2-3 女王の散歩

 地上は混乱していた。

 当初こそ、彼らは本部だけを目指している。真っ直ぐに向かって来ている。攻撃を避ける知能も無い。ただ迎撃すればいい。なにかあっても、本部の中で籠城できる。

 そんな、あまりにも都合の良すぎる甘い考えで戦っていた。


 しかし、いくら攻撃を受けようとも足を止めず、ただただ真っ直ぐに向かってくる数千のアンデッド。しかも、その中には妙に動きが良いモノも混じっている。

 実戦経験の少ない彼らには、ただ愚直に突き進んで来る軍勢がどれほどに恐ろしいものか、理解が及んでいなかった。


 そもそも、彼らは死なない。いや、死んでいるのだからもう死ぬはずがない。クイーンが少し力を送ってやれば再生が始まり、体の部位が欠損していようとも、再生をまたずに向かって来ていた。

 震え声で、配属されたばかりの新人が言う。


「……ふ、不死の軍勢」


 普段はエリート面していた新人のメットを、隊長が銃床で叩いた。


「臆している場合か! まだこちらに犠牲は無い! 戦闘に集中――」


 言葉の途中で隊長の頭が消える。新人は目を瞬かせた後、最初の犠牲者を見て悲鳴を上げた。



 ビルの屋上。矢を放った『バトラー』は、ふむと頷いた。


「圧倒的に経験が不足しておりますな。指揮官を見つけ、射抜くことも容易い」

「それはそうだろう。数百年もの間、戦い続けている元騎士と比べるのは酷というものだ」


 ヨルの言葉へ、確かにとバトラーも同意する。中世の時代にヨルへ見いだされ、アンデッド化されたバトラーの経験値は異常なほどに高い。ほぼ経験の無い現代人では、考え方からして大きな差があった。


「しかし、これでは盛り上がりにかけるな。……どれ、もう少し面白くしてやろう」


 ヨルがパチリと指を鳴らす。それに合わせ、アンデッドたちが四方に散り出した。

 本部への突撃を行うモノと、無作為に攻撃を行うモノに別れたのである。

 家から出ないようにという放送は呼びかけ続けているが、だからといって無視できる状況では無い。本部だけを守れば良いと思っていたこともあり、現場は大いに混乱した。


「……っ! いくつかの小隊は、市民を守りに迎え! 耐えきれば――」


 指揮官の頭が飛ぶ。狙われているのに立ち上がって激を飛ばすとは、頭が悪いのか、勇猛なのか。バトラーは、防げないのであれば、ただ愚かなだけだなと目を細めた。

 徐々に聞こえる悲鳴の数が増えていき、楽しげにヨルが聞く。


「バトラー。お主が指揮官ならどうしていた?」


 逡巡なくバトラーが答える。


「市民にはとなってもらうでしょう」

「ふむ、礎か。うまい言い方だな」


 ヨルがクスクスと笑う中、淡々と弓を放ちながらバトラーが言う。


「本部の中には多くのマーダーがおります。彼らを解放されてしまえば、どれほどの犠牲が出るかは分かりません。しかし、それさえ防ぐことができれば、こちらは撤退せざるを得ない。次々と現れるであろう救援に対し、戦力差がありすぎるからです」

「大局を見て、手が回るようになるまでは尊い犠牲……いや、礎となってもらう、か。なるほど、確かにそれも手だな」

「……クイーンには別の考えがおありで?」


 その答えを待っていたとばかりにヨルが笑みを浮かべる。


「あぁ、もちろんだ。妾なら、匿っているマーダーを全員殺し、本部を捨てて逃げ出すだろう」


 レッドを解放するという大前提が頭にあったからだろう。この考えはバトラーの中に無く、ただ感心した顔を見せる。


「しかし、その方法はとれんだろうな」

「なぜですか? 良い方法だと思われますが……」


 クスリと、ヨルが笑う。


「彼らにとってマーダーとは戦力であり宝。後に宝剣となるかもしれぬ剣を、簡単に捨てられた王は少ないということだ」


 ようするに、この国は苦心して手に入れたマーダーという貴重な戦力を惜しみ、手放す覚悟が持てないのだ。

 そして、この推察は間違っておらず、現場にいない上層部は犠牲を減らすことと、マスコミからのパッシングへの対応ばかり話し合っている。身を擦り減らし、命を散らす。現場の人間の声は、彼らに届くことは無い。

 天秤は、完全に夜の国へ傾いていた。



 混沌としている中、暗躍していた男がいた。褐色の肌、首元に黒いトカゲのタトゥー。夜の国の幹部、『サラマンダー』である。

 犬の首輪とチップを無効化する特殊なパルス装置を手に、彼が向かっているのはアッシュロードのいる地下――ではなく、そこらで戦っているマーダーたちの元だった。


 そもそも、この犬たちはやる気が無い。減刑、もしくは死刑を免れる契約で戦っているが、今回は相手が悪すぎる。あわよくば逃げ出したい。あわよくば相手に下りたい。そんな、後ろ向きな考えの者がほとんどであった。

 そんな彼らの元を訪れたサラマンダーが、パルス装置で機器を無効化していく。


 だが、マーダーは基本的に誰かを信用したりしない。

 当然のようにサラマンダーの行動を訝しんだ。


「目的はなんだ? 戦力が足りないのか? お前らの仲間になれとでも?」


 どのマーダーも似たようなことを聞いたが、サラマンダーの答えは端的だった。


「――好きにしろ」


 別に殺しても良いのだが、その時間すら無駄である。ただそれだけのことだった。

 しかし、解放されたマーダーたちの考えは違う。このまま逃げ出して自由を得る者もいれば、夜の国へ寝返って戦い出す者も現れる。もし、世界でも最大級の派閥である夜の国へ属することができれば。

 そんな利を考えて行動する者がいることは、至極当然のことだった。



 殺しても死なないアンデッド。なぜか装置が無効化され、相手に寝返った複数のマーダー。そして、アンデッドと化した市民。

 皆月が地上に辿り着いたとき、目の前には地獄が広がっていた。


「な、なにこれ……」


 想像を遥かに超えた状況ではあったが、このままではアンデッドたちに圧殺されるのも時間の問題である。戸惑いを振り払い、髪を掻き上げた。

 紫の片目が解放され、アンデッドたちがその場へ倒れていく。皆月の能力について把握している者は少なく、そのほとんどがバトラーに射殺されている。だからこそ、まだ生き残っていた隊長の一人は咄嗟に叫んだ。


「彼女を守――」


 頭が飛び、その血が皆月の体を染め上げる。目の前で人が死んだ。今にも逃げ出したいと思っていたが、そんな彼女を守ろうと皆が立つ。


 ――逃げたらダメ。


 己を奮い立たせ、皆月はなんとかその場にとどまった。



 バトラーは弓を構えたまま、違和感を言葉にできぬまま言った。


「誰か出て来てからアンデッドの動きがおかしく、対象を殺そうと思ったのですが、他の者に矢が当たって逸れました」

「……」


 ヨルに、その言葉は聞こえているが届いていない。ずっと余裕な態度を崩していなかった彼女が、初めて眉根を寄せながら立ち上がった。

 見据えるのは本部の入り口。そもそも距離が遠すぎることもあるのだが、人だかりができており、皆月の姿は見えない。


 今、ヨルは過去に覚えのない経験をしている。アンデッドたちとのバイパスは繋がっているのに、それが断続的に切られ続けているのだ。

 ビクリビクリと、アンデッドたちの体は跳ねている。二人の能力がせめぎ合っている証拠だ。

 これに対し、ヨルの判断は早かった。


「向かうぞ。サラマンダーにも邪魔者を排除するよう伝えよ」

「仰せのままに」


 この不可思議な状態は直接確かめる他ない。ヨルの判断に、バトラーは恭しく礼をした。

 地上へ下りたヨルは、倒れているアンデッドたちに先ほどよりも多くの力を与えながら闊歩する。鈍い動きではあったがアンデッドたちは動き出し、映画のゾンビを思い出させた。

 そんな中を、隣に執事を連れた美しい少女が歩む。誰が見ても、唖然とする状況だ。


「た、助けて!」


 赤ん坊を抱きかかえている片足に怪我を負った女性が、アンデッドに襲われていない二人へと駆け寄る。なぜ襲われていないか、などと考える余裕は無かったようだ。

 だが二人は目もくれない。


「しかし、一体なにが起きた?」

「私の見た限りですが、二十代ほどの少女がビルから出て来た後から、状況が一転したように思えました」

「お前からすれば、大抵の相手は少女になってしまうな……。しかし、なにかしらの異能殺人者マーダーではあると思うが、面白い能力を持っていそうだ。相手を麻痺させる力か?」


 声が届いていないと思ったのだろう。女性は、もう一度二人へ訴える。


「あの、この子だけでも……」


 返事は無い。そもそも、二人は女性に興味を持っていない。だから、その声を聞く気も無ければ、訴えへ答えるつもりも無かった。

 そして、二人の後方から悲鳴が上がる。アンデッドに襲われたのだ。

 アンデッドとなった女性、赤ん坊。さらに他の群れを携え、クイーンの散歩は続いた。

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