46. 援軍

 視覚も聴覚も閉ざされたロクの胸元で、錦は来たる衝撃に備える。

 四十メートル。

 止まった敵が、膝立ちで銃口を向けた。


 銃撃音は無い。

 銃の閃光マズルフラッシュの代わりに、影が景色を呑み込む。

 駅前に立ち上がった暗黒の大波が、一瞬で敵の群れまで到達し、その尽くを闇深くへさらった。


 円町の大技、黒狂濤こっきょうとうである。

 連発は出来ない技だが、ロクのいる場所まで届きそうな勢いだ。


「来いっ、烏丸!」


 夷川の掛け声が聞こえた時、ロクと錦は既に空を飛んでいた。

 実体を消し切れない錦は、胃の浮き上がる感覚で自分の状態を知る。

 肩、それに膝の裏が冷たいのはロクの手が支えているからだ。

 熱の無い世界が、影縫いとなった彼女には優しい。


 すぐに着地の衝撃が安らぎを破り、錦は駅前の車道へ投げ出される。

 乱暴な扱いにロクを振り向くと、影を薄めた彼は鳶口を杖にして身体を預け、肩で息をしていた。


「ロク、大丈夫?」

「重い」

「そんなあ……」


 影を使い過ぎた自覚は、ロクにもある。

 縫った数も相当なものだが、補充には全く足りない。

 道路の真ん中で固まる二人を、走り寄った夷川が急かした。


「まだ敵だらけだ、急げ!」

「府警へ行かなかったのか」

「おぬしの護衛を吉田に頼まれた。円町の家も近いしな」


 その円町は既にホーム上におり、にこやかに皆を手招きする。

 正面のブロック壁は脇に階段があり、ここを上って長々と改札までの通路が続く。

 ホームとは鉄冊で区切られただけの構造で、素直に道筋をなぞるのは馬鹿らしい。

 夷川に続いてロクも冊を飛び越え、もたつく錦へ手を貸してやる。


 銃弾が彼女の横をかすめ、停車する小豆あずき色の車両に穴を開けた。

 群がる敵の中から五つの影が突出し、バッタのように跳ねて駅へ急迫する。

 車両へ飛び乗る直前に、ロクは先頭の運転手へ届けと声を張り上げた。


「ドアを閉めろ! 出せ!」


 乗り物嫌いのロクが敢えて鉄道を移動手段に選んだのは、力の消耗を予期したからだ。

 西京極から長岡京まで約九キロ、十分の行程。ノンストップで走る列車は、疲れたロクよりも速い。


 しかしながら急遽借り出された運転手は、切迫した危機などとは無縁の民間人である。

 のんびりと安全確認を行い、ドアを閉めた時には、影が車両へなだれ込んでしまった。

 八両編成の電車で、ロクらが乗ったのは後ろ寄りの七両目。

 敵は五両目辺りへ乗ったのが、連結部の窓越しに窺える。


「爺さん、さっきのはもう一度使えるか?」

「無茶言うな、絞ってもしばらくは黒波なんて出んわ」


 ロクのリクエストを否定して、円町は大袈裟に首を振った。

 禿頭とくとうと白い顎髭がトレードマークの円町は、隠居を勧めたくなる老人だ。

 上部が尖ったしずく型の球――影宝珠を駆使して黒い波を起こす。

 肉体の衰えは必ずしも影縫いの力量に直結しないが、無理が利かない年齢ではあろう。


 円町には最後尾の車両へ避難するように告げ、敵の相手はロクたち三人が務める。

 速度が乗り、車体は細かく震動を始めた。

 通勤客用の一般的な車体は、緑のロングシートが左右に設置されたものだ。

 連結部のウインドウに加え、それを挟む形で壁にも大きな窓が在る。

 開放的な設計は良いが、今はそれも良し悪しであろう。


 ロクと夷川は連結ドアの際まで素早く移動し、一度偵察するために屈む。

 隠れるためには、敵に背を向けて床へ座る羽目になった。

 夷川も窮屈そうに、対面で同じ姿勢を取り縮こまる。


 錦から受け取った端末をミラーモードにして、ロクは隣の六号車を観察した。

 鏡をウインドウの下端にまで持ち上げると、こちらへ歩いてくる敵の姿が映る。

 戦闘服は四人、あまり良い情報ではない。

 五人だと見えたのが正しければ、一人は別行動を取ったということである。運転室へ向かったなら、電車を停められてしまうだろう。


 一列に並ぶ四人は影まみれで、それなりの強さだと考えた方が良さそうだ。

 重なって見づらいが、先頭の縫い具が千手鈎なのは分かった。

 夷川をもう一回り膨らませたような大男で、賀茂大橋で会った敵とは全く違う。

 死んだ仲間から得物を回収し、新たに嵐山となったというところか。


 二番目は背より低い中サイズの槍、他は識別を諦め、床に端末を滑らせて錦へ返す。

 彼女は乗車口近く、シートの側壁に身を隠していた。

 ロクが突っ込めば、嵐山は確実に縫えるだろう。残りを無傷で仕留められるかは、仲間の援護次第だ。

 夷川に目で突入を伝えた時、けたたましい破砕音が響く。


 六号車で窓ガラスが割れる音。その直後、ロクに近い側面の窓を割って、黒い鎖が頭上を横切った。

 鎖は夷川のいる側の窓も叩き割り、するすると戻って行く。

 威力偵察とでも呼ぶのが適切なのか、窓四枚と錦の傍に在るドアガラスをぶち破るまで、破壊は繰り返された。


 ガラスの破片が、ロクたちへも弾き飛んでくる。こちらを視認しての攻撃ではないものの、この縫い具は少し面倒臭い。

 鎖影の縫い具、御室おむろ

 射程や動きは夷川の羂索に似ていても、性質が大きく異なる。

 捕縛に特化した夷川に対し、御室は破壊が専門だ。


 黒鋼から伸長した影部分も高硬度で、敵を打ち据え、砕いて縫う。

 細かく軌道を変えて攻撃する御室の方が、電車内では鳶口より有利である。

 連結ドアのウインドウが、鎖の一撃で爆ぜ散った。


 ロクが割れたウインドウを指すと、鏡で彼を見ていた錦はジェスチャーの意味を理解する。

 手元で弓を構え、射出した矢を強引に曲げた。

 連結部を越えて行く矢をロクが追おうとした瞬間、六号車からもプレゼントが投げ込まれる。

 日常生活ではまずお目にかからなくとも、大抵の者が知っている拳大の危険物。


 夷川が羂索で手榴弾を掴み、割れ窓の外へ投げ捨てた。

 轟音と共に、至近で起きた爆発が車体を揺らす。


 まだ窓枠にへばり付いていたガラスが、爆風には耐え切れず夷川へ降り注いだ。

 プレゼントはもう一個、僅かな時間差で連結部分が爆音を響かせる。

 今度は衝撃を受けた電車のフレームが、悲鳴に似た軋みを上げた。


「目茶苦茶やりやがる。矢を!」


 軽量化重視のアルミ車体では、手榴弾の攻撃を受け止められるはずがない。

 内壁もぼこぼこと凹み、揺れは地震を思わせるほど酷くなった。

 電車を破壊するつもりでも、爆殺を狙ったものでもなかろう。不安を煽って炙り出す気だ。


 では、その期待に応えてやろうと、ロクは行動を開始した。

 背後の割れた窓へ、後ろ向きのまま思い切り跳ぶ。

 錦の矢が目くらましになったことを祈りつつ、彼は車外へ身を投げ出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る