33. 本命

 倒した数を報告し合う声が、夜の御所に響く。


「十四!」

「八だ、クソッ。なかなか近寄ってこねえ」


 上七軒に応えて下鴨が返す。叫ぶ二人に、練習を繰り返した錦もやっと参戦した。


「二!」

「まあ、呑み込みは早い。出遅れた分、働いてもらおう」

「うんっ」


 教師務めを終了した鷹峯も、寄せる敵の迎撃に向かう。

 影はまだ御所中に溢れているが、増援が来ていない限り、そのほとんどは蛾のはずだ。

 防戦の終わりは近いと皆が考え出した時、さらなる朗報が届く。

 疲労の濃くなっていた八坂が最初に、鹿苑寺の矢が途絶えたと気づいた。


「矢が来ない……もう二発分は間が空いたわ」

「銃撃も減ってきた。休憩させてくれ、いつもなら寝てる時間だ」

「私もこんなにくたびれたのは、久しぶりよ」


 八坂はともかく、扇を畳んだ吉田へ、修業が足りんと鷹峯のツッコミが入る。

 この好機に掃討へ出るべきだという主張に、吉田も嫌々ながら同意した。


「しゃあないな。俺と鷹峯、下鴨が遊撃に出よう」

「ボクも行く」

「上七軒は控えてろって、烏丸が言ってたろ」

「ヤだよ。こっからが面白いのに!」


 言い争いを始めた二人を、八坂が呆れつつ執り成す。

 じっと待つのが嫌いな上七軒のことだ、多少はわがままも聞いてやらないと却って無茶をしかねない。

 あまり離れ過ぎないとだけ約束させ、彼も攻勢に参加すると決まった。


 錦と八坂は清涼殿の近くに留まり、他は攻める方向を大まかに分担して雲から飛び出す。

 皆がいなくなっても弓を構える錦へ、八坂が休むようにアドバイスした。


「気を張り過ぎよ。射っぱなしじゃない」

「それは八坂さんも一緒なんじゃ」

「花は減らした。外も見えるでしょ」


 花びらの数を減らし、雲を縮めたお蔭で、月の明かりもおぼろに差し込んでいる。

 銃弾なら防げる最小限の厚みであり、回復は無理でも、敵を全滅させるまでは持ちそうだった。


「雰囲気がどんどん悪くなってきた。あんまり影を使わない方がいいわ」

「陽鏡のことですか?」

「ようく花を見てご覧なさい。清涼殿へ向かって流れてるでしょう? ここじゃ必要以上に力を吸われるのよ」

「来た時より酷い。髪を引っ張られてるみたい」


 手櫛で髪の乱れを整えた錦は、肩の力を抜いた。

 辺りを見張りながらも、人心地つくと余裕も生まれる。

 八坂へ時折視線を送る少女へ、彼女は優しく笑みを返した。


「なあに? 質問かしら」

「あの、ロクとは知り合いなんですよね?」

「彼は古株だもの、大抵の影縫いは顔見知りよ」

「すごく若く見えるんだけど……」

「歳? 本人に聞けばいいじゃない」


 自分のことを語りたがらないロクへ、あれこれ尋ねづらいと錦は答える。

 残念ながら八坂も彼の年齢は知らず、逆に聞いたら教えるよう頼んだ。


「やっぱり聞けないかなあ」

「嫌われたくないのね」

「そういうわけじゃ……ん、そうなのかな」

「難しいこと考えずに、好き勝手言えばいいのよ。若い子なら、甘えても許してもらえるから」


 甘えるのは苦手なんだと自分の性格を説明し始めた錦は、途中で八坂の表情を見て狼狽うろたえる。

 眉を吊り上げて北東へ向いた八坂が、害虫でも見つけたように吐き捨てた。


「来たわ。重役出勤もいいとこね」

「詠月!」


 錦の探知外でも、空に揺らぐ影炎を見ればそうと分かる。

 自分の圧を隠そうともせず、蜃気楼さながらの影が北東から御所へ近づいていた。


「花を解く。弾は自力で避けて」

「はいっ、清涼殿を守ればいいんですよね?」

「詠月を縫うのが最優先よ。どうせ雑魚はあらかた片付いたわ」


 迎撃に向かう八坂に、錦も並走する。

 猿が辻に差し掛かったところで、吉田も彼女たちへ合流した。


「攻撃がヌルいと思ったら、あいつら外の警官を落としてやがった」

「見境無い連中ねえ。あとどれくらいいるの?」

「見つけた奴は全員縫ったよ。残るは親玉だ」


 街路で戦うのは避けたかったが、既に敵が暴れたのなら遠慮しても仕方ない。

 警官がまだいるなら眠ってもらうことにして、御苑の北門へと急ぐ。

 今出川通に出た途端、下鴨の悪態が耳を突いた。


「クソがぁっ、近づけねえ!」


 通りは花雲にも劣らない暗さで、何かがいると闇が伝える。

 その大元へ突撃した彼は、空振りを繰り返した挙げ句に一度後退した。

 近づけない、は間違った表現だ。どこに本体がいるか分からないと言うべきだろう。


「黒花繚乱!」


 煙幕にも似た影を吹き飛ばすため、八坂が残る力の有りったけを篭めて花を撒いた。

 細かな花弁が闇へ浸蝕し、あちこちで黒く弾けて影を薄める。

 ぼうっと浮き上がる人の形は一町、百メートルと少し先、予想よりずっと近かった。

 再び突貫しようとする下鴨を抜き、鷹峯が行く。

 迫る彼に、相手も気づかぬはずはなかろう。


「遅い」


 鷹峯の言葉通り、人影は散策でもするような歩みで街路の真ん中を進む。

 事情を知るよしも無い乗用車が、詠月に直撃するコースを走り抜けた。

 ドライバーは暗さに目を眩ませただろうが、歩く詠月には何の影響も見られない。極度に実体を薄めた影の塊だと、これで窺い知れる。


 影の相手は影縫いの務め。詠月の直前で右に曲がった鷹峯は、ぐるりと円を走って影法師を囲った。

 六本の薙刀が円弧に並び、中心へと突き出される。

 本人の命名によればなぎの黒眼――最初に見た吉田が吹き出したこの技も、円内にいて耐えられる者はそういない。

 人影は突かれた胴から爆散して、霧と消えた。


「鷹峯、後ろだ!」


 下鴨の警告を聞いて身を捻り、彼は間一髪で斬撃を躱す。

 日本刀を握る着流しの男が、二撃目を放とうとした時、駆け付けた下鴨が地を縫った。

 彼の爪はわずかに男の動きを鈍らすことに成功し、その隙に鷹峯は横薙ぎの刃から跳び退く。

 長い髪は白く、着物も白い。ただ双眸そうぼうだけが、異様な黒さをたたえていた。


「貴様が詠月か」

如何いかにも」


 返事と同時に、鷹峯の喉へ平突きが飛ぶ。

 その詠月を背後から斬ろうとした下鴨の爪は、またしても空を切った。

 嫌な悪寒が下鴨を襲い、本能に従って横へ跳ぶ。

 彼の背中があった場所へ、詠月の刃が振り下ろされた。

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