25. 開幕
陽鏡が影を寄せるのだろう、ここにはよく影落ちが迷い込む。
御苑をよく訪れる八坂には、今の状況は日常とそう変わりない。
来た影を縫う、その影が今回は詠月という巨大な相手というだけだ。
南端で吉田と目配せし、また北へ。
囮の数を見れば、京が何らかのポイントなのは確定している。あとはタイミング、いつ仕掛けてくるのか。
淡々と更ける夜は、ロクが南北を十往復した時に終わりを告げた。
堺町御門に向かって歩く彼へ、吉田の方から駆け寄る。
「桂川を渡って、大量の蛾が飛んで来たらしい。影虫だ」
「虫と流水を煙幕代わりにするつもりか」
「どうする、俺たちも行くか?」
桂川は京都市街の南西、御所からは遠い。
撹乱好きの詠月のこと、まだ動くのは早いとロクは判断した。
「そっちは他の連中に任せとこう」
「分かった。何人か南へ回るように伝える」
ショートメールを送信しながら、吉田はまた御苑の外へと歩き出した。
しかし、すぐさま振り返ってロクを呼ぶ。
「蛾に影落ちが混じってる。縫い具持ちがいるみたいだ」
「敵の人数は?」
「それはまだ……。待ってくれ、鴨川下流にも蛾が発生した」
御所の南方にも影蛾が出たということであり、先の桂川より近い。
戦力分散は避けたいが、それは敵も同じはず。
数の勝負となっても、決して影縫い側は負けない自信が皆にあった。
「影だらけで手間取ってるものの、渡河した場所で食い止めてる」
「影縫いが押されるようなら加勢しよう」
「いや、待ってくれ。高野川にも出た。修学院辺りだ」
北東、御所からは約三キロ。敵が街の中へと侵攻するなら、この高野川から来た連中が最初に御所へ到達する。
時刻は午後九時を過ぎ、いよいよ鹿苑寺も現れ得る頃合いだ。
「ここから修学院の間に、影縫いは何人いる?」
「連絡をくれたのが
「二人には交戦しないで、南へ退くよう伝えてくれ」
「オーケー」
ロクは丹波たちを餌にして敵を引き付け、一気に殲滅する布陣を取ると決めた。
急いで御苑を回り、鷹峯と下鴨は北端の
ロクは東西の真ん中、今出川通の南に位置する猿が辻で待機する。
御苑が大きな長方形なら、その中にまた塀で区切られた小さい四角が御所だ。
御所の北東壁は、内側に向けて角が凹んだ特殊な形をしていた。これが猿が辻であり、御所にとっては鬼門に当たる。
影を体現するロクに、相応しい場所かもしれない。
前衛二人がレーダー役、ロクが主力で、後衛が三人。ウロウロと落ち着かない吉田は、差し詰め遊撃係か。
深まる闇へ同化するロクを、吉田であっても見落としかける。
猿が辻を通り過ぎそうになったのを慌てて引き返し、ロクへ最新の状況を報告した。
「南は混戦中、北の丹波は連絡が取れない」
「まさか、やられたのか?」
「そりゃまあ、寝ちゃいねえだろうし……」
小さな鳥の鳴き声が、夜風に乗せて御苑に響く。
市街に似つかわしくないキジの真似は、スマホ嫌いの鷹峯による口笛だ。
敵が接近せり――伝え方はともかく、その意味は明瞭だった。
「来る、備えろ」
「蛾を飛ばして来るぞ?」
「目視で縫えば済む話だ。見えるまで引き付ければいい」
御所が狙いだと考えたロクの推測が当たったかは、五分五分といったところ。
敵の主力はどれか、詠月はどこにいるのか。
御苑に入って来た者を闇から縫い、混乱させ、鹿苑寺が参戦するまでに奇襲を成功させれば、新米影落ちは一掃出来よう。
鳶口を抜き、耳を澄ませるロクに向かって、半ばまで影となった鷹峯が駆けて来た。
「烏丸、探知を掛けろ!」
「敵を見失ったのか?」
「数が予想外だ。囲まれた」
「影蛾は無視しろ、影落ちだけを――」
「違う!」
自ら居場所を知らせるのは、得策と言えない。
これが錦なら落ち着けと
冷静さを売りにする彼が、こうも語気を荒らすとは。
「調べてくる。皆は猿が辻に集まれ」
下鴨への連絡は吉田に任せ、ロクは北東へ走った。
一度御苑の外に出てから探知を図るつもりだったが、角塀が近づくにつれ影炎が嫌でも目に入る。
塀越しに見える影は、数珠繋ぎに御所を取り囲んでいるようだった。
「なんだこれは……」
街路に出るのを断念し、松葉の積もる地面へ手を付ける。
影の円を、半径五十メートルまで広げた。
胡麻を振ったような黒点は蛾によるものとして、塀沿いに整列する影は何か。
半径を百メートルへ、さらに五百メートルへと拡大する。
前方の塀の上に、人影が立った。しゃがんだ影は塀の向こうへ手を伸ばし、続く仲間を引き上げる。
こんな黒影が、見渡す限り大量に湧いていた。
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