ふたなりの女(その7)

「富箱の中にあったのが、富札ではなく、銭だったというのは何なのかねえ」

浮多郎の話を聞いた政五郎は、読みさしの京伝先生の読本を放り出し、しきりに首をひねった。

「三月にあった富籤興行の金が残っていたなんてえことは・・・」

「ないね。七割は当たり籤に配当し、残りの三割はお上と感応寺で分けたはずだ」

「やはり、恵信坊の金でしょうか?それにしてもけっこうな金でした」

ふたりは、そろって腕組みをして考え込んだ。

「ところで、山岸屋の伝兵衛の仕事をして縁ができた、といってましたが、どんな仕事だったので?」

政五郎は、「はっ」として顔を上げたが、何か答えにくそうな顔をした。

「ずばりいうと、陰富だよ。松平定信さまのご改革とやらで、毎月あった富籤興行が年に三回になったので、あちこちで陰富が流行りだした。伝兵衛さんもはじめようとしたが、『待った』がかかった。それが、どの筋からなのか探るのが仕事だった」

「で、どの筋からだったんで?」

「感応寺からさ。その裏には寺社奉行が控えている。で、それ以上は進められなかった」

「草分けの御免富の感応寺が、そんなことをするものでしょうか?」

「分からん」という政五郎に昼のうどんを食べさせてから、浮多郎は吉原へ向かった。

江戸町一丁目の岡本屋をたずね、「この間の破戒僧だが・・・」といいかけると、

「今朝、谷中の五重塔で盛大に首を吊ったそうですね」

と、帳場に座る番頭が、即座に答えた。

さすが、吉原は地獄耳だ。

「いつからの馴染みだね?」

とたずねると、「この一年のことで」と答えた。

「相方は?」

「お志摩です」

それを聞くと、浮多郎は二階へ上がった。

大部屋で、振袖新造のお志摩は諸肌脱いで、昼営業のための化粧をしていた。

「お馴染みは、お坊さんと知ってたのかい?」

浮多郎がいきなりたずねると、お志摩は鏡の中からまぶしそうに見上げ、

「知ったうえでとなると、お咎めがありんすか?」

と、たずねた。

浮多郎が首を振ると、安堵したのか、

「はじめから知っておりやした。・・・今朝お亡くなりになったそうで」

と、悲し気な表情で答えた。

「陰富のことで、何かいってなかったかな?」

「陰富?」

と首をかしげると、部屋の片隅の柳行李から、一枚の富札を取り出した。

木札に、組と番号と期日が墨黒々と書いてあった。

主催者は、「巣鴨妙蓮寺」と朱印が捺されていた。

『あの焼け落ちて、仮の本堂しかない妙蓮寺が主催者とは!』

浮多郎は少しばかり驚いた。

裏には、「一分金」との朱印があった。

「なんでも、当選すると、この木札は五倍の一両小判に化けるとか」

この富札を恵信坊がくれた、というお志摩はうれしそうだった。

期日は、三日後だ。

―八丁堀の奉行所で、岡埜にこの話をすると、

「主催者名は、たしかに巣鴨の妙蓮寺で、焼けた寺の再建のための勧進という名目だが、この陰籤を売ったのは、柳橋の山岸屋の伝兵衛だ」

と、驚くべきことを岡埜は口にした。

「三日後に、突き札をして、当選番号を決め、当選者に支払いをする、ということで?」

「そういうことだ。当たり番号は紙に書いて瓦版屋が売り歩く」

『奉行所は、あちこちで行われている陰富のことを探っていた、ということか』

それで、浮多郎は得心がいった。

「その辺の陰富は、札の売り値が一文でもって、大当たりで八文と可愛いもんだ。そんなのを取り締まっても、庶民のささやかな楽しみを奪ったと、奉行所は恨まれるだけだ。だが、山岸屋がやっているのは、ひと札一分金だ。これは公許の感応寺や湯島天神や瀧泉寺の三富が売る御免富と同じ売り値だ・・・お目こぼしするにはデカすぎるというのが、お奉行の考えだ」

「山岸屋を捕まえに、出張るんで?」

「そいつは分からねえ。お奉行の胸先三寸てえところか。山岸屋が寺社奉行のお偉方に手を回しているという噂もある」

松平定信候の「ご改革」とやらも、田沼時代の何事も金次第、賄賂次第という風潮を一掃できてはいなかった。

「浮多郎、こいつを持って柳橋を嗅ぎ回ってこい」

岡埜は長い綱を、ぽんと浮多郎の胸に放った。

これは、谷中の五重塔に恵信坊を吊り下げた太い綱ではないか!

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