13『私の彼氏になりませんか?』


 午後の授業が終わり、昇降口へと向かう道中。

 俺はなお一層、はなはだしくなる好奇の視線にさらされていた。


 放課後になっても、例の噂は留まるところを知らず、ますます広がっていくばかり。

 なんとか手を打とうとは考えたものの、

 何をどうすれば噂が止まるかだなんて、その道のプロでもない俺にはわからなかった。


 例えば、有名人の炎上騒ぎなんかだと、いちいち反応せず静観するにかぎるなんてよく聞く話だ。

 だが今回の騒ぎは俺だけの問題ではない。

 もしも俺だけだったなら時間が解決してくれるのを待つが、

 より一層大きな被害を受けているであろう雨瀬芽依のためにも俺は責任を取らねばならないのだ。


 今回の騒ぎを引き起こしたのは紛れもなく俺なわけだし、

 どうにかしてこの騒ぎを収める必要がある。


 しかし、困った。

 まったくいい手段が思いつかない……。

 いや、いくつか浮かんだのは浮かんだんだ。

 でも、濡れ衣を被せるとか、これより大きなデマを流すとかは、さすがの俺でもはばかられた。


「んー……」


 あれこれ頭をひねりながら廊下を歩いていくと、やがて昇降口へとやってくる。

 HRホームルームが終わってすぐ教室を出たので、昇降口は大勢の生徒で混雑していた。

 俺はその人混みをするりとくぐり抜け、自分の靴箱を開ける。


 もちろんそこには一足のローファーが入っていて——。

 だが、その上に見慣れない紙切れが乗っていることに気付いた。


「…………」


 これって……。

 その紙がなんなのかを察して、

 俺は一度、ぱたんっと靴箱を閉じた。

 それからキョロキョロ周囲を見回して誰も見ていないことを確認すると、

 再び靴箱の中を確認する。


 うん、やっぱりある。

 靴箱の中に薄桃色の便箋びんせんが。


 つまりこれってアレだよな……。

 ラブレター! か、果たし状。

 もし内容がラブレターでもおそらくイタズラだろうからほぼ間違いなく果たし状。

 あぁ、やだなぁ、怖いなぁ……。

 決闘けっとう罪で訴えようかなぁ……。


 一瞬でもラブレターかと期待してどきっとした俺の純情を返してほしい。

 絶対罠だろ、これ……。


 ちらっ、ちらちらっ……。


 ——いや待て。

 まだ果たし状と決まったわけじゃない。

 中身を見るまでラブレターの可能性は残っているだろ。

 可能性が少しでもあるかぎり諦めるなっ!(名言)


 靴箱に手紙が入っているという状況が初めてだったからだろうか。

 たかぶっているのはたしかだ。

 でもこのワクテカは抑えきれない!!

 仮に果たし状だったとしても男の子的にはちょっとだけ嬉しかったりするのだ。


 俺は胸に溜まった空気を吐き出すと、素早く手紙を抜き取って人目のつかない場所へと急ぐ。

 昇降口から少し離れて、職員室脇へと続く階段の裏に隠れると、

 恐る恐る二つ折りにされた便箋を開いた。

 花のイラストがあしらわれた可愛らしい便箋。

 そこにはバランスのいい綺麗な字で、一行。



=====================================


碓氷先輩へ


放課後、本校舎3階の屋上へ続く階段で待ってます。


                  雨瀬芽依


=====================================



「ん…………?」


 俺は予想外の差出人に思わず眉根を寄せた。

 そこには雨瀬芽依——俺と共に噂の渦中かちゅうにいる人物の名が書かれていたのだ。


 おそらくはイタズラ、か。

 その可能性は高い。

 雨瀬本人だとしたら、わざわざこんなときに呼び出す道理はないだろう。


 しかし、仮にこの手紙が偽物だったとして、雨瀬芽依と名乗っているこのイタズラはかなりタチが悪い。

 そのやいばが俺に向けられているものだとしても、必然的に彼女にまで被害が及んでしまう可能性があるからだ。

 さすがにこれを見過ごすわけにはいかないだろう。


 教師に相談するというのも一つの手だ。

 そうなるとこの手紙が本物か偽物かということを確かめる必要があるが。


 いやしかし、俺がリアクションすることであらぬ誤解が広まったらどうする。

 不幸中の幸いというか、今のところは悪質な噂でないからマシなものの、誤解が含まれることによって悪意に変わるリスクは十分にある。


 どうしたものか……。



     × × ×



 悩みに悩んだ末、一度様子を見に行ってヤバそうだったら逃げるという結論に至った。

 教師に相談しようにも、それが悪意であると確証かくしょうがないことには動けない。

 だからそれを確認する必要がある。

 

 俺は決意を固め、職員室脇に続く階段をさらに上がって本校舎三階までやってきた。

 手紙の通りなら、さらに屋上へ続く階段を上がった踊り場に差出人が待っているはずだ。


 相手に気付かれず、確認できるのがベスト。

 俺は息をひそめてゆっくりと、足音を立てないように気を付けながら階段を上がっていく。


 ぬきあし、さしあし、しのびあし……。

 恐る恐る、一歩一歩確めるように上がって——。


 と、あまりにゆっくり足を上げていたせいでバランスを崩してしまった。


「……っ」


 ふらふら揺れて、それでも物音を立てないように気を付けるが。

 不意に、カッと、爪先つまさきで階段を蹴ってしまう。

 そのもはや気持ちがいいくらいの音は人気ひとけのない階段によく反響した。


 やってしまった……。

 なんてどんくさい奴なんだ、俺は……。


 今の音で完全に気付かれただろう。

 どうする逃げるか、いやでも間に合わ——。


「あ、先輩来てくれたんですね」


 ひょこっと、階段の上から顔を出したのは、

 見覚えのある、亜麻色あまいろの髪をハーフアップに結わえた小柄な女の子だった。

 制服の胸元には緑色のリボンが結ばれている。


 ——雨瀬芽依。噂の天使さまなんて異名を持つ一年の女子生徒だ。

 その子は俺の慌てた顔を見ると、きょとんと小首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「…………」


 どうした、じゃねぇんだよ……。

 そんな無頓着な顔をされると、ついため息がこぼれ出た。


 なぜ雨瀬がここにいるのか。

 いや、差出人には雨瀬芽依と書いてあったのだからおかしいことはなにもない。

 つまり、あの手紙の差出人は雨瀬芽依本人だったということだ。


 なんだ心配して損したじゃねぇか……。


 思わず胸を撫で下ろす。

 が、しかしまだ油断ならない。

 こんなところを、二人一緒にいるところを誰かに見られたら騒ぎが一層大きくなってしまう。

 それを避けるため、俺は階段を上りきると、人目のつかない踊り場へ雨瀬を連れ込んだ。


 すると、雨瀬は屋上の扉に駆け寄って手招きしてくる。


「ここの鍵、壊れてるんですよ。せっかくだから屋上で話しませんか?」


 言いながら、ドアノブにかけられた南京錠なんきんじょうを解く。


 うちの学校では、屋上は立ち入り禁止になっている。

 だがまぁ別にバレなきゃいいだろう。

 それに、こんな状況だし完全に人目につかないであろう屋上はむしろ好都合だ。

 俺は軽く首肯しゅこうして、屋上に出ていく雨瀬の後に続いた。


 扉をくぐって屋上に出ると、冷たい風が頬をかすめる。

 うに冬は過ぎ、春も終盤に差し掛かったこの季節。

 午後の風はまだ冷たかった。


 寒さをしのぐように肩をすくめていると、前を歩く雨瀬がぐっと伸びをしてこちらに振り返る。

 その顔には悪戯いたずらっぽい笑みをたたえていた。

 俺の持つ雨瀬芽依の印象とはかけ離れた表情。

 どこか小悪魔のような、あざとい笑顔で雨瀬は口を開く。


「大変なことになっちゃいましたね」


 どこか他人事ひとごとのような口ぶりが気になった。

 だが、いまはそんなことどうでもいい。

 先に俺はこの子に言わなければならないことがある。


「その、申し訳ない……。こんなことになって……」


 すべての元凶は俺にある。

 俺の配慮が足りなかったせいで、不快に思わせるどころか迷惑までかけてしまった。

 本当に申し訳なく思う。


 だが、雨瀬芽依はなんてことのないようにけろっと言った。


「いえ、ぜんぜん気にしてないので」


 そう言ってもらえるとありがたい。

 心のわだかまりがいくらかマシになったようだ。


 けど、その危機感のなさには少々物申させていただきたい——。


「いや、ちょっとは気にしろよ。大体、お前危機感なさ過ぎだろ。なんの用かは知らんが、わざわざこんなときに呼び出して。もし一緒にいるところ見られたらどうすんだ。お前結構有名人なんだろ、だったらもっと自覚を持って行動しないと後々後悔するぞ——」

「…………」


 思わず息継ぎも忘れ、説教マシンガンを垂れていると、

 雨瀬はふいっと顔を逸らし、不機嫌にぷくーっと膨れ上がった。

 それから口をとがらせながらねたように言う。


「じゃあ、来なければよかったじゃないですか」

「……来なけりゃずっと待ってるかもしれないだろ。そういうのはなんていうか、気が引ける」


 ていうか子供か、拗ねるなよ。

 泣かしちゃったんじゃないかってビビっちゃうだろ……。

 年下の女の子泣かすとかまじで通報案件だからな。


 思わず小さな息をついていると、

 プフっと、吹き出すように雨瀬が冗談めかして笑った。


「やっぱり先輩は優しいですね」

「あ? ちげぇよ、勘違いすんな」

「ツンデレですかぁ?」

「うっせぇ。つーか、なんの用なんだよ……」


 わざわざこんなときに呼び出したからには大事な話なんだろう。

 問えば、雨瀬はからかうような表情を引っ込めて、不敵に笑った——。


「はい。実は先輩にがありまして」

「提案?」


 なんだ提案って……。

 デマを止める方法でもあるのか。

 そんな、状況を打開できるすべがあるならありがたいが。


 ふいに強い風が吹き付ける。

 それを凌ぐようにして顔をそむけ、再び雨瀬芽依へと視線を向けたとき。


 彼女はその愛らしい童顔にたわやかな笑みを浮かべて——。


「先輩、私の彼氏になりませんか?」

「…………は?」


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