Chapter 5.  The Beautiful Lynx(美しき山猫) 5







 ルースは、朝起きて腹のあたりに触れた。


(……大丈夫、みたいね)


 昨日のような、苦しさはない。


 ホッとした後、着替えながらつらつらと考えた。


(結局、フェリックスの兄がブラッディ・レズリーに属しているかどうか、トゥルーさんは聞いてくれなかったのかしら)


 いえ、とルースは首を振る。


(聞いてないというか、トゥルーさんは多分知っているのよね。情報を伏せているだけ)


 いかなる事情があるといえど、ここまで残虐なことを仕出かしているブラッディ・レズリーの情報を伏せていることが、ルースには耐えられなかった。


(兄さんの実父が関わっているかもしれないし、なおさらだわ)


 おそらく、ブラッディ・レズリーは自分たちに深くかかわっているのだ。


 ルースを罠にはめようとしたのがオーウェンの父親なら、ブラッディ・レズリーがルースを狙ったことになる。しかし、どうしてあんなに回りくどいことをしたのだろうか。


 理由は一つ――フェリックスから、引き離さねばならなかったからだ。


(ブラッディ・レズリーが手を出さないのは、フェリックスがいたから)


 やはり、かの団にはフェリックスの身内――兄がいるのだろう。傷つけないようにと、指示があるのかもしれない。


(フェリックスは怒るだろうけど、このままではいられない)


 ルースは、決意をした。


 フィービーに、情報を提供しようと。




 ジェーンによると、フィービーは東部に行ったらしい。東部なら実家にいるそうだから、それなら手紙は確実に届くだろう。


 昼食後、ルースは部屋にこもって手紙を書き上げた。


 ひょんなことからフェリックスの過去を知ったこと。彼の兄が、ブラッディ・レズリーかもしれないということ。


 成果を教えてほしいという文も添えて、ルースは手紙に封をした。


 居間に出ていくと、ジェーンが煙草をふかしているところだった。


「ジェーンさん」


「お嬢ちゃん、手紙書けた?」


 ジェーンが、郵便局まで送ってくれることになっていた。


「でも、フィービーに手紙ねえ。何の用なの?」


「ええと、この前お世話になったから、お礼です」


「律儀ねえ。礼なんて言わないでいいでしょ」


 ジェーンは面白くないようだ。


「それにしても、フィービーの住所がすぐわかるとは思わなかった」


「有名な家だからね。アレクサンドラ家は、東部でも有数の名家よ。ああ見えてフィービーは、お嬢様」


「へえ……。ジェーンさんも、令嬢だったんですよね?」


「まあね。ま、私は成り上がりの家だったし南部出身だけどね」


 ジェーンは、煙草の煙を吐き出しながら笑った。


「アレクサンドラ家は、本物のエリートよ。彼女の叔父は、大統領だし」


「えっ!?」


「あら、初めて知ったのね。あの女は権力の塊なのよ」


 むかつくわね、とジェーンは付け加えていた。


「さて、郵便局に行きましょうか。お嬢ちゃん」


「ええ」


「フェリックスには言わないで、いいの?」


「フェリックスは、疲れてると思うから……大丈夫」


「ふうん」


 ジェーンは、それ以上聞かないでいてくれた。


 フェリックスは昨日、夜遅くまでオーウェンと話したのか、未だに起き出してこなかった。旅の疲れが出てしまったせいもあるのだろう。調子の悪いルースを抱えての帰路は、大変だったはずだ。


(それが、今は有難いけど)


 あの目に見据えられたら、見抜かれてしまいそうで。


 まさか、言えまい。フィービーに、フェリックスの兄がブラッディ・レズリーの一員かもしれない――なんて手紙を送るなどと。




 ルースはジェーンと共に郵便局に行き、手紙を出した。


 それあとは家に帰り、居間でジョナサンと話すことにした。


 旅中での話を、ジョナサンが聞きたがったからだ。


 フェリックスが起き出してきたのは、夕方前だった。


「……おはよう。二人とも」


 フェリックスを見て、ルースもジョナサンも戸惑った。


「おはよう、って時間じゃないけどね。大丈夫?」


「ああ、大丈夫さ。ちょっとばかし、疲れが出ちまったなあ」


 フェリックスはあくびをかみ殺し、ルースの隣に腰かけた。


「ジョナサン、体は平気か?」


「うん、もう大丈夫。天使ともいっぱい話したよ」


「そうか。天使はいい奴か?」


「つまんないけど、いい人だと思う」


 つまんない、というところでフェリックスは大笑いしていた。


「でも、名前ないんだって。だから、僕がつけてあげたよ。ナサニエル――ちょっと天使っぽい名前でしょ?」


「なるほど、いい名前じゃないか。……それでジョナサン。天使からも説明があったと思うが、お前も悪魔が見えるようになった」


「……うん」


 ジョナサンは神妙な顔で頷いた。


「それで生じるリスクもあるだろうが――天使の言うことに従え。天使が中にいるなら、浄化してやれる」


「つまり、僕も悪魔祓いになれるってこと?」


「そうだ。だが、お前はまだ幼い。それに、素質があるからといって無理に悪魔祓いになる必要もない。けど……お前が成長した後も、悪魔祓いになりたいって思いがあるなら俺に連絡してくれ。教えられることは、全て教えてやる」


「わかった!」


 ジョナサンは、ぱっと明るい表情になった。


「でも、フェリックス。その言い方じゃ、フェリックスと離れ離れになっちゃうみたいじゃない」


「……なるだろうさ。もう、親父さんは定住するつもりだろ?」


 フェリックスの発言に、ルースが青ざめた。


「それ、パパが言ってたの?」


「いや。でも、様子見てればわかるさ」


「……そうね」


 ルースも、薄々察していたことだった。


「フェリックス、行かないでよ。僕らと、ここに住もうよ」


「――そう言ってくれるのは、有難いんだけどな。俺はどうしても、放浪生活しなくちゃいけないから」


 ぽん、とフェリックスはジョナサンの頭を軽く叩いた。


「さあて、腹が減ったから何かもらってくるか」


 フェリックスは立ち上がり、居間から出ていってしまった。


「……お姉ちゃん」


「何よ」


「フェリックスと結婚して」


「……またあんたは、無茶言って」


 舌打ちをして、ルースは頬杖をついた。


「無理よ。フェリックスは、誰とも結婚しないつもりらしいから」


「な、何で?」


「知らない。本人に聞いて」


 ルースはそう告げて、ジョナサンから目を逸らした。


(フェリックスはいずれ、あたしたちのもとから去る。それは、決定事項)


 でも、その前に――


(色々と、聞いておかないと……)


 たとえフェリックスに恨まれ、憎まれようとも。明らかにしなくてはならない事実があった。








 速達で出したおかげで、フィービーが東部滞在中にルースの手紙は無事届いた。


「……ルース・C・ウィンドワード? あの、小娘か」


 手紙を受け取ったフィービーは、差出人を見て首を傾げた。


「小娘が私に手紙とは、どういうことだ?」


「さあ……。何かあったんですかね?」


 傍らのエウスタシオも、不思議そうな顔をしている。


「ま、中身を見てみるか」


 封を開け、手紙を広げる。


 そこに書かれていた内容に顔をしかめ、フィービーはエウスタシオに手紙を渡した。


「……これは」


 彼も驚いたようだ。


「フェリックス・E・シュトーゲルの素性や家族のことなんて、とっくに調べているというのに。あの小娘は何を言っているんだ?」


「そうですよね……。しかも、彼の母親を殺した事件の犯人は、彼の兄ではないですよね?」


「そうだ。最初、あいつの兄が犯人として疑われたが、結局は野盗の犯行だとわかったんだ。兄のビヴァリーだったか……そいつは、西部で実業家やっているんだろう? ブラッディ・レズリーの一員なわけあるか」


「ええ。あのお嬢さんは、どうして勘違いしているんでしょうね? 返事はどうします?」


「早めに返してやるか。あの書類は、写しを取っていたはずだな? 一応、再確認しておくか」


「ええ。行きましょう」


 そうして二人は、フィービーの部屋に向かった。








 ルースに返事が来たのは、手紙を出して数日後だった。向こうも速達で返してくれたのだろう。


 随分早い、と思いながらルースは手紙を受け取り――自室で封を開けた。


“小娘へ”


(この人、あたしの名前覚えてないのかしら……)


 気を悪くしつつも、ルースは続きを目で追う。


“お前は何か勘違いをしているらしい。フェリックス・E・シュトーゲルの本名がエヴァン・F・シュトーゲルであることは、とっくにわかっている。私たちも素性を調べたからな。


 そして、奴の兄ビヴァリーが母親を殺害したというのは誤情報だ。ビヴァリーが疑われたこともあったが、結局は野盗の仕業だと判明した。


 そしてビヴァリーは、西部の実業家として名を立てているような奴だ。ブラッディ・レズリーなわけあるか”


 ルースはすぐには呑み込めず、手紙を落としてしまった。


(……う、そ?)


 それなら、あの記憶の世界は何だったのか。


 自分が殺したと言ったビヴァリーは……?


(あの記憶は、嘘だった?)


 そこでルースは気配に気づき、振り向いた。


 戸口に、フェリックスが立っていた。彼は恐ろしいほどの無表情で――ルースを見ていた。


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