4-5 少年は助けのために道を違える
目を覚ました聖は、自分の体が拘束もされておらず、そのままにされていたことへ驚く。発信機などをつけられているのでは? と疑ったが、そういった類の物も見当たらない。
つまり、中学生を害することを躊躇ったのか、改心してくれるかもしれないと考えたのだろうと、聖は決めつけた。
「これも、神の祝福かもしれない」
彼は一度だけ金の十字架を握って祈り、それからまだフラフラとする頭で、教会へ帰還することにした。
しかし、ただそのまま見逃すはずなどが無い。聖の影には、潜入や追跡へ特化した能力を持つマーダーが、その身を潜ませていた。
教会へと戻った聖は、ガクリと膝を着く。万が一にも追跡されているかもと考え、周囲を警戒しながら戻ることは、多大な疲労をもたらしていた。
「聖さん? ……顔に痣がありますね。誰かにやられたのですか?」
駆け寄って来たトマスへ、聖は申し訳なさそうに説明をする。それを聞いたトマスも、もちろん追跡されていることを警戒したが、すでに影の中には誰もいない。この教会を確認した時点で、マーダーは姿を晦ましていた。
だがトマスは中学生のような迂闊さをもつ男では無い。その後の判断は早かった。
「とりあえず、一度この場所から離れましょう。聖さんへ危害を加えようと、何者かが現れないとも限りませんからね」
「トマス様……」
聖を心配する言葉に、彼の目が潤む。
二人は急ぎ、この教会を後にすることにした。
少し遅れて、準備を整えたレッドたちが到着する。
すぐにでも皆月は突入するつもりだったが、レッドと上杉はトランクから携行缶下ろし始めた。
「それなんですか?」
「ガソリン」
「へぇー……。どうしてスタンドで淹れなかったんです? というか、どうして今補給するんですか?」
その意図が分からず、皆月は首を傾げる。
だが二人は説明もせず、ガソリン携行缶の蓋を開き、中身をドボドボと出していく。
近づいたグリーンは能力を使い、それを凍らせ、取っ手のついている丸い氷の球体とした。ガソリンの凍結温度は約-90℃。グリーンの能力ならば難しくは無い。
「ガソリンって凍るんですねぇ」
凍ったガソリン、アッシュロード。その組み合わせの危険さにも気づかず、皆月は科学実験を見ているような面持ちでいた。
「じゃあ、次はこれを運ぶぞ。適当に、教会の敷地へ放り込むからな」
「え? そんなことをしたら危ないじゃないですか」
「……」
どうせ説明したところで反対されるだけだ。皆月の協力を諦め、レッドと上杉は二人で氷の球体を運び、小さな教会の敷地へと放り込んで行く。
グリーンも次々と氷の球体を作り出していた。
ようやく気付き始めたのだろう。皆月の顔色が悪くなり始めた。
「いや、あの、まさか……」
「これは昔からグリーンと二人で良くやっていた戦法でな。手っ取り早いんだよ」
「聞きたいのはそういうことじゃなくて、もしかしてそれを……」
レッドはニッカリと笑い、煙草を教会の敷地内へと放る。
「まっ」
グリーンが能力を解除し、皆月が止めるよりも早く、炎は点火した。
少しばかり遅れて、今度はレッドが能力で炎を奔らせる。さらに炎が大きくなったように皆月は思った。
「な、ダメですよ!」
皆月は髪を掻き上げ、能力での打消しを図る。
しかし、炎は勢いを増しただけで、消えることは無かった。
「どどどうして……。あっ! 能力じゃないから!」
「そういうことだ。さっきまではオレの炎と混ぜて、範囲を教会だけにしていた。だが、チンチクリンが打ち消したせいで、このままでは辺り一帯が焼け野原だ。いやぁ、残念なことになったな」
「残念じゃないですよ! もう一度能力を使って、炎を制御してください!」
皆月の言葉に、レッドは念押しをする。
「じゃあ、もう打ち消して邪魔をしないんだな?」
「そりゃ……」
邪魔をすれば、辺り一帯が炎上する。邪魔をしなければ、教会が燃え落ちる。どちらを選んでも、皆月の望んだ未来にはならなかった。
だが、こんなものは選択肢があってないようなものだ。皆月が答えるのを待つこともなく、レッドはケタケタと笑いながら、再度炎を奔らせた。
教会の中はパニック状態だった。突如火事が起きたことはまだいい。そういうこともあるだろう。
しかし、炎が道を塞いでおり、逃げ道が無いとはどういうことなのか。
その火事は地下道から移動をしていたトマスにも伝えられた。
「火事が、火事が起きております!」
「すぐにその場から逃げ出し、消防車を呼んでください。決して独力で炎を消そうなどと考えてはなりません」
「に、逃げ道が、逃げ道があああああああああああ」
叫び声の途中、トマスは無情にも通話を終わらせる。残っていたのはホーリーセイバーの関係者ではあるが、マーダーでも無ければ、トマスのような上役でも無い。尊い犠牲だと、トマスは金の十字架を握った。
しかし、それで納得ができない者もいる。
「トマス様。僕の力なら、炎をどうにかできるはずです」
「……いいえ、そのような危険なことはさせられません。二次被害を避けるためにも、私たちは避難するべきです」
確かに、聖の力ならばどうにでもなるだろう。例えば酸素が無ければ炎は消える。そこまでできずとも、炎を弱らせて被害を最小限とし、鎮火させることも不可能ではない。
だが、トマスは首を横に振った。不確かな賭けにのれないということもあるが、これは恐らく襲撃であると勘づいている。今は逃げることこそが最善だと判断していた。
「行きますよ、聖さん」
「……僕、は」
聖はまだ中学生だ。思い込みは強く、トマスの言うことを絶対的に信じていても……助けられず自殺した友が脳裏を過れば、足を踏み出すことができなくなってしまった。
彼は、正しい行いをしたい。それはトマスの指示に従うことだったのだが、今だけは、残る人々を助けに行くことだと信じて疑わなかった。
それに気付いたトマスは、少し困った顔で聖を抱きしめる。
「分かりました。あなたの好きにしなさい。……ですが、せめて無事を祈らせてもらえますか?」
「はい、もちろんです! 必ずトマス様の元へ戻ります!」
トマスは純粋な想いを向ける聖へ、目を閉じさせて祈りを始める。
金の十字架を彼の額へ押し付け、レコーダーからとある音声を流し……祈りは完了した。
レッドの行っていることは、周囲に被害を広げないことと、逃げ道を塞ぐよう教会を囲むことだけである。自前の炎である程度の制御を行っているが、燃えている炎のほとんどは本物の炎だった。
消防車などがすぐに訪れることはない。人払いもされている。ホーリーセイバーの支部を一つ潰せるのならばと、本部も乗り気で力を貸してくれていた。
よって、この状態に心を痛ませているのは、皆月一人だけである。彼女だけが、どうしてこんなことにと悲しんでいた。
敵とはいえ、ここまでする必要はあったのだろうか? 皆月は、どうしてもそう考えてしまう。
根本的に彼女はこの仕事に向いていない。本人も自覚しているが、事情がある。サラマンダーを倒し、捕縛するまでは辞められない。それだけが彼女の原動力だ。
しかし、この作戦が間違っていると思いながらも、間違っていないと思う部分もあり、やはり皆月は憂鬱に溜息を吐くしかなかった。
フッと、周囲が暗くなる。いや、暗くなったのではない。
急速に、教会を包んでいた炎が弱くなっていた。
「レッドさん?」
「オレじゃねぇ」
皆月の問いへ、レッドは瞬時に答え、煙草を捨てる。グリーンも頭の後ろに手を回しながら、ジッと教会の入り口を見ていた。
炎の弱まった教会の中から、一人の少年が出て来る。少年の周囲には風が渦巻いており、まるで炎が彼を避けているように見えた。
レッドを見て、聖が言う。
「やっぱりあなたでしたか」
両目から血の涙を流し、その瞳には金の十字架を浮かび上がらせている聖を見て、レッドは舌打ちする。
「おい、気を抜くなよチンチクリン。あれは雑魚じゃねぇ。手加減しているときのクイーン程度の力はあると思え」
「クイーン!? どういうことですか!?」
「……『ヘブンズドア』。ホーリーセイバーが得意とする、強制的に能力を底上げする洗脳術だ」
少しだけ面倒なことになったなと、レッドは楽しそうに新しい煙草へ火を点けた。
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