12『噂の天使さま』


いつき、購買いこーぜ」


 四限が終わり昼休みに入ると、すぐさま誠志郎がやってきて、

 磯野、野球しよーぜ並のノリで昼飯に誘われた。

 俺は中島の、間違えた誠志郎の誘いを受けて教室を出ると、購買へと向かう。

 廊下は昼休みということもあって大勢の生徒たちでごった返していた。


 俺は誠志郎の横に並んで賑やかな喧騒けんそうの中を歩いていく。

 廊下で談笑する者、購買部へと向かう者、はたまた弁当片手に他クラスへと向かう者、便所飯の奴だっているかもしれない。


 特に珍しくもない昼休みの雰囲気を見回していると、次第に階段の踊り場へといたる。

 購買部は本校舎一階のピロティー脇にあるので、この階段をくだればすぐのところだ。

 と、ふいに誠志郎が髪の毛先をちりちりいじりながら口を開いた。


「ちょっと聞いてくれよ、樹。最近、彼女がさぁー」

「あー、ハイハイ。その話、多分聞いたわ」


 皆まで言わずともわかる。

 今まで彼女があーだこーだいう話は腐るほど聞かされてきたが、

 いずれも終着点は同じ。

 もういい。聞き飽きた。鬱陶うっとうしい。

 彼女がどうとか全然興味ないから早いとこ爆発しろな。


 俺が話をさえぎると、誠志郎はむっと眉根を寄せる。


「そうじゃなくて、昨日の話なんだけどさ」

「もういいよ、どうせノロケだろ? そんなの聞きたくねぇっつの……」


 くそっ、どいつもこいつも彼女彼女言いやがって……ぶっ飛ばすぞ。

 大体、人の色恋沙汰いろこいざたほど興味が湧かないものもない。

 思わず憂鬱ゆううつなため息を吐いていると——。


 ふと、遠くから耳につく声が聞こえた。


 内容はほとんど聞き取れない。

 けれど、不快に感じたのはこちらに奇異きいな視線が注がれていたからだろうか。

 振り返って目が合えば、途端に逸らされてしまう。


 気が付けば、周囲には同じような視線が複数存在していた。

 時折、ちらりとこちらを見てはひそひそ話を交わす。

 それが自分に向けられているものだということは誰かに告げられるまでもなくわかることだった。


 その不愉快ふゆかいな視線に背筋がぞわぞわとする。

 つい眉間にしわを寄せて周囲を睥睨へいげいしていると、不意に隣から声が聞こえた。


「あの噂、思った以上に広がってるみたいだな……」

「ん? なんだ噂って」


 問えば、誠志郎は声を潜めるようにして話し出す。


「俺もさっき聞いたんだけどよ、

 お前が朝、使と一緒に登校してきたところを見たって奴がいてな」

「は? なに、天使?」


 さも当然のように天使という言葉が出てきて戸惑ってしまう。

 天使といえば空想上の生き物で、それが比喩ひゆだということは言われずともわかるが、

 なぜそれに俺が絡んでくるのかがわからない。


 はて、と小首をかしげると、誠志郎がやれやれといった風に首を振る。


「やっぱり知らないのか……。これだからガリ勉ガリ勉言われんだぞ」

「……ほっとけ」


 ていうか、ガリ勉って言ってんのお前だけなんだよ……。

 じとっとした目で睨みつけると、誠志郎は冗談めかして笑う。


 まぁでも、流行とか噂とか、そういうトレンドにうといという自覚はある。

 口ぶりからするに、噂の天使さまとやらは知っていて当然ってレベルには有名人なのだろうが。


「で、なんなの天使さまって?」

「——雨瀬あませ芽依めい、いま話題の新入生だよ。入学して早々十人以上の男子に告白されたとか」

「ほう……」


 つまり天使のように可愛いとか綺麗とか、そういう感じなんだろう。

 だから噂の天使さま、か。

 へぇー、雨瀬芽依ねぇ……雨瀬……雨瀬か……。

 なんかどこかで聞いたことあるような気がする。


 ふむと、腕を組んで思い出し思い出ししていると、

 誠志郎が俺の顔を覗き込むようにして悪戯いたずらな笑みを向けてきた。


「それで、話によれば手を繋いでたって聞いたけど、どういうご関係で?」

「別になんもねぇよ。普通に、遅刻しそうだったから引っ張ってきただけで」


 言うと、誠志郎は遠い目をしてぽんっと俺の肩をでた。


「樹、普通って何なんだろうなぁ……」

「いや、お前のその顔がなんなんだよ……」


 そんないのちって何なんだろうな、みたいな感じに言われても困る。

 実際、噂の天使さまこと朝の後輩女子とはそれ以上でも以下でもない。

 ただ探しものを手伝っただけだ。


 しかし納得がいかないのか、誠志郎は大仰おおぎょうなため息を吐くと、がくりと肩を落とした。


「俺はショックだよ、お前は一途いちずな奴だって信じてたのに……」

「なんだよそれ」

「あぁ、こんな話聞いたら水篠みずしのさんもショックだろうなぁ……」

「はっ? な、なんでアイツが出てくんだよ」


 じろりと睨めば、誠志郎はけらけら笑う。

 どうやらまたからかわれたみたいだ。

 ああ、そろそろ俺はこの手を血で汚すことになるかもしれない。

 畜生、いつか絶対仕返ししてやる……。


 だがまぁ、このまま噂が拡散され続けても困る。

 ほら、雨瀬って子にも迷惑かかるし。


「なぁ誠志郎、噂ってどうすれば止まるんだ?」

「んー、知らん。ほっとけば止まるんじゃね? ほら、人の噂も七十五日って言うし」

「結構なげぇな……」


 思わず嫌な顔が出てしまう。


 古人こじんいわく、人は約二ヶ月半も噂話をむさぼり続けるらしい。

 つまりはそれほどに、人は噂や風評というものを好むのだろう。


 例えば、色恋沙汰。

 俺にとっては本当にどうでもいいつまらない話でも、

 他の人には向こう二ヶ月間は退屈しない最高の娯楽ごらくになりうる。


 今回に限っては、その標的が噂の天使さまなんて馬鹿な異名いみょうが付くほどの有名人だ。

 放っておけば七十五日じゃ済まないのかもしれない。


 元はと言えば元凶は俺にあるのだし、

 早急に手を打つ必要がありそうだ。


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