4-4 未熟な能力者
皆月が事務所の前へ辿り着くと、中から騒音が聞こえてくる。通りがかる人も気付いているらしく、足を止めてスマホを事務所へ向けている人が多かった。
そんな人たちへどことなく嫌な感情を抱きながら、皆月は事務所の中へと入った。
中はひどい有様だ。夥しいほどの血がそこら一体に飛び散っており、呻き声や悲鳴が至るところから聞こえる。
四肢の一つを失っている者もいれば、両目を鋭利な刃物で斬られたような者もいた。
同一犯の犯行に思えるが、今回は止血などが施されていない。しかし、ただの抗争とも思えなかった。
上杉に救急車の手配を頼み、皆月は先へ進む。助けを求める人の声を無視し、少年を捜すのは胃の辺りに重いものを感じる行動だった。
だが、三階建ての一番上の部屋まで辿り着いても、無事な者とすれ違うことはない。少年も、犯人と思しき相手も、皆月は一度も目撃しなかった。
見つけられたのは……壁に刻まれた、赤い十字架だけだ。
皆月は窓から外を見る。当たり前だが表は騒ぎとなっていた。横の窓を覗き込むと、今度は誰かの背が見えた。
すぐ闇に消えたが、学ランに似て見えたそれに、「まさか」と皆月は口にする。
信じられぬまま窓を開き、躊躇わず飛び降りて後を追うことにした。
皆月が少年の背を追いかけて行く。
「待って!」
いまだ信じられぬのだろう。話をしようと、なにかに巻き込まれたのかもしれないと、皆月は甘いことを考えていた。
声に覚えがあったからか、少年がチラリと後方へ目を向ける。先日、自分の行いを肯定してくれた女性、皆月の姿に気付き、目を僅かに見開いた。
しかし、少年……聖としてもここで話をするような時間は無い。今は、この場から離れることが先決だった。
聖は申し訳なさを覚えた顔で、能力を行使する。フワリと、体が浮きあがった。
「風を操る能力……!?」
皆月は安直に考えたが、その直感は珍しく当たっている。聖は風を操作する能力を持ったマーダーで、それで事務所内にいた人を斬り裂き、今は飛んで逃げようとしていた。
とはいえ、ずっと飛べるわけではない。バランスを保つのが難しいため、ビルの上まで飛んだ後は、次のビルへと飛び移るのが精いっぱいだろう。
しかし、それで十分逃げられる。……相手が皆月でなければ、だ。
上昇を始めていた聖の体は突如として力を失い、重力に引きずられて地面へと戻る。まだそこまでの高さでは無かったため、怪我も無く着地ができた。
なにが起きたのか分からない聖は、驚きの表情で皆月を見る。他になにかをできる相手はいなかったのだから、彼女を見たのは自然なことだった。
皆月は狼狽えながら言う。
「あの、ちょっと待って。話が聞きたいだけなの」
「……話ってなんですか?」
話の通じる相手だと判断したのか、皆月がホッとした表情を見せる。
「えっと、ここでなにをしていたのかな?」
「……通りがかっただけです」
「でも、事務所へ入って行ったよね?」
組織の手で防犯カメラなどは無効化されていた。通りがかる人も、聖の顔を見ていたわけではない。学ランの中学生など、探せばいくらでもいるだろう。なんなら、実際の生活では聖の学校はブレザーで、学ランは良い隠れ蓑でしかなかった。
しかし、聖の前には残念なことに目撃者がいる。その相手は、顔までしっかりと把握してしまっていた。
聖は躊躇う。皆月がなにかしらの能力を使った以上はマーダーだろう。
だが、悪人だと思えないこの人を殺してしまってもいいのだろうか? と考えていた。
「……来ねぇと思ったら、てめぇが足止めしてたのか」
闇の中から二人の人物が歩いて来る。明かりの下で姿が露わになったのは、レッドとグリーンだった。あの騒ぎが起きたすぐ後に、どうせ裏口か何かから脱出するだろうと予測し、回り込んでいたのだ。
だが、いつまで経っても相手が来ない。焦れた二人が足を進ませた先には、皆月と聖の姿があった、というわけだ。
聖が警戒を強める中、レッドは躊躇わず左手を振り、炎を奔らせる。
しかし、皆月の能力で炎は打ち消された。
「……は? なにしてんだチンチクリン」
さすがに想定外だったのだろう、レッドの頭の上に疑問符が浮かぶ。
だが、皆月は両手を前に出し、待ってくれとアピールした。
「今、話を聞いている最中なんです! もしかしたら、話し合いで解決――」
「するわけねぇだろ。昨日のことを忘れたのか? このガキは、人の足を両断することができる異常性を持ってるんだぞ。てめぇよりもよっぽどちゃんとしたマーダーだ」
レッドは聖の首元に見えている金の鎖の先が、金の十字架に繋がっているだろうと予測している。それは、ホーリーセイバーに所属している証だ。真っ当であるはずがない。
皆月は、聖が能力を使ったところを見ている。つまり、彼がマーダーだという証拠を目にしていた。
だがそれでも皆月はまだ聖を信じたいと思っている。
中学生が、あんな恐ろしい所業を行うはずがないと信じたかったのかもしれない。
「お願いです! 少しでいいですから、彼と話をさせてください!」
「――お姉さんはいい人ですね」
「え?」
聖は腕をレッドに向けて振る。発生した風の刃がレッドへと放たれた。
目に見えぬ風の刃。本来ならば、なにかしたと分かっても、避けることは難しい。
だがレッドは、僅かな動きで風の刃を躱した。見えていたわけではない。経験と、妙な揺らぎ、熱源の異常。そういったものを感じ取って避けたのだ。
「なっ」
「だから言ったじゃねぇか。いきなり殺しにかかってきたんだぞ? これでも、まだ話し合いをする気か?」
皆月は下唇を噛む。レッドの言っていることが正しく、自分が甘いだけだと再認識させられたからだ。
またレッドは炎を奔らせたが、今度は打ち消されない。話を聞くためにも、無力化するべきだと皆月も判断したためだ。
放たれた炎を見て、聖は薄く笑う。レッドのことを、偉そうに出て来たが、大した力を持っていない相手だと判断していた。
聖は大きく手を振り、炎を突風で散らす。その突風は勢いが止まらず、真っ直ぐにレッドへ向かった。
「お」
ほんの少しだけ驚いた声をレッドが出す。斬り裂く風の刃とは違うが、直撃すれば後方へ吹き飛ばされ、手痛い一撃を食らうことになるだろう。
しかし、レッドは避ける素振りも見せず、平然と煙草を吸っている。範囲が広いため避ける場所がないから諦めたのでも、防ぐ手段が無い訳でもない。
聖はすでに勝利したつもりでいたが、目の前の光景を見て眉根を寄せる。
レッドを守るように現れた氷の壁が、突風を防ぎ、パリンと割れた。
「ボクがやろうかー?」
ひょこっと顔を覗かせたグリーンの言葉に、レッドは首を横に振る。
制限のかかっている現状では、聖のほうが能力の強さは上だ。
しかし、レッドにとってこの程度の差は、大した問題では無かった。
「よく見ておけチンチクリン。能力ってのは使い方次第だ」
そう言ったレッドは、先ほどよりも広い範囲に炎を放つ。もちろん、その分威力は弱められているが、辺りの壁まで焦げ付いていくほどに、無駄に広い炎だ。
だが、その範囲の広い炎が放たれ続けているため、全てを散らすのに聖は手間取った。侮っていたこともあり、対処が遅れたとも言える。気付いたときには、聖の周囲は炎で包まれていた。
「くそっ、邪魔くさいな」
弱いくせにと毒づきながら、聖は自分を中心として竜巻を発生させた。こうすれば、炎が届くことは無い。完全に遮断することへ成功した。
しかし、レッドは届かない炎を放ち続ける。聖は苛立ちながらも、竜巻を発生させ続けるしかなかった。
――このまま竜巻をぶつけてやろうか。
聖はそんなことを考えていたが、ふと息苦しさを感じる。それは、自分の周囲に炎が近づかないよう、外へ外へと風を流しているせいだ。当然、必要なものも外へと流されている。
マーダー同士の戦いに慣れていない聖は、そんな単純なことにも気づかず、雑に能力を使用していた。
「さ、酸素を取り込まない、と」
慌てて風を制御し直そうとしたが、朦朧とした状態での制御がうまくいくはずもない。
竜巻を消せば息ができる。だが、竜巻を消せば炎に包まれる。聖の頭は混乱していた。
まだ未熟で経験の少ない能力者だ。冷静な制御が行えるはずもなく、致し方なく竜巻を消す。
そうなると分かっていたのだろう。
隙を逃さず飛び込んで来たレッドの蹴りが顎へ入り、聖は大の字に倒れ、昏倒した。
「はー、終わり終わり。本当に、この国のマーダーは弱ぇな」
レッドは聖の首へ足を乗せる。後は首をへし折って、この事件と聖の命は終わりだ。
しかし、予想通りというか。いつもと変わらず皆月が止めに入った。
「待ってください!」
「……いい加減よぉ、このやり取りにも飽きた。それ相応の、納得させられる理由くらいは用意してあるんだよな?」
期待に添わぬ答えならば、躊躇わず踏み抜く。レッドの顔にはその意思が見えている。
皆月は必死に止まってくれる理由を考え……弱弱しく言った。
「お、泳がせれば、本拠地を一網打尽にできる、みたい、な」
自分でも自信が無かったのだろう。最後のほうは消え入りそうな声で、皆月は訴えかけていた。
しかし、レッドは少し考えた後に足を退けた。
「一理あるな。どうせなら、つるんでたやつらも一気に始末したほうが楽だ」
「えー、殺しちゃおうよー。他のやつらは、襲って来たら殺せばいいと思うんだけどなぁ」
「どうせ、こいつはすぐに巣へ逃げ帰る。数時間後か、明日か分からないが、ほんの少し見逃してやるだけで手間が減るって話だ。チンチクリンにしては上等な案だったな」
グリーンは口を尖らせていたが、まぁレッドがそう言うならー、と最後には納得していた。
皆月はホッとしたまま、上杉へ今の案を伝える。
当然ながら承諾され、聖を泳がせて、ホーリーセイバーの支部を一気に叩く方針へと変わった。
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