01『幼馴染と犬猿の仲』


「やばい、寝過ごした――!」


 四月末。学校へと続く通学路の並木は淡い桜色が咲き乱れている。

 俺——碓氷うすい いつきはすっかり春に染まったその坂道を全力疾走していた。


 なぜ走っているのか。

 それは、制服姿の見えないこの通学路から分かるように。

 要は寝坊である。

 たまにすれ違うのはスーツ姿の社会人か、散歩しているお婆さんくらいだった。


「くそ、なんでこんな日にかぎって自転車パンクしてんだよ……!」


 寝坊してしまった自分が悪いとはいえ、朝一番に発生した不運に文句を垂れずにはいられない。

 自転車さえ正常だったならこんな思いをして走る必要なんてなかったんだ。

 寝起きで猛ダッシュとかなんの罰ゲームなんだよ……。


 ふと、左腕の<G-SHOCK>に視線を落とせば、校門が閉められる時間まですでに五分を切っている。

 それを見て、俺は乳酸にゅうさんの溜まった重々しい脚にムチを打って一層スピードを上げた。


 ぶつくさ言いながらも、しばらくすると坂道が終わって並木を抜ける。

 あとはまっすぐ一直線に行けば校門が見えるはずだ。


 なんとか間に合いそうだな、と胸を撫で下ろし、スピードを緩め軽く小走りしているとすぐに校門前に立っている体育教師の顔を遠目に捉えた。

 ぶっねぇ、あと少し遅れてたらあのゴリラに説教されるところだった。


 説教は嫌なので、また少しスピードをあげようと、そう思ったとき――。

 突如、視界が影に覆われた。


「なっ――!?」

「えっ――?」


 スピードを上げようとした勢いのまま、俺は曲がり角からいきなり飛び出してきた影と衝突。

 ドサッと、体同士がぶつかる衝撃で俺は後ろにはじき飛ばされて派手に尻餅をついた。


「いってえぇ……」


 ジンジン痛む尻をさすりながらなんとか起き上がろうとする。

 と、目の前に手が差し伸べられた。

 どうやら相手のほうは無事だったらしい。


 差し伸べられたのは白い小さな手。

 それをありがたく拝借はいしゃくしようと手を伸ばしたとき、焦ったような声が聞こえた。


「す、すみませんっ! 大丈夫ですか……?」

「あー、いえ、こちらこそちゃんと注意してたら――」


 顔を上げる。


 瞬間、まるで時が止まったようだった。

 目の前のその人物を確認したとき――互いが互いを認識したとき。

 二人して同時に息を呑んだのだ。


「…………」

「…………」


 沈黙。互いに口をもにょもにょさせながらも顔を見合わせたまま声が出ない。


 状況を整理すれば。 

 朝。通学路で美少女と衝突。

 どこかのラブコメやら少女漫画なんかでよく見るアレだ。

 運命の出会い。ヒロインとの邂逅かいごう。物語の始まり――。

 それの意味するところは非常に多岐たきに渡るだろう。

 それでも、それらすべてに共通するのは『出会い』という点だ。


 可愛い女の子と運命的な出会いを果たしたい、なんて全国の全男子が一度は夢見るもので、

 それはもちろん俺も例外ではない。


 そんな状況があったならつい心踊ってしまうのかもしれない。

 いや、現にいまそういう状況なわけだが……。


 まぁでもそれは、お相手の女の子がコイツじゃなければの話だがなあ――!


「お前、どこ見て歩いてんだよ!」

「い、いつき……!? って、アンタこそちゃんと前見て歩きなさいよ!」


 一瞬驚いたような顔をしたその女は、次の瞬間には大きな瞳を細め反論してくる。

 ——水篠陽葵みずしのひまり

 二年になって同じクラスになった女子生徒。

 だが俺はコイツをずっと前から知っている。

 物心がつくずっと前から、強烈な嫌な思い出とともにコイツを覚えている。


 そして二週間ほど前。

 二年に進級して新たなクラスが始動するというそんな日に、俺はコイツと十年ぶりの再会を果たした。

 しかし十年越しの水篠陽葵は十年前のあの日となんら変わっていなくて、俺はコイツを敵と再認識したんだ。


「ぶつかってきたのはそっちだ。完全にお前が悪いだろ」

「はぁ? そっちがぶつかってきたんでしょ! おかげで私の朝ごはんがこのザマよ……」


 しりすぼみにシュンと肩を落とした水篠は足元の地面を指差しながら視線をうながしてくる。

 つられて見ると、そこにはジャム付きの食パンが悲惨にもへばりついていた。


「お前……リアルで食パンくわえながら登校してんのか……」

「ちょ、なんでそんな可哀想な子を見る目をするの! 今日はたまたま時間がなかっただけだから!」


 そう言って水篠はふいっと顔を逸らしてしまう。

 だがそれをよそに俺は大変なことを思い出してしまった。

 水篠の『時間』という言葉を引き金に——。


「やばっ、遅刻する……!」


 ぱっと、学校の方へ顔を向けるとすでに体育教師のゴリラが門扉もんぴを閉め始めている。

 それを見るや否や、俺は地面を蹴って校門へひた走った。

 ギリギリ滑り込みで間に合うか——。

 と、一か八かの賭けに出ようとしているそんな俺の背中に声が届けられる。


「え、あ、ちょっと待ちなさいよ! 私のパン! え、これどうすればいいの!?」

「ああ?」


 振り返れば水篠が校門と地面に転がったパンとを交互に見ながら涙目になっていた。

 あぁもうなにしてんだよあいつ……!


 俺は急ブレーキで足を止め、水篠のもとまで戻るとそのパンをつまんで再び校門へと足を向けた。

 そのまま校門へ急ぐが、その努力もむなしく校門の門扉は目の前まできたところで閉められてしまった。


 そんな……俺の一年からの皆勤かいきん記録が途絶えた、だと……!?


 いまにも膝を崩してしまいそうなほどショックを受けていると、鉄格子てつごうし越しに体育教師が立っていた。

 わあ、動物園みたいだあ!(混乱)

 ゴリラ先生は門扉の先で俺を見下ろしながら、なぜか同情の眼差しを向けてくる。


「碓氷……。お前、いまどき食パン咥えて学校来てるのか……」

「いや、これ俺のじゃないですからね!?」


 そんな誤解を本気で解いていると、少し遅れて背後からパタパタとせわしない足音が聞こえた。


「ちょ、ちょっと待ってよ……」

「……待たねぇよ」


 はぁはぁ息切れしながら追いついてきた水篠に、俺はじめっとした目を向けた。

 コイツまだ運動苦手なのか……なんて超絶どうでもいいことをよぎらせながら皆勤記録が途切れた恨み言の一つや二つ言ってやろうと悪知恵を巡らせる。


 もちろん遅刻したのは寝坊が原因なわけだが、これまでのコイツとの関係性的にここは一つ言ってやらんとどうにも気が済まない。


 それは向こうも同じだったのか、俺が口を開くより先に水篠が嫌な感じの表情を作った。


「アンタのせいで私の皆勤記録が途切れたじゃない! どうしてくれんのよ!」

「それはこっちのセリフだ。この遅刻のせいで俺の≪次期生徒会長計画≫に支障ししょうが出たら責任とれんのか!」


 ——次期生徒会長計画。

 国公立への指定校推薦枠を勝ち取るために生徒会長になって内申点を稼ごうという緻密ちみつに組まれた完璧な計画。

 そんな俺の野望をこの女は邪魔したのだ。

 許される行為ではない。


 俺がめつけるように視線を向けていると、水篠は心底バカにしたように笑った。


「ふっ、大体アンタが生徒会長なんかやれるわけないでしょ。バカじゃないの?」

「あーあー、学年二位がなんか言ってる」

「くっ……たまたま一位取ったくらいで調子に乗って……。そうじゃなくて、私はアンタのそのひん曲がった性格のこと言ってんの! この女たらしっ!」


 そういって刺すような視線を向けてくる。

 だが俺にはそんな目を向けられるいわれなどないはずだ。

 たびたびコイツは女たらしだの浮気者だの言ってくるがまるで覚えがない。


 つか、コイツ関係ねぇだろ……。


「おい、だから女たらしってなんのことだよ。俺はいまだけがれをしらないピュアキュア男子だぞ!」

「うっさい! じゃあなんであの時——」


 ふいに言葉が途切れる。

 水篠はなにか言いかけたようだったが、はっと我に返ったようにそれを飲み込んだ。

 それから一瞬うつむいて。


 次に顔を上げたとき、そこには暗い表情がへばりついていた。


「嘘つき。ほんとバカみたい……」


 それは誰に向けられたものだっただろうか。

 二人しかいない会話の中で、そんな疑問が浮かんだ。


 だがすぐに冷静になって、俺はそれが自分に向けられたものだと飲み込んだ。

 今まで散々生徒会長になんてなれるわけがないとバカにしていたし、きっとそれのことを言っているのだろう。

 そう納得すると、一層苛立ちが増してくる。


「お前、いい加減に——」


 ぶちんっと。思わず手を振り上げてしまった。

 もちろん暴力を振るうなんて気があるはずもなく、それはなにをするでもなく無意識に挙がっただけだ。

 しかし、まさかそれだけのことだったはずが大変な事態を巻き起こす。


 右手に摘んでいたはずのパンが指から離れて宙を舞ったのである。

 それは回転しながら最高点にまで到達すると、そのまま門扉を超えて。

 ぺシャリ、と。いままでふつふつと怒りをこみ上げていた先生の顔にクリティカルヒットしたのでした。


「「あっ…………」」


 二人して間抜けな声が出てしまった。

 プルプルと肩を震わせる体育教師。


「いや、ちょ、こ、これはわざとじゃなくてですね……」

「な、なにしてんのよ、……!?」

「いやいや、大体お前がだな」

「私のせいって言うの? 今のはアンタが——」


 顔を寄せ合ってひそひそ言い争っていると、ふいに野太い咳払いが聞こえる。

 ひぃ、と。思わず二人して背筋を凍らせた。


「碓氷、水篠。遅刻は二名。この後すぐに生徒指導室まで来るように」

「「は、はい……」」


 こんな感じに、夢の高校生活がさらにドタバタになることをこの時の俺はまだ知らなかった——。


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