14『ウワキモノ』
「先輩、私の彼氏になりませんか?」
「…………は?」
一瞬時が止まり、冷たい風が頬を
俺は雨瀬芽依の思い掛けない提案にあんぐりと呆気に取られていた。
急になにを言い出すんだ、コイツ。
たしか、俺と雨瀬が付き合ってるって
それがどういう思考回路を
ワケのわからない提案に言葉を失い、しばしの沈黙が続く。
その微妙な雰囲気がむず
「本当に付き合っちゃえば周囲の噂なんて気にならないと思いますよ?」
「いや、それじゃ本末転倒っつーか……え、なんでそうなるの……?」
いまだ言っていることの意味が理解できず、首を
まさか、雨瀬の言う本当に付き合えば噂なんて気にならないって、恋は
なんだよ、そのロマンチックなソリューション……。
恋は盲目とか、少女漫画くらいでしか聞かねぇぞ。
到底俺には理解できないし、第一に現実味に欠ける。
知らず、俺は深いため息を吐いていた。
すると、雨瀬はぴこっと人差し指を立てて、至って真面目腐った様子で説明し始める。
「だって、先輩が私と付き合ったら私のことしか考えられなくなりますしー、周りが見えないくらい私のことが好きになるじゃないですかー? はい、これで解決です! もう周りの目なんて気にならなくなりますよっ!」
ぱちんと両手を合わせて、ほら簡単とでもいうようにニコッとスマイルを向けてきた。
それとは対照的に、俺は思わず顔をしかめていた。
「…………大丈夫か、お前?」
ここまでくるとさすがに心配になってくる。
周りが
なんて、どう考えても常人の思考じゃないだろ。
その自分への過信も含めてもはや怖い。
今朝の印象とは正反対の後輩に、思わず
ふいに雨瀬が数歩、歩み寄ってくる。
やがて手を伸ばせば届きそうな距離にまで近づいてくると、
上目遣いであざとく顔を覗き込んできた。
「もし、先輩がこの提案に乗ってくれたら、毎朝一緒に登校したり、デートしたり、手を繋いだり……。ね? 素敵だと思いませんか?」
こてん、と小さく首を傾げながら、
見上げてくる潤んだ瞳が数度
甘えるようなその声音に俺は口を引き結び、
風が吹くたびに
雨瀬芽依は、世の男子の理想に近しい要素を数多く持ち合わせる魅力的な女の子だ。
もしこんな子と付き合うことができたら。
デートしたり、手を繋いだり、もしかしたらその先だって——。
そんなこと、男子ならば想像しないはずがない。
一度、バカになって頷いてしまいたいという欲は少なからず俺にもあった。
ふいにごくりと喉が鳴る。
「どうですか、先輩。私の提案、乗ってみませんか?」
雨瀬はトドメとばかりに愛らしい笑顔を浮かべた。
もしこれを受け入れれば、この子と付き合える。
今後の人生でこんなチャンスはもう二度とないかもしれない。
けれど、俺は——。
「断る」
その提案を受け入れるわけにはいかなかった。
おそらくはそれほどに静かだったからだ。
しばらくして、ぽつんと小さな声が聞こえる。
「え……?」
視線の先で雨瀬芽依は信じられないとでも言うように
それから少しして、ふと我に返った雨瀬が引きつった笑みのまま口を開く。
「な、なんでですか……?」
「……それだと根本的な問題は解消されないだろ。大体、俺とお前は今日会ったばっかりだ。そ、その、こ、告白まがいなのはもっと互いを知ってから、というか、過程を踏んでだな……」
「乙女かっ!? そういうのは一緒に過ごしていくうちに深めていけばいいじゃないですか!」
前のめりに、説得するかのように言う雨瀬に俺は疑問を浮かべた。
なぜコイツはここまでしてその提案を飲ませようとするのだろうか。
けれど、それを直接的に聞くのは憚られた。
「……とりあえず、お前の提案に乗る気はない」
こういうとき、どんな対応をするのが正解だなんてわからない。
ただ、俺は自分の気恥ずかしさや照れを誤魔化すようにトゲを生やした。
「もういいか? そろそろ帰りたいんだけど……」
「…………」
「それじゃあ……」
相手の気持ちを考える余裕もなく、
そそくさと屋上の扉へと歩いていく。
が、ドアノブに手を掛けたとき、ふいにブレザーの
「ちょ、ちょっと待ってください……っ! ほんとにいいんですか、こんな可愛い女の子と付き合えるんですよ!?」
「自分で言っちゃうのかよ……」
いま雨瀬芽依の本性を
いや、まぁすでにだいぶ見えていたけど。
「……言っただろ。その提案に乗る気はない。じゃあな」
言って、俺は屋上の扉を
× × ×
「——なぁんでですかぁーっ!」
昇降口を出て正門前まで来ても、
雨瀬は俺の腕をぐいぐい引っ張りながら駄々をこねていた。
「だからついてくんなって……! いいかげん離せっ」
「嫌です! 先輩がうんと言うまで私は絶対に離しませんっ!!」
俺は雨瀬を振り払おうと腕をぶんぶん回しながらも、周囲を警戒する。
幸いなことに、今のところ正門前に人の姿はなかった。
時間的に、すでに帰宅部は帰っているだろうし、部活動がある連中もそれぞれ部活に参加している時間帯だ。
必然、この付近は俺と雨瀬以外に人はいない。
しかし、この時間だとまだ人と
どうにかして引き剥がそうとあれこれ試すが、
雨瀬はがっちり俺の腕をホールドしてなかなか離してくれない。
ちょ、ちょっと、いろいろ当たってるから……。
いい匂いするから、このままじゃ大変だから、お願い離してぇええっ!
全身が熱くなっているのを自覚しながら一層力を込めて振り払うと、
雨瀬はギュッと俺の腕に掴まりながら、声を上げる。
「大体、なんで先輩はそこまで周りの目を気にするんですか!」
「別にそうじゃねぇ、アイツに聞かれたくねぇんだよ」
と、思わず言うはずのなかったことを口にしてしまったことに気付いた。
すると、雨瀬は俺の顔を覗き込んで、首を傾げる。
俺は誤魔化すように顔を逸らした。
「あ、いや……別に……」
「そう、ですか……」
ふいに俺の腕を掴んでいた雨瀬の力が
その隙に振り払おうとしたときだった——。
「あっ…………」
ふと、背後から声が聞こえた。
振り返れば。
「あっ…………」
思わず同じような声を発してしまった。
視線の先、ぼーっとこちらを眺めていたのは見知った顔。
いま一番、出会したくなかった相手だった。
な、なんで水篠がこんなところに……。
いや、正門前なのだからいてもおかしくはない。
それに今日、水篠は日直だった気がする。
おそらくは日直の仕事で、この時間まで学校に残っていたのだろう。
ふいに、隣で雨瀬が俺と水篠を交互に見ていることに気付いた。
同時に、いまの状況を把握してしまう。
雨瀬は俺の腕をホールドしたままで、それを水篠がしげしげと見ている。
俺は慌てて雨瀬を振り払い、彼女から一歩距離を取った。
それから恐る恐る水篠へと視線を向ければ、
水篠はふいっと興味なさげに顔を逸らして正門へと歩き出す。
コツコツ、と。
心なしか大きな足音を立てながら、俺の脇を通り過ぎたとき——。
「ウワキモノ…………」
ナイフのように鋭い声音に突き刺された。
これまでも散々言われた言葉だが、比べものにならないほどに痛い。
俺は、遠ざかっていく水篠の足音へ視線を向けることができなかった。
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