ふたなりの女(その5)

三ノ輪の自身番の番太郎を叩き起こし、奉行所に走らせた浮多郎は、小僧とともに感応寺目がけて一目散に駆けた。

台風の前触れなのか、突風が吹き荒れ、なかなか足が前に進まない。

谷中墓地の丈六仏あたりに着いたところで、五重塔の最上層の欄干から、肉の塊のようなものが吊り下げられているのが見えた。

五重塔にたどり着いた浮多郎が真下から見上げると、塔の三層あたりで、丸裸の大男が折からの強風にあおられ、ぶらりぶらりと揺れていた。

太い綱で首吊りにされた大男は、大きな顔と突き出た腹から、感応寺の恵信坊ではないか、と浮多郎は疑った。

感応寺から駈けつた住職は、丸裸の大男を見上げると、「おお」と声をあげ、顔をそむけた。

「恵信坊でしょうか?」

浮多郎がたずねると、住職はうなずいた。

千切れ飛ぶ黒い雲の間から、やがて朝の光が射してきた。

大きな肉の塊は、醜怪な見せ物に変わっていった。

犯人は、この効果を考えて、恵信坊を丸裸にして吊るしたのだろうか?

・・・とすれば、これは恵信坊に強い憎しみを持つ者の所業にちがいない。

「復讐」の二文字が、浮多郎の頭に浮かんだ。

「五重塔の入口はどうなっています」

浮多郎がたずねると、住職は観音開きの扉の前に立ち、

「これこのように」

と錠前を引っ張り、鍵が掛かっていると示した。

「この鍵はどこにあります?」

「中を掃除するときしか開けないので、たしか恵信の部屋に。恵信に寺の管理はすべてまかせております」

住職がそういうのを聞いた浮多郎は、

『恵信坊が、じぶんで錠を開けて五重塔に登り、裸になって欄干に綱を掛け、首を吊ったとしたら、どうやって鍵を外から掛けたのか?』

岡埜ではないが、じぶんに謎をかけた浮多郎は、『ありえない』と首を振った。

・・・住職に従い、裏木戸すぐの庫裏の勝手口から感応寺に入った浮多郎は、恵信坊の部屋を見せてもらうことにした。

住職でもない一介の坊主にしては、離れの八畳敷の大きな部屋を、ひとりでぜいたくに使っていた。

まだ薄暗い部屋の中ほどに、布団が敷いてあった。

掛け布団が除けてあったので、恵信坊はあわてて跳び起きたように見えた。

寝間着も下帯もなかった。

・・・この部屋で裸になったわけではないようだ。

「あれっ」

文机の引き出しを開けた住職が、素っ頓狂な声をあげた。

「塔の鍵がない!」

それはそうだろうと、浮多郎は思っていたので、さして驚くことではなかった。

『これで、・・・恵信坊は自殺ではなく、誰かが吊るして殺したのだ』

これだけは、はっきりした。

「この部屋は、離れになっています。恵信さんはいつでも庫裏の勝手口と裏木戸から好き勝手に出入りができますね」

「まあ、そうですな。何せ、何から何まで彼に任せていましたので・・・」

「昨夜だか、今朝だかに、誰かが侵入し、恵信さんを連れ出しても、寺のひとは気が付かなかった、ということになります」

住職はうなずいた。

「『何から何まで任せていた』ということは、こちらが勧進元になって興行する富籤なんかも、恵信さんにまかせていたのですか?」

どうしてそんなことを、と首をひねった住職だが、「まあ、そうですな」の口癖を再び口にした。

小僧が、「たいへんです」と駆け込んできた。

五重塔へもどると、強風にもめげず、近隣の物好きな見物人が大勢押しかけていた。

・・・首を吊った丸裸の恵信坊が、ぶらぶらと風に揺れるのを指差し、見物人は口々に喚いていた。

―やがて、岡埜同心が鶯谷の坂道を登ってやって来た。

「さあ、帰れ、帰れ。見せ物じゃねえやい」

岡埜が、十手を振りかざすと、見物人は蜘蛛の子を散らすように消え去った。

・・・しかし、これは、まぎれもなく極上の見せ物だった。

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