06『お姉ちゃんはお見通しっ!』


 下校時間をしらせるチャイムが鳴ってしばし。

 俺は一階の昇降口でローファーに履き替え、校舎を出た。


 駐輪場へと向かう途中、何気に空をあおげば、夕暮れのだいだいに墨汁を垂らしたように暗い青色が広がっている。

 すでに校内に残っている生徒も少なく、駐輪場にとまる自転車はぱっと見でも数えられるほどに少なかった。

 その数台の中からコバルトブルーの愛車を探していると、ふと思い出す。

 

「あ、そういや今日自転車置いてきたな」


 そうだ、俺としたことがうっかりしていた。

 そういえば、朝自転車がパンクしてたせいで寝起きダッシュする羽目ハメになったんだ。

 しかもその途中、不運なことにアイツに出会でくわして、遅刻するし、説教されるし、図書室の清掃を手伝わされるし。終いには図書委員の女子にあらぬ誤解までされて。

 まぁなんとかその誤解は解けたからいいものの。


「はぁ……。ほんと、ろくな日じゃなかったな……」

 

 今日一日の出来事を思い出すとどっと疲れが押し寄せてきた。

 まぁ家までそんなに遠いわけでもない。

 ゆっくり歩いて帰ろう。

 深くため息を吐きながらも駐輪場から通用門の方へと歩き出したとき、

 不意に後ろから声が届いてきた。


「いっくーん、待ってーっ!」


 聞き覚えのある声。

 そして、妙に馴染なじみのある「いっくん」という気の抜けるような呼び名で、すぐに自分を呼ぶ声だということに気付く。

 振り返れば、大きく手を振ってパタパタと駆け寄ってくる人影があった。


「珍しいねー、いま帰り? もしかして、なにかあったの……?」


 俺のもとまで来るや否や心配そうな目を向けてきたその女子生徒は、

 胸元に青のリボンを結んだ、三年の東條とうじょう梓沙あずさ先輩だ。

 東條先輩とは昔から家が近くで小学校からの知り合いということもあり、未だにたびたびお節介せっかいを焼いてくれる。が、そのお節介が気恥ずかしくて、俺は「またなにかやらかしたの?」みたいな視線から顔をそむけた。


「いや別に……。それより、そっちこそ生徒会の仕事ですか?」

「うん、まぁね。ほら来月末に体育祭があるでしょ、それの下準備があって」

「へぇー、大変っすね。お疲れ様です、荷物持ちますよ会長」


 東條梓沙はわが学園の現生徒会長である。

 生徒会の仕事でお疲れの会長をねぎらうようにして丁寧に頭を下げつつ荷物持ちを名乗り出ると、

 東條先輩は突如ぷくっとむくれて声を上げた。


「もぉー、なんでそんな他人行儀たにんぎょうぎなのっ! お姉ちゃんはいっくんのお姉ちゃんでしょ!」

「いや、違うから……」


 俺、一人っ子なんですけど。

 なんか勝手に姉が増えてて戸惑っていると、先輩がははーんと見透かしたような顔をした。


「ひょっとして『ヘッヘー、次の会長に推薦すいせんしてもらうために全力でゴマをっておこう』とか考えてる?」

「うっ……」


 完全にアレな思考を見透かされ俺が苦虫を噛み潰していると、東條先輩は勝ち誇ったように胸を張る。


「ふふーん、そりゃわかるよー。お姉ちゃんだからねっ!」

「だから違いますけど……」

「えー、ひどーいっ! つめたーいっ!」

「ひどくはねぇよ」


 だってそもそも姉弟じゃないし、さかずきだって交わしてない。

 ていうか、まじでなんでわかったの……?

 そんなにわかりやすいのか、俺……。

 完璧なゴマすりだったと思ったんだけど。

 今回失敗に終わった会長計画の改善点について考えていると、

 それを表情から読み取ったのか先輩がくすっと笑う。


「いっくんはなにか考えてるときあごに手をえるんだよ。それに、なにかたくらんでるときはよそよそしくなる」

「……よそよそしいとかそんなのわかるもんなのか」

「いっくんの場合わかりやすいね。普段はもっと図々しい、というか……小癪こしゃく?」

「ひ、酷い……」


 俺なんかよりずっと酷いじゃねぇか……。

 大体、俺のことなんだと思ってるんですかね、この人。

 ただ、それよりもさっきから連呼されてる呼び名がむず痒かった。


「ていうか、その『いっくん』って呼び方やめてくれって言っただろ。ELTじゃねぇんだよ」

「えー、でも昔からいっくんだし」

「やめてくれ。高校生にもなって恥ずかしいから……」


 なんなら恥ずかしいっていうのも恥ずかしい。

 俺が言うと、先輩はむーっと唸るように不貞腐ふてくされていたがこちらも絶対に譲らないという姿勢を貫いていると、ふと東條先輩がなにか思いついたようにぱぁーっと華やいだ。


「じゃあいっくんが昔みたいにって呼んでくれたらやめるよ」

「いや、なんでそうなるんだよ……」

「ほら、あず姉って! ね、呼んで」

「…………」

「いっくん、呼んで」

「…………あ、あず姉」

「うんっ! いつきくん」

「あんま変わってねぇじゃねぇか」


 ぜひ苗字で読んでいただきたいのですが……。

 まぁ、いっくんよりはマシだけどさ。

 思わずため息を吐いていると、あず姉は俺より数歩先へ進んで、ぱっと振り返った。


「じゃあ帰ろっか、樹くん」

「……まぁ帰る方向同じだしな」


 にぱっと人懐っこい笑顔を向けられて、

 特に断る理由もないので俺はあず姉の歩調ほちょうに合わせて歩き出した。


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