ブローカー - 3

坂下さんに優子ちゃんと呼ばれたのはずいぶんしばらくぶりのことだった。祖父について回っていた小学生のころはそう呼ばれていた。しかし十代後半からはこちらに引っ越してくるまでというものほとんど顔を合わす機会すらなかった。再び会話をするようになったときには祖父が他界し、優子は実質的に「サカガミさん」になっていた。少なくとも商談の場では坂下さんは常に優子をそう呼んだ。


優子は質問の意図を知ろうとしばし坂下さんを見つめながら考えた。坂下さんがわざわざ口にするのだから物件に関わることで何か気がかりなものがあるのだろう。そう思った優子は答えた。


「最近入退居が激しいのはちょっと困りましたね」


「そうね」


坂下さんは頷いた。優子はその様子を見て恐らく坂下さんの話したいことに近づいているのだろうという感覚を得た。しかしあまり楽しい話題でもない。簡単に続けた。


「ふた部屋の退居は両方とも新しいペット可マンションに引っ越されてしまいまして」


「優子ちゃんは会った? 」

「どなたにですか? 」


もしかして、さっき光丘さんが言っていた件だろうか。粟田さんの家を買った、「変な不動産屋」。


「あそこの社長。藤田っていうんだけど」

「あそこっていうのは」

「今なんていうんだっけね」


坂下さんはよく分からないことを言っている。デスクの引き出しを開けてごそごそと郵便物などをかき回していたが、一枚の名刺をつまみ上げて優子の方に差し出してきた。


優子は受け取った名刺を眺めた。見覚えのあるデザインだった。遠野の勤める会社「Five Star Estate」の名刺である。横書きにされた「藤田進一」という名前の左上には肩書きがふたつある。二行に分かれて「代表取締役」「宅地建物取引士」と印字してあった。


「変な不動産屋」ではなかったかと思いながら優子は視線を上げた。


「私は営業さんおひとりに会っただけですね」

話題の進む方向が見えないので慎重に言葉を選んで答えた。


「この人ももう長いんだけどね。若いころから知っているけど、もう最初に自分の会社を作って二十年くらいにはなるんじゃないかね」


「そうですか」

引き続き方向性が掴めずに答えた。


「更新回数を見てみて」

坂下さんは優子の持つ名刺を指さす。


宅建業の免許は五年ごとの更新制である。大臣免許か知事免許かという種類の後に更新の回数がかっこ書きで書かれ、そのあとに免許番号が続く。つまり、宅建免許を見ればその会社がどのくらい事業を継続しているのかがすぐ分かる。例えば坂下さんの免許なら「神奈川県知事(7)」のあとに免許番号である。開業したとき(1)から始まり、その後更新の回数ごとに数字がひとつずつ増えていく。


優子は再び名刺に目を落とした。所在地の下に小さく印字されたFive Star Estateの更新回数は果たして「(1)」であった。


「いち?」


思わず疑問が声に出た。最初に会社を作って二十年なら、更新回数は(5)になっていてもおかしくない。どういうことかと問いかけるように優子が坂下さんを見るとうんうんと頷いている。


「不動産屋ってね、商号を変えても更新回数が振り出しに戻るのね」

「そうなんですか」


優子は宅建を持っていないのでさすがに細かいことまでは知らない。

「ということは、最近社名を変えたんですか?」


「最近、独立してから何度目かに、ね」

坂下さんは再びにっこり笑った。優子は顔をしかめた。


「それって」

「不渡りは怖いよねえ」


優子は顔中にしわを寄せたままで名刺を睨みつけた。この藤田という人物は、会社を倒産させて、また新しい法人を作って、をここ二十年繰り返しているとでもいうのか。


宅建業といってもどのような業務で稼いでいるのかは会社ごとに異なる。賃貸物件の管理費がメインのところもあれば、自分で土地を買って住宅を建てて売るところもある。後者は仕入れが高額になるのがリスクである。つまり、仕入れても売れなければすぐに資金が焦げ付く。借金が返せなければ破産するしかない。


「何度も倒産しているってことですか」

優子の確認に坂下さんは黙って頷いた。


「その度にどっかから資金を持って来てまた会社作るんだから、まあ大したもんだよねえ」


優子は以前に見たFive Star Estateのウェブサイトを思い出した。オーナー側に費用負担をさせるサブリースを大きく打ち出していたのは、倒産を繰り返している人間の会社に融資をするような金融機関がさすがに見つからなくなってきたためではないだろうか。中途半端なデザインになっていたチラシも、遠野の仕事というよりはこの藤田という社長の思いつきで全てが決まったのではないだろうか。


少なくとも倒産を繰り返しては懲りずに当たりの大きい不動産業に戻ってくる人物と聞いて、優子はあまり良い印象を抱けなかった。その良くない印象はこれまで見かけてきたFive Star Estateの制作物から感じられるそれと合致している。


「不動産屋さんって、普通は融資を受けてますよね」

「そうね」

「代表はたいてい連帯保証人ですよね」

「そうだろうねえ」

「一度破産した不動産屋さんって、どうやって稼ぐんですか」


会社で借金が返せなければ、個人で返せるわけもない。一緒に自己破産せざるを得ないだろう。当面の間、金融機関から融資を受けるのは難しくなる。


「藤田ちゃんは今ブローカーやってるよ」

「ブローカー」


地上げ屋のようなものだろうか。優子の眉間のしわはなかなか取れない。


「あの新しいマンションはあそこがサブリースしてるでしょう」

坂下さんはようやく本題を口にする気になったようだった。


「もともと区分マンション建ててるとこに売らせるつもりだったみたいなんだよねえ」

「売らせるって、口利きですか」


「そう。ブローカーは土地を売りたい大家の情報を持ってて、土地を買いたい不動産屋は金を持ってる。そこを引き合わせて稼ぐの」


「でも、結局売らなかったんですよね」


「そうそう。地主はもともと売る気なんてこれっぽっちもなかったから」

坂下さんは怖い話をしながらにこにこしている。


「あそこのオーナーさんってどなたなんですか」

細かいところはあまりよく聞こえなかったつもりで尋ねた。


「ああ、優子ちゃんは知らないかもねえ。うちの本家の坂下でね、今は市役所の近くのタワマンあるでしょ、あそこに住んでる」


本家も何も坂下さんが分家であることすら知らなかったので優子は少しくらくらする思いだった。地元の人間関係が濃すぎる。


「藤田ちゃん、昔はちょっと思い込みが激しくて困ったけどそこまで悪いやつじゃなかったんだけどねえ」

坂下さんが少しだけあごを上げて天井を見た。


「今はだめだということですか」

「だめだね」


素早い返答に優子は眉をしかめた。


「本家はつきまとわれて早々に私に連絡してきたからね、弁護士を通したの」


つきまとわれて、と言う表現が生々しい。優子はふとあることに気づいて尋ねてみた。


「もしかして話を進める前から図面ができていたとかそういうことはないですか」


「よく分かったね」

坂下さんが驚いたように優子のほうを見た。


「あそこ、ただの賃貸なのに立派なチラシを作っていて」

優子はだいたいA4くらいのサイズを両手で作りながら説明した。


「間取りも賃貸っぽくないので変な物件だなあと思っていたんです」

同業者のひがみのように思われそうで他の人には今まで言えなかったことだった。


坂下さんはうんうんと頷いた。


「最初にねえ、本家が売らないこともない、みたいなよけいなことを言ったみたいなんだよねえ。それで次に会ったときはここまで計画が進んでるんだ、どうしてくれるってすごまれたみたいでねえ」


「言質を取ったつもりでということですか」

「言質を取ったつもりになったふりをして」


坂下さんはにっこりする。優子は眉間のしわを深くする。


「弁護士を通したしまあなんとか売らずに収まるだろうと思っていたら、サブリースよ」


売らないまでも結局押し切られたということだろうか。優子が首をかしげると坂下さんが表情を改めた。


「弁護士がようよう話をまとめ終わりそうなタイミングになってから、行きつけの居酒屋であそこの営業に会ったんだって」


「オーナーさんが」

優子が主語を確認すると坂下さんは頷いた。


「あんな社長のところで若い子が苦労してるんだねえ、って電話してきてね、なんか今はサブリースってものがあるらしいじゃないか、それなら土地は手放さずにすむし家賃はちゃんと入ってくるし良いんじゃないかなんてね」


非常に嫌な予感がした。あの会社には一体どのくらいの従業員がいるのだろうか。


「そのまま意気投合しちゃったみたいでねえ。止めても聞かなかったよ」

「契約しちゃったんですね、サブリースで」


坂下さんは口を一文字に結ぶと鼻からゆっくりと息を吐いた。その続きは聞きたくなかったが、尋ねざるを得なかった。


「その営業さんって、どなたですか」


「若い男だって聞いたね。なんだったか、後ろに野、が付くような苗字の」


「遠野さん」

「そう、そんな名前だった」


優子は思わず目を閉じて深く息を吸った。少し目眩がした。


「それ、きっと」


「悪い刑事と良い刑事だろうねえ」


悪い刑事は容疑者を怖がらせる。怒鳴ったり机を叩いたりして萎縮させる。一通りやりきったら良い刑事の出番である。カツ丼を持ってにこにこしながら入室するだけだ。そう、笑顔が重要である。


勘弁してほしかった。もともとそこまで印象の良い相手ではなかったが、何度か会って話してそれなりに距離が近づいていた。いぶかりながらも謝罪と誠意を受け取ったつもりでもいた。しかしやはり信用してはならない人物だったのか。今まで優子が見てきたもの、聞いてきたものの、果たしてどこまでが嘘ではなかったのだろうか。


「優子ちゃんはつきまとわれてないね」


重々しい確認の言葉に目を開いた。曖昧に頷きながら、否とは言いがたかった。


「私は大丈夫だと思います。ただ……」

「ただ?」


「うちのアパートの原元さん、彼のお店に頻繁に来ているみたいで」


先ほどの「居酒屋で会った」というのが気にかかった。優子と一緒に食べた鯖の塩焼きも、ゲンさんも、飲食店というくくりで共通する。食事をすると人は無防備になる。一緒に食卓を囲むと仲間であるように思ってしまう。酒が入るならなおさらである。


「なるほどねえ」

坂下さんは手のひらであごを軽くこすった。


「沼田んちには一言言っておいたほうが良さそうだねえ」


沼田というのはゲンさんが働く店のオーナー夫妻のことである。開業医であり、かつ古くからの土地の家だと聞いている。町内会が別なのでそれ以上の情報を優子は持たない。


「沼田さんちも土地持ちなんですよね」


「もちろん。線路用に土地を売ったからね、あそこはずっと金持ちよ」


聞いていないことまで教えてもらえた。優子はこれも聞かなかったふりをすることにした。


「何もなければ良いんですけど」


「大丈夫。もうあったから」


坂下さんはまたにこにこしている。優子は再び眉間にしわを寄せる羽目になった。


「もう?」


「この先のね、大通りに出るところの角に粟田って家があったでしょう」


優子は嫌な予感に顔をしかめた。確かに、遠野の会社がブローカーをやっているのであれば「変な不動産屋」と買った業者が別でも話は成立する。


「さっき光丘さんが町内会費の集金に来られて」


優子は言葉少なく答えた。


「じゃあ、聞いた?」

「変な不動産屋が、という話を聞きました」


坂下さんはにっこりした。


「藤田だね」

「そうですか」


優子は答えて唇の裏を噛んだ。


「あそこは常にコンビで動いてるんでしょうか」

「藤田ちゃんが行って動かなければ、そうだろうねえ」


唇の裏を噛んだまま鼻で深呼吸をした。何度か深呼吸を繰り返して、いったん遠野の問題を頭の隅に置くことに成功した。ここから先はビジネスではなく、交友関係である。坂下さんに言っても仕方のない話だ。


「あそこの擁壁って古くないですか」


気持ちを切り替えて優子は尋ねた。解体の掲示が出ていたのだから、新しく何かを建てるつもりなのだ。その際にあの古びた擁壁は耐えられるのだろうか。優子の質問に坂下さんはさらににっこりした。


「古いだろうねえ」

「擁壁、補修するんでしょうか」


優子の問いに坂下さんは三度にっこりしただけだった。




「鈴木さんがお殿様だからですよ」


遠野の静かな声が耳元で聞こえたような気がした。しかしそれは優子の脳が記憶を再現しただけだった。酔いによる聞き間違いかとも思われたあの発言を、自分は恐らく一言一句聞き逃してはいなかったのだと優子は確信に近い思いを抱いた。


きつねは天下を取ろうとする。お殿様はきつねを殺す。お殿様は戦争で死ぬ。お殿様はきつねの話を聞く。お殿様は呪われる。エリさんの言った「呪い」という言葉が頭の中でこだました。優子は目を閉じて深呼吸を繰り返した。荒唐無稽な昔話がまとわりついてくるようで薄気味が悪かった。

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