Part3. My Poor Old Heart
Chapter1. Your Memory(君の記憶)
鳥の声が、遠くに聞こえる。
意識が覚醒してなおルースはうつらうつらとしていたが、ふと自分の状況を思い出して起き上がった。
「おはよう、ルース。もうすぐ起こそうかと思っていたんだ」
フェリックスは、火で何かを炙っているところだった。
「寝坊したかしら?」
広大な空を見上げる。既に太陽が昇っていた。
「そんなことないさ。ほら、食べて」
フェリックスが差しだしたのは、串に刺された干し肉だった。炙られたことによって、やわらかくなったのだろう。食べやすかった。
「コーヒー飲むほどの余裕は、なくてな。水で我慢してくれ」
次に、真水の入った銀色のカップが差し出された。それを受け取り、水をすする。
ふう、と息をつく。
「ありがとう、フェリックス」
「ああ。じゃあ、行くぞ。砂漠を抜けなくちゃ」
本人は既に食事を済ませたのか、フェリックスは淡々と野営の跡を片づけていた。
「……ありがとう」
「さっき聞いたよ」
「もう一度、言わせてよ」
二度どころか、何度でも言いたかった。
見捨てずにいてくれて、ありがとうと――。
一頭しかいない馬を疲れさせるわけにはいかない。馬には荷を担がせただけで、フェリックスとルースは徒歩で進むことにした。
昨夜の寒さが嘘のような暑さに辟易しながら、ルースは額の汗を袖で拭った。
何か話したかったが、喉が渇くのを恐れて何も話せなかった。
フェリックスはそれほど深刻そうには言わなかったが、砂漠とは恐ろしいところだ。一度迷いこんだら出られない、という噂を何度も聞いた。
ルースは何もないところなのに、つまずいてしまった。フェリックスが腕を掴んでくれなかったら、地面に頭をぶつけてしまっていたかもしれない。
「休憩しよう。あそこに岩陰がある」
「ええ」
フェリックスは手綱を持ったまま、巨大な岩の陰に座りこんだ。
「今、どこなのかしら」
「わからないな。方角も太陽頼りだ」
「え――ああ、そっか。磁石が効かないのよね」
「そうだ。幸い、時計はあるからな。時計と太陽さえあれば大丈夫だ。ただ、俺たちがどこから迷いこんだのかが、わからない。来た道を辿るのが一番早いんだろうが、それがわからないんじゃな……」
ルースは無我夢中になって馬で駆け、フェリックスもルースをひたすら追ってきた。記憶を辿るにしても、似たような景色が続くここでは不可能だ。
「地図によれば、この砂漠は東西に広い。だから北に抜けようと思ってるんだ」
「なるほどね」
フェリックスが懐から地図を出す。古ぼけた地図の一点を示され、ルースは地図上で自分たちの大まかな居場所がわかったことに安堵した。
いつ、フェリックスは方針を決めたのだろう。ルースが眠っていたときだろうか。
しばしの休憩を経て、二人はまた歩き始めた。
砂漠といっても、ここの砂漠には砂丘があるわけではない。ひび割れた大地がどこまでも続く、不毛の地だった。
「……わあ」
その内、不思議な光景に出くわした。青い地面が広がっている。
「塩の大地だよ」
「すごいわね」
踏み入れると、さくさくと音がした。急に青い世界になって、不思議な気持ちになる。
心なしか、暑さがましになった。
異常が起きたのは、塩の地帯を過ぎたあたりである。
「――フェリックス?」
急に、フェリックスが膝をついた。
「どうしたの?」
「いや、何でも……」
「何でも、って顔色じゃないでしょ! 水、水を飲んで」
ルースはフェリックスが持っているはずの水筒を出すよう促した。フェリックスはのろのろと、水筒を懐から出す。
こくり、と一口飲んだだけでフェリックスはそれ以上飲まなかった。
「ねえ。もしかして、それだけしかないの?」
「いや、もう少しある。でも節約しなくちゃな」
へへ、とフェリックスは笑ってみせたものの顔色は依然として悪かった。
「もう少し飲んだら?」
「いや、いい」
フェリックスは、緩慢な動作で立ち上がった。
そういえば、彼は昨日寝ていないはずだ。それに――
「あんた、ちゃんと食べたの? 水、飲んだ?」
フェリックスは沈黙していた。それが、答えだった。
「乱戦のときに、荷物を落としてしまったんだ。だから、最低限しか持ってない」
「馬鹿っ! 何でそれを、あたしに言ってくれないのよ! 昨日、あたしだけ食べて飲んでたってことでしょ!」
ルースも、馬ごと荷物を失っているのだ。
「怒鳴るなよ、ルース。意外に、抜けるのに時間がかかっただけさ。俺は、もう平気だから」
「――わかったわ。でも、あんた馬に乗って。そんな顔色じゃ、また倒れるわよ」
「それは――」
「一瞬でいいから! 少しでも休めるし、距離も稼げるでしょ!」
ルースが言い募ると、フェリックスは観念したようで鐙に足をかけて馬に跨った。
「手綱は、あたしが引くから心配しないで。このまま真っ直ぐ行けばいいんでしょう?」
「ああ」
ルースが馬の手綱を引いて歩き出すと、どさりという音が聞こえてきた。振り返ると、フェリックスは馬の首に突っ伏すような姿勢になっていた。
(眠った? ううん、むしろ気絶よ)
気力だけで歩いていたのだろう。その根性に感心すると共に、ルースは苦い気持ちを覚えた。
しばらく、フェリックスは起きなかった。
足に疲労が蓄積し、重くなる。それでも、歩みを止めるわけにはいかなかった。
馬も、もう限界なのだろう。蹄の音の感覚が、どんどん開いていく。
とうとう、ルースの足は一歩も動かなくなった。
「こ、この……」
叱咤する声さえ出てこない。水が欲しい。でも、置いておかねばならない。最悪、馬に最後の水を飲ませて走れるところまで走ってもらうしかない。
がくり、と膝が折れる。馬もルースの隣で足を止めた。フェリックスは、死人のように青い顔で目を閉じている。
砂漠になんて、逃げ込まなければ。
自責の念が襲いくる。ルースは両手で顔を覆った。乾き切った肌には、涙が伝うことすらなかった。
(誰か、助けて――)
きいん、と不思議な音がする。この音は何だろう、と思う間もなくルースは意識を失った。
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