15『小悪魔』


「ところで先輩、さっきのオン——さっきの人って誰なんですか?」


 あ、言い直した。

 いま一瞬、さっきのオンナって聞こえた気がしたけど多分気のせいだよな。

 うん、きっとそうだ……。


 校門を出てすぐの、桜の並木坂まで歩いて来たところで、

 数歩後ろを歩く雨瀬の問いに俺は思わずげんなりしてしまった。

 ついつい深いため息を吐いていると、

 雨瀬はてててっと俺の隣に寄ってきて、こてんと小首をかしげる。


「もしかして、先輩の彼女さんとか?」

「違う」


 即答。間髪かんぱつ入れずに答えると、雨瀬は少し驚いたような顔をした。

 知らず、食い気味に言ってしまったかもしれない。

 だがまぁ本当のことだし、別に訂正ていせいすることもないだろう。

 そんなこと、あるわけないのだから。


 俺はじりじりと胸に残る痛みを振り払うように再度息をく。

 と、ふいに視界の端で雨瀬が不敵に笑ったのが見えた。


「そうですか……。よかったです、危うく一人消しちゃうところでした」

「え」


 ぞくり、と。背筋をう寒気につられて咄嗟とっさにそちらへ振り向けば、

 雨瀬はにぱっと愛らしい笑顔を浮かべていて、

 俺の背中をバンバン叩きながら冗談めかして笑った。


「やだなー、冗談じゃないですかーっ!」

「いや、まったく冗談に聞こえなかったんですけど……」


 こ、こえぇ……。

 まじでなんかやらかしそうで笑えない。


 雨瀬あませ芽依めいの裏の顔を垣間かいま見て、『知られたからには始末しねぇとな』みたいな感じに撃たれたくないので、俺は少し歩調を上げて逃げるように並木坂を抜けた。

 それから河川敷を過ぎて橋を渡る。

 と、そこまで来ても当たり前のように背後から聞こえてくる足音に俺は振り返った。


「……な、なんでついてくんの?」


 さっきからしれっとついてくるから聞くタイミングを逃していたが、

 さすがにここまで来ると聞かざるを得ない。

 すると、雨瀬は涼しく微笑みながら言う。


「私も家がこっちなので」

「…………薄々気付いてたけど、もしかしてお前ってうちのお隣さんだったりする?」


 問えば、雨瀬はにんまり笑って大きく頷いた。


「はい、運命的にお隣さんだったりしますっ!」

「……あぁ、そう。そうかぁ……そうなのか……」

「なんでそんな嫌そうな反応なんですか!?」


 そのまんま嫌だからだよ……。

 いま自分がどんな顔をしているかが容易よういに想像できる。

 だがそれも仕方がない。

 これから先、コイツにまとわれるんじゃないかと思うとつい眉間にしわが寄ってしまった。


 はぁ、と。

 ため息を吐きながら、肩を落としとぼとぼ歩き出すと、

 その隣をぷくっとふくれた様子の雨瀬が同じ歩調で歩く。


 やがて住宅街に入り、うちからすぐ近くの公園にまで来たところで、ふと思い出した。


「そういやお前、昨日回覧板かいらんばん渡しに行ったときはそんな感じじゃなかっただろ」


 俺は隣の雨瀬へジト目を向ける。


 昨日、俺がお隣の雨瀬たくへ回覧板を届けたときは、こんな風にあざとあつかましい感じではなく、どちらかといえば内気な印象に思えた。

 なんなら「お姉ちゃーん」って泣いてたし、回覧板を受け取りに来た雨瀬姉は妹を極度の人見知りだとかなんとか言ってた気がする。


 そうなると、俺の雨瀬芽依に抱く像とは違うわけで——。


「お前の姉ちゃんは極度の人見知りって言ってたんだけど」

「…………余計なことを」


 言えば、雨瀬はふいっと顔を逸らし何事かボソッと呟いたが上手く聞き取れなかった。

 それに耳をかたむけて、もう一度言ってくれというようにうながすと、

 雨瀬はわざとらしく大仰おおぎょうなため息を吐いた。


「はぁ〜……お姉ちゃんはいっつもそうなんです。多分、私が可愛すぎるのが気に入らないんですかねー?」

「……そんなことあるか?」


 昨日、軽く話した感じだと妹思いのいいお姉さんだと思ったが。

 大体、可愛すぎるのが気に入らないとか、ちょっと意味がわからん。

 俺がじっと視線を向けていると、小さな咳払いが聞こえる。


「先輩は一人っ子だからわからないんですよ……」

「おい、なんでうちの家族構成知ってんだよ」


 いやまぁお隣さんだから知っていてもおかしくないか。

 あまりに関わりがなかったから少し驚いた。


 しばらくして、自宅うちと隣の雨瀬宅が見えてくる。

 そこまで来たところで、一応別れを告げておこうと軽く手を挙げたとき、

 雨瀬は俺の制服のすそを引いた。


「……なに?」


 聞けば、雨瀬はしばしうつむきながら黙り込む。

 ふと、小さな吐息が聞こえたと同時にばっと顔を上げると、

 その顔には悪戯いたずらっぽい笑みをたたえていた。


「ほんとにいいんですかー? 私の彼氏になれば毎朝可愛い彼女が起こしに来てくれるんですよー?」

「いらん」


 即答すると、雨瀬はがくりと肩を落として裾から手を離す。

 それからじとっと俺に視線を向けるとため息を吐いた。


「はぁ、そうですか。まぁいいですけど。そんな簡単に手に入れても面白くないですし」


 いくらかトーンの低い声。

 雨瀬はペロっと舌を出して、あざとく笑った。


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