04『けして見惚れてなどいない』


 トコトコ図書室までやって来た俺と水篠みずしのは、

 すでに清掃せいそうを始めていた図書委員の指示を受けて作業を開始させた。


 作業内容は、本の整理をしたり、雑巾ぞうきんで窓を拭いたり、掃除機をかけたり、ハタキでほこりを払ったり——と、思っていたよりも大規模で本格的な大掃除だ。

 なんでこんな時期に大掃除なんてするのかと疑問に思ったが、どうやら図書委員が言うには、例年春休み前に行うはずが暖房だんぼうの修理やらが立て込んで、こんな時期までずれ込んでしまったらしい。


「結構大変だな……」


 そして、俺の持ち場は本棚の整理だ。

 大きなカゴに積まれた本を、ジャンル別に、作者順に、タイトル順に、と丁寧に並べていく。

 こういう単純作業は嫌いじゃない。


 嫌いじゃないが、ふと周りを見渡せば、俺たち以外にも数人の図書委員がせっせと働いているものの、まるで終わる気配のない様子に思わず気が遠くなってしまう。


 これなら走った方がマシだなんて思ってしまうが、そこの窓辺まどべで走るのは絶対に嫌というように、真剣な面持ちで窓を拭いている水篠を見るとそんなことも言っていられなかった。

 俺も気合を入れ直すように深く息をいて、再び作業に取り掛かる。


 えいっ! とぉーっ! やあっ! ササッサササッ——。


 時が経つにつれ、壁際に山のように積まれていたカゴが減っていく。

 無心でサササッと、「もはや本並べを極めてしまったぜ、ヘヘッ……」なんて思っていたところでようやく本棚の整理が終わった。


「ふぅ……」


 ひと仕事を終え、んっと体を伸ばしながら図書室内を見渡してみる。

 すでに掃除機がかけ終わっていたり、窓掃除も一段落ついた感じで、やっと終わりが見えてきた。


 俺も色が変わり始めた窓の外を眺めながらほっと一息吐くが、あんまり休憩しているのもアレなので、受付カウンターで図書カードの整理をしている図書委員に仕事を貰いに行く。


「あのー、こっち手空いたんでなんか手伝いますよ」

「あー、お疲れー」


 俺が話しかけると、その図書委員は作業を止め、凝った肩に手を当てながらねぎらってくれる。

 それから考えるように視線をくうに巡らせた。


「んっと、じゃあそうだなぁ……書庫に新しい本が届いてるはずだから取ってきてくれないかな? ついでに古い本と替えといてもらえると助かるよ」

「はぁ、書庫ですか」


 ふと書庫という聞き慣れない単語に引っ掛かり、首を傾げる。

 うちの学校、書庫なんてあるのか。初めて知った。

 そのクエスチョンを察してくれたのか、図書委員の人が戸口の方を指差しながら教えてくれる。


「書庫は図書室を出てすぐのところにあるからね。まぁ見ればすぐにわかると思うよ」


 言いながら書庫の鍵と一枚の紙を手渡された。

 ちらっと紙に視線を落とせば、それは新しく仕入れた本と廃棄はいきされる古い本とがリスト化されたものだ。

 これを見ながら取り替えてくれということなのだろう。


 ていうか、それもっと早く言ってほしかったんですけど……。

 あそこのカゴにあった本全部、棚に並べちゃったじゃねぇか。


 思わずはぁっとため息を吐きながらも、仕方ないと諦めて仕事に戻る。


 社畜はどんな理不尽な指示でも割り切って身を削らなければならないのだ。

 それに比べればこんなもの序の口だろう。

 よーし、俺は将来人を使う側の人間になるぞーっ! と決意を固めながら、俺は図書室を出た。

 すると、ほんとにすぐのところに小さな扉を発見した。


 へぇ、こんなところに書庫なんてあったのか。

 普段から度々、図書室を利用していたが、こんなところに扉があるなんて今まで気付かなかった。


 ついワクワク胸を踊らせながら扉の鍵を開錠かいじょうする。

 なんか校長室とか放送室みたいに、普段入れない場所に入るのって妙にテンション上がるんだよな。

 これはもはや男子のさがだ。


 早速、扉を開けて中に入ってみれば、埃っぽい空気が満ちていて咳き込んでしまった。

 ゲホゲホ言いながら埃を払うように顔の前で手をぱたぱたさせて見渡せば、古い書物がずらーと並ぶ本棚が幾つも立て掛けられている。

 そんな圧倒的な光景に思わずぽつりと呟いた。


「すっげぇ……」


 小さな扉を潜った先の本の部屋。

 魔導書なんかが混じってそうな古い書物に、埃っぽい空気も相まって。

 男の子的にたぎってくるものがそこにはあった。


 ついつい仕事も忘れて書庫の中を見て回っていると、書物以外にも掃除道具や脚立きゃたつ、工具なんかのたぐいがここに置かれていたりする。

 ふむ、屋根裏部屋とくら、そして書庫は浪漫ロマンだ。


 しばらく見回った後。

 まさか、お宝探しというわけにもいかないので、

 一通り堪能たんのうし、満足すると俺は机の上に置いてあったきれいな段ボールを抱え上げた。

 多分、図書委員が言っていた新しい本というのはこれのことだろう。


 さて、まだ仕事も残っているわけだし、そろそろ行くか。


 軽く段ボールの中身を確認した後、俺は後ろ髪を引かれる思いで書庫を後にした。


 おかげで本棚整理の疲れはリフレッシュできたし、残りの仕事もさっさと終わらせてしまおう。

 と、図書室に戻って、さっき渡されたリストに目を通してみればかなりの文字量。

 一人でやるにはあまりに大変そうなので、水篠にも手伝わせようと、辺りを見渡した。


「あれ、アイツどこ行った……?」


 さっきまで作業していたはずの場所にいないのを確認し、水篠を探して本棚と本棚の間からひょこっと顔を出してみれば、机が密集する部屋の中央辺りで窓辺から外の風景を眺めている人影を発見する。

 窓が全開に開け放たれ、揺れるカーテンがぶわっと広がると、窓の外をぼーっと見ている水篠の姿を捉えることができた。


 俺は数歩近づいて、その背中に声を掛ける。


「おい水篠、ちょっと手伝っ——」


 と、言いかけたところで思わず言葉に詰まってしまった。


 全開の窓から吹き込んだ午後の春風に、彼女の黒い長髪がなぶられて舞う。

 その姿に、俺はごくりと固唾かたずむ。


 日中に比べれば随分強くなった日差しを受けて、大きな瞳は細められ、長いまつげが数度またたいた。

 白くきめ細やかな肌は夕焼けのあかに染まり、桜色の唇が悩ましげな吐息を溢したのを見て。

 そこで俺はふと我に返った。


 もしかしたら見惚れていたのかもしれない——なんて、

 そんな思い違いを振り払うようにかぶりを振って、俺は口を開いた。


「……サボってんじゃねぇよ」


 言うと、こちらに振り返った水篠がむっと膨れて反論してくる。


「サボってない。ちょっと休憩してただけよ」


 そのあどけない表情のギャップに、自分が夕焼けのように真っ赤に熱を帯びているのを自覚して、誤魔化すようにふいっと顔を逸らした。


「じゃあもう休憩いいだろ。ちょっと手伝ってくれ」


 言って、くるりときびすを返し元の場所へ戻ると、水篠は不機嫌そうな声音で「偉そうに……」などと呟きながらも俺の後をついてきた。

 そのまま水篠を引き連れて本棚が無数に並ぶエリアに来ると、図書委員から預かったリストを見せる。


「お前はここからここまでの、古い本を回収してくれ」

「…………」


 リストを指差しながら指示していると、水篠はしらーとした目つきでなにか言いたげな視線を向けてくる。


「なんだよ……」

「人にものを頼む態度じゃないわね」

「あ? 別に頼んでねぇだろ。お前も罰でやってんだからこれは指示だ」 

「さっき手伝って、てお願いしてたじゃないっ!」

「それは言葉のあやつーか、そんくらいわかるだろ」


 またいつものように言い争って、果てにぐぬぬと睨み合い、互いにふんっとそっぽを向く。

 そんな恒例こうれい行事ぎょうじのようなものを繰り広げて、俺は少しほっとした。


 大丈夫、いつも通り。動揺なんかしてない、見惚れてない、意識なんかしていない……。


 大体、誠志郎のやつが変なこと言うからだな……。

 今朝の誠志郎とのやりとりを思い出してはぁとため息を吐く。

 それから自分が冷静なことに安堵して、俺は作業の手を動かしはじめた。


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