぽつと商業施設ができたかと思えばマンションが隙間を埋めるように林立した。今では市内一番の金持ちエリアとまで呼ばれるようになってしまった。大家代行を始めてから、ふと実家近辺の中古住宅売却額を調べてみた。驚いたことに、当時新築で購入した額よりも現在の売却額のほうが高額なのであった。
だから、最初にあの辺りの土地をタイミング良く売った人たちは相当の現金収入を得たのだろう。突如として「金持ちエリア」の地主になったのだ。
「きーちゃんところは何代目なんだっけ」
「じいちゃんが始めて俺で三代目。戦後のどたばたでなんとか駅前に土地を確保してそっから始めたって」
大都市ほど空襲の影響が大きかったと優子も学んでいる。建物が一切焼き払われて町の風景が変わり、地権者も死ぬか離散、場合によっては土地台帳すら灰になっていた。その中から土地を得てのし上がってきた人々がいるのだ。その子孫を今目の前にしているのだなと優子は改めて認識した。木浦から感じる生きることへの貪欲さのようなものは、親から子へと受け継がれてきた気質なのかもしれなかった。
「やっぱね、土地頑張って買いまくった不動産業者って、昔から土地持ってますのっていう地主さんと比べものにならないんだよね。こっちは下賤のものなので」
木浦が下賤のものだとすると優子は何だと言いたいのだろうか、そう思うと優子の心は少し泡立った。泡立って少ししてから、優子は自分が傷ついたのだということに気がついた。
「大家さんって実質不労所得でしょ? 最高に楽だよね!」
優子の頭の中で同期が言った。
「鈴木さんがお殿様だからですよ」
思い出したくもない切れ長の目が優子を見据えていた。
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