鈴蘭
リリーがドアを開けようとした瞬間、鈴花の喪服のスカートに水滴が落ちていることに気がついて、そっと手を止める。
「鈴花」
リリーの手が、鈴花の肩に触れる。
「悲しむべき時に、人はきちんと、悲しむべきなのよ」
「……」
「今日は、あなたの誕生日でもあるのね、鈴花」
そうだ。
鈴花は今朝、父の亡骸の前で座っている時、生前に父と交わした約束があったことを思い出していた。
つぎの鈴花の誕生日には、どこかに食事にでも行こうか。
慌ただしい病院の一角にある病室で、ベッドに寝ている父が鈴花にそう笑いかけた。
久しくまともな食事なんてしていないくせに、父は鈴花の好きなものを一緒に食べようといって最後まで笑っていた。鈴花もまた、そんな父の想いを無駄にしないよう、どんなに疲れていても笑顔をみせた。
雨の日も、そのまた次の雨の日も。鈴花は病院に通っていた。
胸の内では、父といつ別れることになるか、わからなかったから。
父の死は、突然訪れた。
鈴花がこれから病院へ向かおうと校舎で靴を履き替えていた時、青ざめた顔をした担任の先生が駆け寄ってきて、鈴花の肩を掴んだ。
〈お父さんが、亡くなりました〉
いつかやってくるとはわかっていながら、唐突なその言葉に、鈴花は力のない笑いでしか答えることができなかった。
鈴花は泣いていた。
パトカーの中で、雨のように。この一週間で、父が亡くなった夜にも流れなかった涙がいっせいに瞳のなかから溢れ出し、止まらなかった。
「……お父様の腕時計の記憶には、最後にあなたへの感謝があった」
「……」
「あなた、愛されていたのね。本当に」
「お父さん……」
「涙がひいてから、式に戻るといいわ。皆、心配しているはずだから」
そう言って、リリーはパトカーを置いてどこかへ消えた。
鈴花は止めることのできない涙をひたすらに拭い、やがて雲の切れ間から光がみえるように、ふいに顔をあげると、そこには心配そうに鈴花をみつめる母親の顔があった。
母親に抱きしめられて、鈴花は遠くに般若心境を聞いた。どこに行っていたの、と尋ねる母親の声。置き去りにされたパトカー以外、ついさっきまで起きていた全ての現象が、夢のように思えてならなかった。
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