きつね浜 - 2

エリさんの話が本当なのであれば、とうとうきつね浜に辿り着いたことになる。優子たちは岩場の上にうっすらと積もった砂地に立っていた。


ゲンさんがよっこいしょ、と言いながら岩場の下に降り立った。ざり、という音がするのでよくよく見ると、降りた先はただの砂地ではない。細かく割れた貝殻が一面に広がっている。波が運んでくるのだろう。


優子も岩場から軽くジャンプして飛び降りた。ざりざりと音を立てながら、先ほど見えた灯台だというものに近づいてみる。波打ち際ぎりぎりに建つそれは白く細長く、中央がすぼまって両端が太い柱状をしていた。頂点には何かの装置が付いている。そこから光を出すのだろう。すらっとしたオブジェのようにも見えるがそれにしては巨大すぎる。もう少し近づいてみると台座部分のプレートに「諸磯埼燈台」と銘打ってあるのが見えた。なるほど本当に灯台であるらしい。


灯台をじっと眺める優子にゲンさんが近づいてきた気配がした。振り向くとゲンさんも灯台に視線を向けている。


「確かに灯台っぽくないなあ」


ゲンさんの言葉に頷く。


「私、灯台ってもっとてっぺんが丸くて、くるくる光るやつが回ってるのかと思ってました」


「そういう感じの灯台あるよ、この辺りにも。剱崎とか」


「つるぎざき」


耳慣れない地名である。


「タコ釣っても怒られないスポットなんだよ、剱崎。今度タコ釣り行くから釣れたら食べにおいでよ」


さっきは釣り人に文句を言っていたわりに自身も釣りをするのがゲンさんである。言動が一致していない気がするがそう思う優子にも自身の矛盾点については思うところがある。人間の弱さである。


「ありがとうございます」


タコは好きなのでとりあえず礼を言った。


そういえばエリさんはどうしているのだろうかと振り向いた、と、てけてけとララが歩いてきた。エリさんがリードを離してしまったのかと思って優子は慌てて手を出した。掴んだハーネスには見覚えのない色のリードが付いている。



「それ二十メートルあるから大丈夫よー」

声が聞こえるほうに顔を向けると、エリさんがテントを立てている最中だった。


リードの長さのことを言っているのだと理解して、了解の意を示すために頷いた優子は手を離した。ララはといえば「これはまた嗅いだことのない海ですね」という顔をして鼻を動かしている。とりあえず放っておいてくれたまえという犬のメッセージを受け取って優子はエリさんのほうに足を向けた。


手伝います、とは言ってみたもののテントとはどのようにして組み立てるものなのかが分からない。結果的に優子は作業するふたりの周りをうろうろうろつき回るだけになってしまった。


「こっちは大丈夫だからげんたろう一泳ぎして来なよ、もう午前中終わっちゃうよ」


エリさんが顔だけゲンさんのほうに向けて言った。スマートフォンを見れば確かに十一時を回ったところだった。とはいっても普段の優子ならようやくのろのろと活動を開始するような時刻である。今日はかなり頑張って早起きをしたほうだ。


ではお言葉に甘えて、と言ったゲンさんはその場でハーフパンツを下ろしはじめた。優子はぎょっとしたがエリさんは平然とした顔をして骨組みにテントをかぶせている。よく見ればハーフパンツの下に履いていると思っていたスパッツのようなものはウェットスーツなのであった。


「夏用のウェットスーツもあるんですね」

初心者丸出しの感想を口にしたのは、ウェットスーツの上半身が半袖になっているからだった。


「んー、これは初夏用かな」


ゲンさんはこともなげに言いながら脱いだ服をたたんでいる。優子は眉根にしわを寄せた。夏用・冬用とざっくり考えていたら初夏用と来た。一体この人は何種類ウェットスーツを持っているのだろうかという困惑である。


「真夏は下も短パンになってるのとか、上下セパレートになってるのとかだね。ほんとは長いので肌を守ったほうがいいんだろうけど、さすがに暑すぎてなあ」

「この時期に冬用を着るのはだめなんですか? 」

「俺が持ってる冬用はちょっと分厚すぎて動きにくいんだよねえ。可能であればこれで泳ぎたいかなって感じ」

これ、と言いながら自分のウェットスーツを引っ張っている。優子はなるほどと頷いた。


柔軟体操をしながら波打ち際に向かうゲンさんに手を振って、優子はいつの間にか完成していたテントの前に腰を下ろした。「穴場」というエリさんの言葉通り、三人と一匹のほかには人っ子ひとり、それどころか鳶の類いすらいなかった。ひたすら寄せては返す波の音が聞こえた。相変わらずの曇り空だが雨は免れそうだ。海は穏やかなように見えて、ときたま強いしぶきが灯台に当たって砕けている。じっと波の音に耳を傾けているといつまででも時が経ってしまいそうに思えた。


ぼんやりとした視界の端に茶色い生き物が目に入った。狐、と反射的に思った優子は目をしばたいた。波打ち際をララが探索していた。



きつね浜に来ているのだった。優子はエリさんを探して身体を傾けた。三浦荒次郎について検索してもヒットしなかったきつね浜である。エリさんはどうやってこの場所のことを知ったのか、それを尋ねたかった。


エリさんは少し離れた岩場からテントのほうに戻ってくるところだった。右手には流木らしきものをひと束掴んでいる。


「おゆうもコーヒー飲む? 」

遠くから元気な声で聞いてくる。ありがとうございます、と返事をした。


テントに辿り着いたエリさんは丸くて大きい缶のようなものをバッグから取り出した。砂地に安定させて置くとそこに流木を放り込む。次いでチラシを出してきてライターで火を付けた。


「たき火ですか」

質問というよりは確認であった。エリさんはんー、と生返事である。


「ソロストーブっていうんだけどね、これ」

これとは缶のようなもののことである。


「火が付けやすい、火力が安定してる、上で調理できる、でお手軽アウトドアの定番」

「エリさんがアウトドアってちょっと意外でした」


正直に感想を伝えた。ララと一緒に少し遠出をしたりはするらしいが、山登りやキャンプなどという話はとんと聞かない。今朝優子がふたりに会ったときには荷積みが終わっていたのでどの荷物が誰のものなのかよく分かっていない。テントなどはてっきりゲンさんのものだと思っていたがどうやらエリさんが持ってきたようだ。


「昔はよくやってたんだけどね」

エリさんは遠くを見ていた。優子はそうでしたか、と小さく返事をした。


炎がぱちぱちと音を立てた。エリさんはペットボトルの水をとくとくとケトルに移してソロストーブの上に置いた。


「そういえばあたしのこと探してた? 」

エリさんの問いに頷く。


「ここがきつね浜だって言ってたじゃないですか」

「ん」

「どうやってここのこと知ったんですか?」


「その辺に看板があるはず……ん、ないな」


優子はエリさんが指さしたほうに視線を向けた。よく見えないので立ち上がると、岩場の一番高い辺りに看板が付いていたように見える枠組みだけが見えた。


「あれのことですか」

エリさんはうおー、などと言っている。

「たぶんあそこだわ。腐って取れたね、看板」

「あの看板に何か書いてあった」

「ん、狐を殺してきつね浜。狐の祟りが云々かんぬん」


雑である。優子は少々力んで立ち上がっただけに調子が狂った。ただ確かに内容は遠野の話と一致している。


「実は先日、遠野さんからきつね浜の話を聞いたんです」

「またそりゃどういうわけで」


エリさんの疑問ももっともである。優子は税務署に行った日に遠野に出会ったことを説明した。


「大丈夫かね、それ。おゆうさんつけられてない?」


話を聞いたエリさんは物騒なことを言い出した。優子は蒼の脱走一日目にアパートの敷地内で遠野に会ったことを再度思い出した。しかし首を振った。人の行動を悪意に取りすぎるのは良くない。


「分かりません」

「まあ、大丈夫かな」

エリさんはどういうわけかひとりで納得している。

「そいで、どんな話だったの」


問われるままに優子は遠野の語りを思い出した。


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