ふたなりの女(その8)
神田川が大川に注ぐ河口辺りで、屋形船を岸の石柱に係留する綱を調べて回った。
近づく台風のせいか、強風にあおられた船同士が音を立てて激しくぶつかり合っていた。
石柱に結ばれた綱は太さこそ違え、恵信坊の首を吊った綱によく似ていた。
岡埜にいわれて手控え帖に書き写した結び目と、船を係留する綱のそれと見比べてみた。・・・これも、よく似ていた。
「風の強い中、難儀なことでございますな」
声をかけられ、ぎくりとした浮多郎が振り向くと、山岸屋の伝兵衛が、にこにこ笑いながら立っていた。
「お酒でも」と、近くの料亭に誘われた。
固辞すると、すぐ隣の蕎麦屋に案内され、結局ここでも酒が運ばれてきた。
酒には手を付けず、
「この綱は、谷中の五重塔のてっぺんから吊り下げられた感応寺の恵信坊の首を絞めた綱です。この辺に係留してある綱と同じように見えます。結び目も・・・」
浮多郎は懐から手控え帖を取り出し、岡埜に命じられて描いた絵を伝兵衛に見せた。
「どれどれ」と絵を覗き込んだ伝兵衛は、
「なるほど、船を繋ぐ結び目とよく似てますな。これは、今日のように強い風の力で引っ張られてもほどけないよう、船頭たちがする結び方です」
伝兵衛は答えた。
「ということは・・・」
浮多郎が誘導すると、
「ということは、船がらみの仕事をしているやつが、恵信坊を吊り下げた、と」
伝兵衛はつられたのか、あるいはわざと誘いにのったのか、顔色ひとつ変えずにいった。
「でも、柳橋あたりのやつとは限りませんな。大川のもっと上流にも下流にも、船頭など山ほどおりますぜ」
腹を揺すって笑う伝兵衛に、
「陰富の恨みで、恵信坊を殺す動機のある船がらみのやつは、そんなに多くはありませんぜ」
匕首を突き立てるように浮多郎がいったので、顔色が変わった伝兵衛は、おぞましいモノでも見るように、浮多郎を長いこと見つめた。
―翌朝、台風が江戸湾から上陸し、さんざん江戸八百八町を暴れ回った。
嵐が過ぎ去るのを見計ったように、山岸屋の若い衆が「主の伝兵衛が、夜明けに襲われた」と、奉行所に届け出た。
「夜明けに、若い男が襲ってきて、いきなり首を絞めました」
首の青あざを見せ、苦しい息を継ぎながら、「大声を出してドタバタ暴れたので、若い衆が寝室に駆けあがってきて、襲ったやつをとっ捕まえてなぶり殺しにしたようです」
と、伝兵衛は岡埜に訴えた。
たしかに、若いヤクザ者が虫の息で、寝室の片隅に横たわっていた。・・・手には伝兵衛の首を絞めようとしたという綱を握っていた。
「見知ったやつか?」
岡埜が顎をしゃくると、伝兵衛は、
「へい、つい数日前『ふたなり』の見せ物をこの先の料亭でやったのですが、この男は染井稲荷近くに住むお蓮という『ふたなり』の片割れだと思います」
と、すらすらと答えた。
すぐに、浮多郎が呼ばれた。
「たしかに、この男は内藤新宿の博打場でいかさまをやって寄場送りになった新助という男です」
浮多郎が答えるそばから、
「感応寺の恵信が、妙蓮寺に火をつけて、お蓮の父親の住職を焼き殺したのです。それで、このヤクザ者がお蓮に代って、恵信を仇とつけ狙っていました」
伝兵衛が喚きたてた。
「恵信坊は死んで、仇は討った。それがまたどうして伝兵衛さんを殺そうとするんで?」
浮多郎が問い詰めたので、伝兵衛は「それは・・・」とひと声発して、押し黙った。
岡埜が、「奉行所で洗いざらい話してもらおうか」と腕を取ったので、伝兵衛は小刻みに震えた。
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