1-2 殺せない素人

 ――数日後。

 次の任務のため、三人は車で移動をしていた。

 さすがにオレンジの囚人服では目立つため、レッドもスーツを着用していたが、首を絞める感覚が嫌だったのだろう。ネクタイを外しており、まるでホストのような出で立ちだった。


 だがそんなことは些細なことだろう。先日の一件が尾を引いており、車内の空気は最悪だった。

 しかし、気にしているのは皆月だけだ。レッドは平然としており、上杉も普段通りの様子で本日の任務について話していた。


「今日はとあるビルで行われているドラッグの取引現場へ突入します」

「……なんで、そんな普通の事件に関わらないといけねぇんだよ」

「至極ごもっともです。しかし、今回の取引には《ワイルドアリゲーター》の姿が確認されています」

「誰だそいつは。雑魚だろ」


 興味を無くしたのだろう、レッドは欠伸を始める。

 その態度にすら腹が立ち、皆月は苛立つ。


「《ワイルドアリゲーター》は確かに雑魚ですが、気性の荒さと殺した数は中々でして。能力使用時は全身が鱗に覆われ、銃弾をも弾きますからね。……もしかしたら、あなたの炎だって通らないかもしれませんよ?」

「挑発にもならねぇよ」

「ダメですか」


 上杉は、レッドにやる気を出させようと煽ったのだが、効果は無かったようだ。むしろ、なおさらやる気を失っているように見えた。

 しかし、それもそのはずだろう。全身が鱗に覆われようと、身体能力が上がろうとも、こちらには皆月がいる。レッドが出るまでもなく返り討ちだ。


 よって、ここまでは予定通り。上杉は笑みを深めた。


「……では、《ワイルドアリゲーター》を倒してくださった場合は、皆月との再戦を許可します」

「ノった」

「嫌です」


 レッドはやる気を出したのだが、皆月は当然ノーと言った。そもそも皆月からすれば、殺人者レッドと戦ってやる理由は無い。犯人は分かったのだ。仕事を続け、サラマンダーに辿り着ければそれでいい。

 チッ、とレッドは舌打ちをする。再戦ができなければ勝つこともできない。考え直させる必要があった。


「……じゃあ、チンチクリンが先に殺せたら、あいつの情報をくれてやる。だが、オレが先に殺したら再戦だ。これならいいだろうが」

「あの、なんの話を……」

「やります」


 そうこなくっちゃなと、レッドは指を鳴らす。

 皆月は不服ではあったが、感情よりも情報を優先したようだ。

 ただ上杉だけは、「……できるだけ殺さないでくださいよ?」と苦笑いを浮かべていた。



 ビルへと辿り着き、上杉が言う。


「出入口は抑えてありますので、標的がビル内から逃げたとしても、こちらで押さえます」


 まるで好きに暴れて良いと言わんばかりの作戦だ。レッドの気質を分かってのことか、それだけ《ワイルドアリゲーター》をここで仕留めたいのか。

 あまりにもな作戦内容に、不安を覚えながら皆月が聞く。


「でも、関係の無い人はできるだけ傷つけずに、ですよね?」

「はい、もちろんです。できるだけ傷つけず、できるだけ騒ぎにならないよう進めてください」


 その言葉を聞き、皆月はホッとする。カードキーなどは入手している。フロアに辿り着くまでは問題無く進めるだろう。……ただ、鼻歌まじりのレッドだけは、彼女にとって気がかりだった。


 車から降りた二人は、正面からビルの中へ進入する。上杉は車内でバックアップだ。

 エレベーターホールの前まで進むと、当然のように警備員に止められる。皆月は用意されていた通行証を取り出したのだが――すでにレッドが警備員を殴り飛ばしていた。


「は? はぁ!?」


 さらにレッドは、皆月の驚いている間にもう一人の警備員を蹴り飛ばし、エレベーターへ。皆月も慌てて後を追い、滑り込むように乗り込んだ。

 目的の最上階を押し、レッドは煙草へ火を点ける。当たり前だが、皆月は怒鳴りつけた。


「何を考えているんですか! できるだけ穏便に済ませるよう言われたじゃないですか!」

「だから、誰も殺してねぇだろ。おい、そろそろ能力の制限を解除しろ」

『能力の一部を制限解除します』

「上杉さん!」

『ご武運を』


 想定の範囲内だとでも言うのか、上杉の声色に動揺は見られない。先を想像し、皆月は両手で顔を覆った。

 チーンと音が鳴り、扉が開かれる。予測するまでも無く襲撃の連絡は伝わっており、銃弾が雨あられと撃ち込まれた。


 ――しかし、それよりも早くレッドは炎を放っていた。


 銃弾は全て消え、チンピラ共に炎が灯る。肉の焼ける、嫌な臭いが鼻をつく。

 皆月は顔を顰めて鼻を摘まんだが、レッドは駆けて行き、頭を掴んでは壁に叩きつけ、足で踏みつけ、あっという間に場を制圧した。


 このフロアに部屋は一つ。目的地の確認は必要無く、散歩のような足取りでレッドは足を進ませる。

 しかし、その肩を皆月が掴んだ。


「何を考えているんですか!」


 二度目である。レッドは眉根を寄せた。


「同じことを言わせるな。素人じゃねぇんだろ、チンチクリン」

「殺さなければなにをしてもいいって言うんですか!?」


 信じられないものを見る目をしている皆月に、レッドは肩を竦める。


「殺さなければじゃねぇ。殺してもいいと思ってるんだ。……まぁ、ここまでは運よく殺さずに済んだな。たぶん、ギリギリ生きてるだろう。オレの手加減も中々のもんだ」

「……信じられない。もういいです! 後はわたしがやりますから、あなたは手を出さないでください!」

「賭けを忘れたのか? 従うわけがねぇだろ」


 あっさりと案を退けられ、皆月は地団太を踏む。


 ――この異常者がなにかをしでかすよりも早く、わたしが蹴りをつけないと。


 覚悟を決めた皆月は、悠々と歩いていたレッドを走って抜き去る。


「あ、おい。てめぇいいとこだけとろうとか思ってんだろ!」


 もちろん、そんな言葉を聞く気もなければ、そんなつもりもない。今の皆月の頭の中にあるのは情報を得ることではなく、被害を減らすことだった。

 身体能力で勝っている以上、皆月が先に辿り着くのは当然のことだ。レッドが追い付くよりも早く、皆月は扉を蹴破り中へ入った。


「撃てっ!」


 先ほども同じことをされたのだ、いくら皆月でも想定している。横に飛び、銃弾を躱した。

 それから隠れることもせず、銃口の向きを確認しながら、手近な者を一人ずつ殴り飛ばしていく。さながらゴリラが暴れているかのように人が吹き飛んでいった。


「な、なんだこの女は!?」


 見る見るうちに数は減っていき、残りは二十人ほど。

 しかし、ここで室内に炎が放たれる。レッドが追い付いたのだ。


「一人で楽しんでんじゃねぇよ! 後はオレに任せて休んでな!」

「それはこっちのセリフです! あなたのほうこそ下がっててください!」


 銃火器で武装した集団だ。普通に考えれば勝てるはずがない。そこそこの実力しか無いマーダーであれば、とうの昔にハチの巣だっただろう。


 だが一人は、制限がかかっているとはいえ元最強のマーダー。

 もう一人は、その最強を倒した現最強のマーダー。

 結果は、言わずと知れたものだった。


 このような状況になれば、なりふり構っている場合では無いと分かったのだろう。高い金を払い雇っている切り札が、遅ればせながら投入された。


「ワイルドアリゲーター! 仕事だ! こいつらを始末しろ!」


 誰もが慌てている中。後ろで起きていることへ目も暮れず、肉へ齧りついていた男が立ち上がる。

 短く切り揃えられた金髪。爬虫類のような冷たい目。身長は2m近く、プロレスラーのような体格をした男だった。

 ペッと、ワイルドアリゲーターは骨を吐き出す。生の肉を食っていたのだろう。口元は赤く染まっていた。


「地味な女が一人に……ん?」

「死ねカスが」


 別に自己紹介など求めてもいない。ここは戦場で、これは殺し合いだ。

 レッドは躊躇わず炎を奔らせた。


 しかし、だ。

 その炎が初めて防がれた。


「……その姿に炎。まさか、本物のアッシュロードか! 最強のマーダーが死んだって噂はやっぱり嘘だったんだな!」


 ワイルドアリゲーターは歓喜の声を上げる。それは、レッドを慕ってのことではない。名声を上げる機会が自分から歩み寄って来たのだ。これに勝る喜びなどあろうはずがない。

 瞬く間に全身が鱗で包まれ、裂けた口で言う。


「いいんだな? いいんだな!? 俺が最強を喰っちまってもよぉ!」

「てめぇ如きにやれると思ってんなら――」


 二人の隙を狙うかのように、地味な女皆月が距離を詰める。

 拳を振りかぶったが、ワイルドアリゲーターは防ぐ素振りすら見せない。先ほど、レッドの炎を防いだことも自信に繋がったのだろう。人の身では、この鱗の鎧を超えられぬという絶対の自負が彼の眼にはあった。


 しかし、そんなものは一瞬で粉砕される。

 ワイルドアリゲーターは苦悶の表情で殴られた腹部を見て、目を見開く。展開しているはずの鱗は無く、生身の体がそこにはあった。


 身体能力を強化する能力? いや、それならば鱗が消えた理由は? ワイルドアリゲーターの頭の中は、ただただ混乱していた。

 だが、平静を取り戻す時間を与える道理は無い。皆月はそのまま攻撃を続け、ワイルドアリゲーターは対応する暇もなく背中から倒れることになった。


「よし」


 ――勝った。あの男に余計なことはさせなかった。犠牲は最小限で済ませられた。後は、残りを片付けるだけだ。


 皆月は思わず拳を握り、視線をワイルドアリゲーターから逸らす。……だがそれは、戦場で持ち合わせてはならない、”油断”と呼ばれるものだった。


「クソ女があああああああああああ!」

「っ!?」


 昏倒していなかったワイルドアリゲーターが鋭い爪を振るう。辛うじて見ることができたので能力は解除できたが、その拳は直撃した。

 能力が発動しておらずとも巨漢の男だ。いくら皆月の身体能力が高いとはいえ、油断していてはダメージも大きい。倒れることこそ無かったが、ゴホッと血を吐き出した。


「ぶっ殺してやらあああああああああああ……あ?」


 ワイルドアリゲーターは怒り狂っていた。

 だがその怒りが一瞬で消えるほどの異常事態が、彼の身には起きていた。


 ――右腕が無い。


 なぜ? 左腕は? 目を向けると同時に、左腕も炎で灰になった。


「なぁ、能力を使えよ」


 ワイルドアリゲーターの腕を灰にした男は、煙草を片手に言う。

 その挑発に乗ったのか、そうしなければ死ぬと悟ったのか。能力が発動され、全身が鱗に包まれる。


「アッシュロードオオオオオオオオオオオ!」


 まだ自分には牙がある。尻尾で打ち払うことも可能だ。生身でさえ無ければ、負けるはずがない。

 大きく咢を開き向かってくるワイルドアリゲーターに対し、レッドは片腕を伸ばす。


 そこから喰って欲しいのかと噛みつき――閉じるよりも早く、彼の口内へ炎が奔った。

 叫ぶことすらできない激痛。口の中から入った炎が穴という穴から飛び出し、臓腑を燃やし尽くす。

 煙を吐き出しながら、ワイルドアリゲーターは絶命した。


「クソ雑魚が」


 レッドはジロリと周囲を見回す。運よく生き残った者たちは、誰もが両手を頭の後ろで組み、膝を着いていた。

 満足そうに歩を進めたレッドは、一人の頭を掴んだ。


「いいから死ね」


 全員殺す。命乞いなどは認めない。禍根は残さない。残ったとしても、また殺す。

 自分の生き方を曲げるつもりはなく、レッドは能力を発動させる。……しかし、炎が生じることは無かった。

 泡を吹き、小便を漏らしている男の頭を放し、目を向ける。紫の眼は、しっかりとレッドを捕らえていた。


「……てめぇ」


 レッドがなにかを言うよりも早く、ドタドタと複数の人間が入り込んで来る。その中には上杉の姿もあった。


「ご苦労様です」

「おう」

「……上杉さん! この人は、関係の無い人まで――」

「ビル内の関係者は全員確保しました。もちろん、警備員もです」

「……え?」


 言葉の意味が分からず、皆月は困惑する。

 だが少し考えれば分かることだ。

 これほどの取引をする以上、邪魔が入らぬよう部外者を立ち入らせるはずがない。

 ビルの中にいたのは、全てこの事件の関係者だ。本来なら階下から来るはずの増援も、全て上杉の指示で押さえられただけのことだ。


 誰もが気付いていた。レッドも、上杉も。……ただ、皆月だけが気付いていなかった。

 そんな彼女に対し、レッドは吐き捨てるように言った。


「ちゃんと殺せ・・よ、このクソ素人が。オレ以外に殺されたら、オレの株まで落ちんだよ」

「……」


 己の未熟さを知り、皆月は強く地面を叩いた。



 翌日。皆月は、上杉と共にレッドの牢獄を訪れていた。

 言うまでも無く、再戦の日程を決めるためだ。


「……いつ、ですか」

「はぁ? なんの話だ?」

「……再戦のことです」


 本気で意味が分からないという顔をレッドは見せる。

 皆月も意味が分からず眉根を寄せた。


「あのなぁ……。てめぇが一撃加えた。その後に能力を封じた。だから両腕を簡単に灰にできた。別にそんなのは無くてもオレが勝っていたが、今回は引き分けだ。クソ気分が悪ぃけどな。次は邪魔すんなよ」


 理屈は通っている。確かに、引き分けだと言われてもおかしくはない。

 しかし、皆月は悔しかった。レッドにそんな気遣いはできないが、まるで引き分けにしてもらったような敗北感しかなかった。


 ――もっと強くなりたい。


 皆月はただ拳を握りしめ、無言でその場を立ち去った。



 次の日。訪れた皆月を見て、レッドは訝し気な表情を浮かべた。恨みつらみの一つでも言いに来たのか、はたまた説教の類だろうと予想したからである。

 しかし、皆月は大きく深呼吸をした後にその場へ正座し、三つ指をついて頭を下げた。


「弟子にしてください!」


 ポロリと、レッドの口から煙草が落ちた。

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