Chapter 4. Cradle Song(子守唄) 2
次に目を覚ましたときには、窓から西日が差し込んでいた。
「ううん……」
あくびをして、ベッドから降りる。廊下に出ても、静かだった。階下に行くと、女主人が近づいてきた。
「ああ、起きたのかい。もう夕飯の時間だから、こっち来な」
「……はい。フェリックスは?」
「今、薪割してくれてるよ。あの子は一足先に食べたから」
シャーロットの説明に頷き、ルースは彼女の後を付いていく。食堂には、三人ほど女がいて、食事を取っているところだった。
「例の、フェリックスの連れだよ。よろしくね。さ、ルース。そこに座って」
促されるがままに、ルースは椅子に座る。すぐに、年老いた女が食事をトレイに載せて持ってきてくれた。
パンと、スープとサラダと、鶏肉を茹でたもの。簡素な食事だった。だが、今の食欲のないルースには有難いあっさりさだ。
もそもそと食べていると、隣に座っていた女が話しかけてきた。肌の荒れた、少し蓮っ葉な雰囲気を持った女性だった。年は三十過ぎであろうか。
「あんた、フェリックスが護衛してる一座の娘さんなんだってね」
「……そうです」
短く答えると、女は笑った。
「そう警戒しないでよ。あたしはエリー」
「あたしはルースです。……フェリックスとは、親しいの?」
尋ねると、エリーは肩をすくめた。
「親しい、ってほど会ったことないね。たまーに、あの子の師匠に連れられて、ここに来るぐらい。女は買わないみたいだしねえ」
「へえ……」
ルースは思わず目を見張ってしまった。
(フェリックスってもしかして、そんなに女好きってわけでもないのかしら?)
だとしたらあの軽薄な言動は本当に、処世術なのだろうか。
「あの子はここに来たときは、ちゃんとお金を払ってくれるけどね。何もしないし、お姫様みたいな扱いしてくれるから、女の子たちには人気なんだよ。何ならお金はいらないから――って、おっとあんたには刺激の強い話かね」
「……ど、どうして何もしないのかしら」
ルースも詳しいわけではなかったが、娼館とは……“何か”するために行くところなのではなかろうか。
「さあね。主義じゃない? たまに、そういう男性もいるよ。娼婦とはお話しするだけ、とかね。こっちとしても、その方が有難いけどね。体が楽だから」
「そうなの――」
ああ見えて、女性と付き合ったことないのかしら……と呟いてみる。そういえば結婚しない主義だというし、そういうことも有り得るのだろうか。
ルースの呟きが耳に入ったらしく、エリーは笑っていた。
「女を知らないわけじゃないと思うよ」
「そ、そうなの?」
「そういうのは、なんとなくわかるからねえ。でもまあ、あの子は言動よりずっとストイックだねえ。……ま、過去のことは気にしなさんな。野暮ってもんよ」
「はい……」
ルースは口をつぐみ、パンを千切った。
パンを頬張っていると、フェリックスが食堂に入ってきた。薪割が終わったらしい。
「よう、ルース。起きたか。調子はどうだ?」
「うん、大分まし。明日には出発できるわ」
「それならよかった」
と言って、フェリックスはルースの隣の椅子に座った。
「あれ。ミザリーって、まだ寝込んでるのか?」
フェリックスはふと、エリーに尋ねていた。
「うん、そうなの。あの子、やつれちゃってねえ。あとで、会いにいってあげてよ。あの子、あんたに懐いてたからね」
そう言ってから、エリーはルースの耳に囁いた。
「ミザリーって子は、あんたより少し年上だけどまだ若い子でね……」
「エリー。実は、ここに着いた後すぐミザリーの部屋行ったんだけどな。気分が悪いとかで、会ってくれなかったんだ」
フェリックスがそこで口を挟んだので、エリーはルースから視線を外す。
「あんたの誘いにも乗らないなんて、重症だねえ」
「……うーん。もう一度、行ってみるか。じゃあな」
フェリックスは席を立ち、食堂から出ていってしまった。
ルースは食事を半分ほど平らげたところで、また吐き気を覚えた。
「す、すみません。もう食べられそうになくて」
「ああ、具合悪いんだっけ。いいよ、残しな。部屋に戻るといい」
「はい」
エリーが促してくれたので、ルースは有難く席を辞すことにした。
食堂を出て、廊下を歩いていると歌声が聴こえた。
(……子守唄?)
その声に惹かれるようにして、歩く。すると、どこをどう歩いたのか、いきなり大きな部屋に入っていた。
ほっそりした女性が、揺り椅子に乗ってゆらゆらと揺れている。
彼女はそっと、下腹を撫でていた。
お腹の子供に歌っているのだろうか。といっても、その腹はふくらんでいなかった。
初期なら、あんまりお腹出ないんだっけ、と呑気に考えたルースは、女性がこちらを見ていることに気づく。女性、といってもまだ少女だ。ルースと、そう年も変わらないだろう。
「あなたが、私の赤ちゃんを産んでくれるの?」
「……え?」
戸惑ったところで、彼女が目の前にいることに気づく。首を絞められ、ルースは悲鳴をあげた。
「あなた、ちょうどいいわ。ちょうど、私とそう年も変わらないみたいだし体格も似てる。あの子をきっと、産んでくれるわね?」
普段は可憐に輝くのであろう茶色い目には、今は狂気しかなかった。
フェリックスは、ミザリーの部屋の扉を叩いた。返事がない。
「……ミザリー?」
ふと、鍵が閉まってないことに気づく。
「悪い、入るぞ」
一応断って、中に入る。ミザリーはいなかった。
室内の異様な光景に、フェリックスは息を呑む。部屋の中には、雑然とものが広げられていた。
ベビーベッドに、赤子用のガラガラ。まるで、赤子がいるようだ。
そして、漂う残滓――。これは悪魔の気配ではないか、とフェリックスは背筋を凍らせる。
後ずさるようにして、部屋から出る。扉を閉めたとき、向こうからエリーが歩いてきた。
「エリー。ミザリーって、流産してから寝込んでるんだっけ?」
「ん? そうだよ。あの子は堕ろさず、産みたいって言い張ってたからね。お金も貯めて、準備してたんだよ。あたしたちも、協力してやろうかってなってて……。大体みんな、堕ろそうとするからねえ。あの子は父親が誰かなんて、どうでもいいから子供が欲しいって言ってたんだよ。それなのに、流産してしまってね。それ以来、ずっと塞いでるんだ。客も取らず、閉じこもっているんだけど……事情が事情だけに、強く言えなくて」
エリーは、つらつらと事情を語った。
「……そうか」
フェリックスはきょろきょろと、あたりを見渡す。
「他に、彼女に何か変わったことはなかったか?」
「ああ……そういえば、あれ以来ミザリーが一度だけ外に出たっけね。何か買いに行ったみたい。元気になる薬、って言ってたっけね」
そこまで聞いて、フェリックスは大仰なため息をついた。懐を探し、聖水の入った小瓶を取り出す。
「間に合うといいんだが」
声に、苦みが滲んだ。
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