Chapter2. Brace Yourself for Farewell(さよならへの覚悟)3
夕刻、エウスタシオはフィービーが待機する部屋を訪れた。
「ああ、エウ。どこに行ってたんだ?」
「色々と、支度がありましてね。何せ、指導者がここでのんびり酒を飲んでいるんですから」
エウスタシオは、ワイン瓶片手に椅子に座るフィービーに、きつい視線をくれた。
「うるさいな。何せ、明日だろう。一応私も、気合いを入れてるんだ」
フィービーは空になった瓶をテーブルに置いて、息をついた。
「どうせ、私にやることはない。もう決起集会もした。だろう?」
「……ええ、そうですね」
エウスタシオは、懐から琥珀色の酒が入った平たい瓶を取りだした。
「それよりも、もっと上等な酒ですよ」
「……何だ、結局飲ませるのか」
「そうですね」
エウスタシオは笑って、フィービーに瓶を渡す。
フィービーは片手サイズのそれの栓を開け、直接口に流し込む。コニャックだ。たしかに、上等な酒だった。
「これは美味いな」
「でしょう?」
「ああ――――」
そこでフィービーは強烈なめまいに襲われて、椅子から転げ落ちた。
床に落ちた瓶が割れて、酒が零れて広がっていく。
勿体ない、とうつぶせになったフィービーは思う。
(なぜ、私は倒れたんだ?)
相手がエウスタシオでなければ、容易に気づけたことだった。だが、フィービーは倒れたまま「なぜ」と考えつづけていた。
焦れたようにエウスタシオが近づいて、フィービーを仰向けにする。
「麻痺薬を盛りました」
エウスタシオは秀麗な顔を、少し意地悪な笑みに歪めた。
「……エウ?」
まだ、思考がついていかなかった。
(どうしてだ。エウが、私を……)
思い出す。暗い牢屋に、差し伸べた手。フィービーが切って、ざんばらになった髪。
噛みついてきたのは最初だけで、エウスタシオはずっと、忠実な保安官補だった。誰よりも信頼できる、部下だった。
「フィービー様。全て、告白します」
エウスタシオは屈んで、フィービーの横に膝をついた。
「私は、あなたをずっと裏切っていたんです」
「…………嘘、だ」
「私は、クルーエル・キッドの顔を知っていました。私とキッドとで、シエテを潰したのですから当然でしょう? 私は、クルーエル・キッドの望みなど、どうでもよかった。ただ、シエテの首領を殺せればよかった。私から両親を奪って、私を痛めつけたあいつに……」
エウスタシオは長いまつげを伏せて、語り続ける。
「私はどうして、シエテの首領に殺されなかったと思います?」
エウスタシオは、フィービーの顔に手を伸ばした。
「お前が、気に入られていたから?」
「それもあります。でも、何より……私はエンプティという才能を持っていました」
「エンプティ?」
「この身に、人でないものを宿せる能力です。シャーマンの一種ですね。私の母は、先住民の巫女だったんですよ。その身に神や精霊を降ろしました」
フィービーは相槌も打たず、彼の話に耳を傾けた。いや、打てなかったのだ。舌まで痺れてきたから。
「シエテはその評判を聞き、まず母をさらおうとしました。ですが、母は不運だったのか幸運だったのか、乱闘の末に命を落としました。それで、私が連れていかれたんです。首領アレハンドロのもくろみ通り、私は母の力を受け継いでいました。だから、首領は私に降ろしたんです」
エウスタシオは、少し間を開けてから呟いた。
「……悪魔を」
「…………あく、ま」
「ええ。信じがたいでしょうが、私はこれをやりました。幼い体に悪魔を宿し、戦ったのです。普通の人には、できない所業でした。普通の人は、悪魔を宿せばいつか死んでしまいますから……。でも、私は悪魔を降ろしては帰し、また降ろし……ということができたのです。もう、こんなことはもうやりたくない。ずっと、そう思っていました。そんなとき、キッドが接触してきたのです。そこで、私はキッドに全面的に協力しました。悪魔をどう使うか……首領はそれも、研究してましたから。悪魔を宿す薬の開発も途中でしたが、キッドが引き継ぎました」
そうか、とフィービーは思い至る。
ずっと、クルーエル・キッドがシエテをなぜ解体したか不思議だった。もう、役目を終えたからだったのだ……。
「私はキッドの仲間になれと言われましたが、断りました。もう、私は悪魔を宿しすぎて、エンプティの力を失って降ろせなくなっていたんです。だから知識だけ渡して、キッドのことは顔を知らないと言い張ると約束し、他のシエテの団員と同じように捕まりました。もう、悪事に手を貸すのは御免だったから……」
エウスタシオの美しい黒い目から、涙が一筋落ちた。
手を伸ばして、指で拭ってやりたい衝動に駆られたが、フィービーの腕は動かなかった。
「でも、あなたが知ってる通り、私は牢屋を出た。あまつさえ、連邦保安官補になってしまった。あなたと一緒に西部を回るのは、楽しかったです。これが償いなのだと、自分に言い聞かせて……そしたら、ある日キッドが接触してきたんです。キッドが、私が連邦保安官補をやっている情報をつかむのは、容易なことだったでしょう」
そうだろうな、とフィービーは声にならぬ声で相槌を打つ。
エウスタシオの容姿は、目立つ。帽子をかぶっていても、その顔が完全に隠せるわけでもない。
「キッドが要求してきたのは、情報の横流しです」
フィービーの脳裏に浮かんだのは、東部に帰ったときの会議だった。エウスタシオが疑われ、フィービーは当然庇った。
なぜ、とフィービーはかすれた声を出したつもりだった。だが、声は吐息になっただけだった。
エウスタシオはフィービーの心を読んだかのように、目を伏せた。
「私の命なら、いくらでもくれてやるところでしたが……」
まさか、とフィービーは目を見張る。
「キッドは、私が一番大事だと思っている存在をもう見抜いていました。……そうです。フィービー様。条件を呑まなければあなたを殺すと、言われたんです。――――わかってます。あなたは、自分はそんなに弱くないと言いたいのでしょう。でも、私はキッドをよく知っています。連邦保安官一人を殺すことなど、造作もないでしょう。私は、あなたが死ぬのは嫌だった。だから、裏切り者になりました」
エウスタシオは、投げ出されたフィービーの手を握り、押しいただくように持ち上げた。
「ごめんなさい……」
「…………」
「でも、私はこのままキッドに利用されているのは嫌でした。だから、とある男に接触しました。フェリックス・E・シュトーゲルです。私には、彼がキッドの弟であることはわかりましたから。フェリックスは、事情をわかってくれました。私は彼に、キッドの情報を流すと約束しました。代わりに、居合わせたときには助けてくれると、彼は請け負ってくれました。彼は悪魔祓いですから、ブラッディ・レズリーの起こす事件では誰より頼りになると思ったからです。私はいわば、二重スパイのようなことを、していたんです。でも、言い訳にはなりませんね。誰より、あなたを騙していたのだから」
エウスタシオは手をそっと離し、フィービーの体の下に手を入れて抱き上げた。
フィービーは動けず、喋れもしない。ただエウスタシオを、見つめることしかできなかった。
(一体、何が、どうなって)
ベッドにそっと横たえられて、フィービーはぼんやりした頭で考えようとした。だが、薬のせいか思考がちりぢりになっていった。
「あと一つ、大切なことが。私以外の――ブラッディ・レズリー担当の連邦保安官に、裏切り者がいます。私たちを仕切る、あの老保安官です。彼はフェリックスの訴状をもみ消したりしたようですね。彼も、ここに来ていますが、背後から襲って、縄で縛って隣の部屋に放り込んでおきました。強い眠り薬も飲ませましたので、明日は暗躍できないはずです」
あのベテランが、とフィービーは驚いた。一番可能性が低いと思っていた者が、ブラッディ・レズリーに通じていたのだ。
次いで、呆けるフィービーに、エウスタシオは祈るように呟いた。
「フィービー様、愛してます」
突然の告白に、驚く暇もなかった。次いで、エウスタシオが身をかがめて、フィービーの動かぬ唇に、唇を押し当ててきたからだ。
「ごめんなさい。悪いことばかりして。これだけは、忘れないでください。私は本当に嬉しかったんです……。あのまま処刑を待つだけだった私を助けて、色んなものをくれたこと……名前を取り戻してくれたこと……」
エウスタシオの口調が、少し子供めいたものになっていた。まるで、出会ったばかりのときのように。
「私は、キッドのところに行きます。内部から、ブラッディ・レズリーを破壊するために」
それは、死地に行くに等しい。止めろ、と止めたかった。だが、フィービーの体は動かない。
フィービーがもどかしい思いを抱えている傍ら、エウスタシオはフィービーの上に、掛け布団をかける。
「あなたの保安官補は、キッドの屋敷で死んだことにしてください。……さようなら」
胸から星のバッジを外して、エウスタシオはフィービーの枕元に置いた。
帽子を取って、彼は優雅に挨拶をした。そうして、振り返ることもなく部屋を出ていった。
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