2-2 夜の来訪者
その日の夕方。二人は変わらぬやり取りを繰り返していた。
「弟子にしてください!」
「帰れ!」
しかし、話は平行線である。どちらにも譲る気が無いのだから、それも当然のことだった。
皆月はむぅっとした表情を浮かべていたのだが、通信に気付いて耳を傾けた。
「はい、皆月です」
『緊急事態です。至急、本部へ来てください。どうせエレベーターに乗るだけでしょう?』
レッドのところへ連日通い詰めていることは、上杉も当然知っている。というか、許可を出しているのが上杉なのだから、知らないはずが無かった。
しかし、緊急事態とは穏やかではない。
「また後で来ます!」
「もう来るなって言ってんだろうが!」
言われたことを無視し、皆月は急ぎその場を離れた。
レッドが収監されているマーダー専用の牢獄は地下にあり、地上のビル部分には異能殺人対策課の本部もある。
ここの地下に危険なマーダーが収監されていることは極秘事項となっているが、いざなにかあったときのことを考え、でき得る限りの備えがされているのは当然のことだ。
居場所が分かられたとしても対応できる。このビルはそう自負して作られた、一度も攻め込まれたことのない自称最強の要塞でもあった。
騒々しい本部へと辿り着いた皆月は、すぐに上杉の元へ向かう。彼も気付いたのだろう、いつも通りの笑みで皆月を迎え入れた。
「そこに座ってください」
「なにがあったんですか?」
来ることが分かっていたからだろう。用意されていた熱いお茶へ息を吹きかけながら、皆月が聞く。
上杉は特に慌てた素振りもなく言った。
「どうも『クイーン』が来日した可能性があるらしいです」
「なるほど、クイーンが……えっ!? クイーン!?」
クイーンとは、世界でも最大規模のマーダー組織の一つ、『夜の国』を束ねているマーダーだ。姿を見た者はほとんどおらず、その名を口にするだけで殺されるという噂まである。
それこそ、皆月のようなド新人でも知っているほどのビッグネームだ。
しかし、それほどの人物が来ているのであれば、どうして上杉は慌てていないのか。
そのことについて考え、皆月はピンと来た
「ははーん、デマなんですね。だって、姿も知られていないんですから分かるわけないですもの」
「確認中らしいですが、まず間違いなく事実ですよ。とある筋から入手した情報ですが、他の人には内緒でお願いします。この情報源を知られると、色々マズいんですよ」
上杉は、見た目上では清廉潔白な人物だが、実際のところはそんなことはない。あのレッドを犬にしようなどと考える男だ。まともであるはずがない。
その胡散臭い上杉の情報では、間違いなくクイーンは来ているらしい。目的は分からないが、それは大ごとなのではないだろうか?
皆月はあわあわしていたのだが、上杉は椅子に背を預け、肩を竦めた。
「まぁ目的がなんであろうとも、ここの警備を固めるくらいしか、彼らにできることはありませんよ。ですが、居場所が分かれば出動命令が出るかもしれません。そのときのために、皆月さんも待機しておいてください」
「はい、分かりました。……あの人は出さなくていいんですか?」
レッドの名前へ敏感に反応する人もいるため、皆月は一応伏せて伝える。上杉はそれに対し、笑って返した。
「クイーンにアッシュロードをぶつけても勝てませんよ」
「え? 最強なのに?」
「制限解除の申請が通りませんからね」
「いや、でも非常事態ですよ?」
再戦をしたいわけではないが、それを餌にレッドへ言うことを聞かせられる。ならば、戦力として使うべきではないかと、皆月は訴えた。
しかし、上杉はやはり笑いながら、想定外のことを言った。
「この町が
皆月は目を白黒とさせる。今まで制限のかかっているレッドしか見ていなかったこともあるが、彼女はマーダーの恐ろしさを根本的に理解していなかった。なぜなら、基本的には能力を使用させずに勝利してきたからだ。
よって上杉の、まるで戦争のような口ぶりにピンと来ない。
彼の口調が軽いことも、余計信じられない一因となっていた。
「……とりあえず、レッドさんに弟子入り頼んで来ます」
「はい、いってらっしゃい」
どことなく納得がいかない様子で皆月は立ち去って行く。
その背を見ながら上杉は、薄く目を開いて呟いた。
「でも、国が無くなるよりはいいと思うんですけどね」
誰にも届かない声は、喧騒の中に埋もれて消えた。
――数時間後。
本部の見える商業ビルの屋上で、ヨルはティータイムを楽しんでいた。
「それで、準備は整ったのか?」
ツギハギだらけの顔に執事服、右の手の平にある黒い丸の刺青は、夜の国に所属している証。
夜の国の幹部『バトラー』は恭しく答える。
「質の悪いものが3000体。質の良いものが100体。幹部は我々二人となっております」
このビル内はすでに占拠されており、中には質の悪いものが大量にひしめいている。
不満そうにクイーンが言う。
「多少物足りんが、あまり使うとあやつがうるさいからな……。まぁ、お主たちの援護があればどうにでもなろう。あの人さえ解放できれば、他はどうでも良い。それと、装置の無効化は任せて良いのだな?」
褐色の男が無言で頷く。
だが、この男が気に入らないのだろう。バトラーは険しい顔をしていた。
それに気付いたヨルが、パンパンと手を叩く。
「やめいやめい。妾が許可を出しているのだ。幹部同士仲良くせい」
「はっ」
「……」
バトラーは頭を下げたが、男は目すら向けない。確執は深まるばかりだ。
しかし、そんなこといつものことなのだろう。ヨルは気にせず、小さく頷いた。
「では、始めるとしよう。――皆殺しだ」
ビルの扉が開かれ、大量のアンデッドが駆け出す。彼らは一般人には目も暮れず、ただ真っ直ぐに本部を目指し始めた。
クイーンの詳細が不確かだったこともあるが、平和ボケしていたとしか言えないだろう。
まさか、情報が流れて来た当日の夜に襲われるなどとは思っておらず、ゆっくりと配備をしていたこともあり、本部がアンデッドたちの襲来へ気付いたのは、すでに目前へ迫ってからだった。
市民の避難誘導をする暇すら無い。アンデッドを防がねばと、武器を手に本部から次々と飛び出して行く。誤情報だったことも考え、市民の不安を煽らぬようにとバリケードすら設置しておらず、彼らはなんの守りも無しに戦うことを余儀なくされた。
マーダーを伴ったウォッチマンたちも迎撃のため本部を後にする。……そんな中で、上杉はゆっくりと立ち上がり、地下へと歩き出した。
深い地下には物音も届いておらず、皆月は弟子入りを懇願し、レッドは両耳を塞いでいる。だが上杉の足音に気付き、皆月が振り向いた。
「上杉さん! 説得を手伝ってください!」
「うーるーせーえー!」
「襲撃です」
「見てくださいよ! 耳を塞いで話すら……はい?」
固まった皆月に、上杉は淡々と言う。
「地上はパニック状態です。今は市民を襲うような動きは見せていないようですが、今後どうなるかは分かりませんね」
「なっ!? すぐ向かわないと!」
能力はともかく、皆月は普通の思考をした人間だ。助けられる命があるのならば、この力を助けるために使いたい。常にそう思っている。
しかし、上杉はそれを止めた。
「先に話をしておきましょう。敵はおよそ数千のアンデッド。ほとんどは質の悪いやつらですが、良いやつも混じっているでしょうね」
「数千!?」
「後は、まぁ幹部もいるでしょうね。クイーンが来ている以上、最低でもバトラーはいるはずです」
「よ、よく分かりませんが、早くわたしたちも――」
「レッドさんは出せません。そして、あなたも行けば厄介なことになります」
「はい?」
意味の分からない言葉に皆月は苛立つ。こうして話をしている時間すら惜しく思っているため、余計苛立ちは大きいようだった。
自分ならばどうにかできるかもしれない。だが、止めるのには理由があるはずだ。
そう分かっているからこそ、皆月は進もうとする足をどうにか押さえた。
「……なぜですか?」
「クイーンの能力は死者のアンデッド化です。より力を多く注いだものほど、生者に近しい姿をしています」
「相手の能力も知りたいですけど、どうしてわたしが厄介なことになるかを教えてください!」
「てめぇの能力が、あいつの天敵だからだ」
いつの間にか話を聞いていたレッドが口を開く。
だがそれを聞いてもなお、皆月はムスッとしていた。
「なおさらわたしが行かないといけないですよね!」
「そうか、分かってるなら行けよ。一生命を狙われる覚悟はできてるみてぇだからな」
「……えっ」
頭に血が上っていたせいで思考は鈍っていたが、皆月は決してバカではない。今のレッドの話を聞き、眉間に深く皺を寄せながら考え、ようやく事態を理解した。
「……わたしが一目見たら、アンデッドたちが死者に戻るかもしれない。それはつまり、夜の国とクイーンにとって、わたしはなによりも優先して始末しなければならない相手、だから?」
レッドは煙を吐き出し、上杉は首肯する。
事実を理解した皆月は震えていたが、まだ逃げることは不可能じゃない。本部には極秘で作られた隠し通路があり、それを上杉は把握していた。
「さて、どうしましょうか」
上杉の言葉は、皆月へ行くか行かないかを選べと言っているわけではない。自分がどう動くかに悩んでのことだった。
しかし、皆月には違う。救える命を見捨てて逃げるのか、断崖へ飛び降りるのか。覚悟を問われているようにしか聞こえなかった。
仕方ないと上杉が答えを決めると同時に、皆月は自分の両頬を叩いた。
「……皆月さん?」
「行きます!」
「ですが……」
「わたしはもう逃げたくないから……今度こそ救いたいから! この道を選んだんです!」
皆月は深く頭を下げ、その場を後にする。
上杉は困った顔で、レッドに聞いた。
「どうします?」
「……まぁ、少し散歩をするのも悪くねぇかな」
嗤う姿を見て、上杉は牢獄を開く準備を始める。
この特殊な牢は、通常ならば上層部のいくつもの承認を受けてから、一時間かけてゆっくりと排水が行われ、ようやく出られる造りだ。
しかし、今は違う。上層部の許可が出るはずもなく、許可を待つ時間も無い。上杉はひそかに用意していたプログラムを走らせ、強制的にレッドの解放を行おうとしていた。
「どれくらいかかる」
「早ければ三十分です」
もしかしたら、あのチンチクリンは死んでるかもなぁと、レッドは小さく肩を竦める。だが同時に、それはそれで不愉快だと、自分でも気づかないほどに小さく苛立っていた。
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