Chapter1. Your Memory(君の記憶) 2







「しっかりしろ」


 顎を持ち上げられて、冷たい何かが口に触れる。


「少しだけ飲むんだ」


 すぐに、その声の主が誰だかを悟る。


「トゥルー?」


「ああ、そうだ」


 目を開けると、そこは屋内だった。トゥルー・アイズがカップ片手に、呆れたように見下ろしている。


「どうして、お前がここに?」


「羽根で呼んだだろう。――全く。いくら私といえど、砂漠でお前たちを捜すのに苦労したぞ」


「ああ、そういえば……」


 フェリックスは予想以上に時間がかかってしまったので、最終手段として青い羽根でトゥルー・アイズに呼びかけたのだった。


 幸い彼とは会ったばかりだったので、早く来てくれたのだろう。


「助かった。ありがとう」


「兄弟を助けるのは当然だ」


「よく俺たちの場所がわかったな」


「ああ。記憶を辿った」


「なるほど。……そうだ、ルースも無事か?」


「ああ。隣の部屋に寝かしてある」


「それより、ここは――」


 見渡して、フェリックスは凍りついた。


 見覚えのある部屋だった。古ぼけた写真立てには、昔に撮った写真が入っている。


「俺の、部屋!?」


「ルカ村だ。仕方なかろう? 砂漠を抜けて一番近い村が、ここだった。帰りたくなかっただろうが――おかえり、フェリックス」


 トゥルー・アイズの言葉を聞いて、フェリックスは複雑そうな表情を浮かべたのだった。








 ルースは目を開け、見知らぬ天井をぼんやりと見つめた。


(どこかしら、ここ)


 ゆっくり体を起こし、あたりを見渡す。


 最小限の家具しかない、素っ気ないとも言える部屋だった。


 誰が着せてくれたのだろう。見下ろすと、白いワンピースのような寝間着が目に入った。


(とりあえず、現状把握しないとね)


 ルースはベッド近くにブーツがあることに気づき、そのブーツを履いた。


 部屋から出ると、廊下を歩く人物がこちらを目に留めた。


「ルース」


「トゥルーさん! あの、ここは一体」


「……お前とフェリックスは、砂漠で倒れていた。フェリックスに呼ばれ、私が助けたという寸法だ」


「ありがとう!」


 ルースは慌てて頭を下げた。


「いや、礼には及ばない。それよりルース、体調はどうだ」


「ええと、大丈夫」


「そうか。なら、よかった」


「フェリックスも、無事ですか?」


 その問いに、トゥルー・アイズはすぐには答えなかった。


「トゥルーさん?」


「――あいつはお前より先に、目を覚ました。しかしその後、眠ってしまってな。ずっと、目覚めないんだ」


「え……? 昏睡状態ってこと?」


「そうだ。あいつの方が衰弱していたからな。正直、このまま目覚めないと危ない」


 ルースはがくがくと震えそうになる膝を、意識した。


(あたしにだけ水を飲ませたりしてたんだもの。当たり前だわ……。あたしの馬鹿。どうして、気づかなかったの)


「だが、医師に任せるしかない。着替えて、食事を取るといい。ちょうど昼食時だ」


「……はい」


 とにかく、何か食べて気力を取り戻すべきだろうと自分でも思い、ルースは力強く頷いた。




 ルースはトゥルー・アイズが村で買ってきてくれたらしい古着に着替えて、階下に向かった。


 食卓には既にトゥルーが着いており、料理がテーブルの上に並んでいた。


「トゥルーさんが作ったの?」


「まあな。といっても、簡単なものだ」


 ルースはトゥルー・アイズの正面に座った。


 メニューは、スープとパンとサラダだった。たしかに簡素なものだが、ルースはスープのいい匂いに食欲をそそられて、ごくりと喉を鳴らした。


「じゃあ、いただきます」


「ああ」


 そうして二人は食事を始めた。


「あの、トゥルーさん。ここはどこなんですか?」


「ここは――昔、フェリックスと私が住んでいた家だ」


 驚きすぎて、ルースはパンを落としそうになってしまった。




 食事を終え、トゥルー・アイズはルースをフェリックスの眠る部屋に連れていってくれた。


 フェリックスは穏やかな寝息を立てて、眠っていた。しかし、若干顔が青い。


「あたしが起きるまでは、フェリックスは起きてたのね?」


「ああ。もっとも、昨日はお前もうっすら意識が戻っていたがな」


「あ……」


 そういえば、と思い至る。誰かに囁かれて、水を飲んだ気がする。


「ルース。あれを見ろ」


 トゥルー・アイズが顎で示した先には、写真立てがあった。


 ルースは写真立てに近づいた。


「これは、フェリックス?」


「ああ、そうだ」


「そうなの……」


 今では想像もつかないぐらい弱々しい表情の少年。いつか彼の手帳に挟まれていた、写真で見た少年と同一人物だろう。では、あそこに映っていたのもフェリックスだったのか。


「ねえ、どういうことなの? あなたたちが、兄弟って呼び合っているのは……」


「右端に写る青年が、私たちの養父だったんだ」


「……牧師さん?」


 金髪の、穏やかな表情の青年は牧師のガウンを身にまとっていた。


「そうだ。彼は、シュトーゲル牧師」


「シュトーゲル……」


 フェリックスの苗字だ。


「よくわかったわ。あなたとフェリックスは、義理の兄弟だったのね」


「そういうことだ。もっとも私は、正式な養子というわけではなかったがな。フェリックスは、正式な養子だ」


「なるほどね。でも、それだけのことをどうしてフェリックスは隠していたの?」


 フェリックスは、自分とトゥルー・アイズの関係については言いたがらなかった。どうして、口を濁したのだろう。


「それは……あいつの、辛い思い出につながるからだろう」


「辛い、思い出?」


「ああ……。私からは、詳しく話せないが」


「わかったわ」


 ルースは引き下がり、写真を見つめた。


「この、牧師さんの隣の人はだあれ?」


 眼帯をした、荒々しい風貌の男性だ。


「彼は、エスペル氏――フェリックスの銃の師だ。牧師の友人でもあった。賞金稼ぎだから流浪の生活だったが、よくこの家に立ち寄って泊まった」


「……賞金稼ぎ?」


 そこで、ピンと来たものがあった。


「もしかして、ジェーンさんって」


「ああ。彼女も、彼の弟子だ。フェリックスがしばらくジェーンと行動を共にしていたのは、その縁あってのこと。エスペル氏はそのとき、怪我をしていてこの町に滞在していたからな。ジェーンに頼んだわけだ。今も、どこかの街をさすらっているだろう」


 ようやく、ジェーンとフェリックスの接点の始まりがわかった。そこでルースは、フェリックスが本当に過去を語らなかったのだと気づき――少し、哀しくなった。


「この家は、近所の人が厚意で管理してくれていた。たまに、エスペル氏も立ち寄っていたようだがな」


「……そう」


 そうしてルースは、室内を見渡す。生活感はないけれど、机に置かれた小物や何よりあの写真立てのおかげで、ここがフェリックスの部屋なのだと実感できた。


「そろそろ、医師がやってくる時間だな。ルース、一旦出ようか」


「ええ」


 そうして二人はまた、階下に移動した。食卓に座り、トゥルー・アイズの淹れてくれた熱いコーヒーをすする。


「あのー、トゥルーさん」


「何だ?」


「あなたはいつ、この家を出たの?」


「フェリックスと同じぐらいだ。フェリックスは、悪魔祓いとして実戦経験を積むためにもこの家を出た。もう、牧師様もいなかったからな……」


 そこでルースは、嫌な予感が当たったことに気づいた。いや、さっきからトゥルー・アイズの話を聞いていればわかったことだ。肝心の牧師が、今どうしているか……それが出てこないことに。


「牧師様は、亡くなったの?」


「……そうだ」


「だから、フェリックスもあなたも家を出た?」


「それもある。だが、私の場合は少し複雑だ。……実はレネ族には、通過儀礼がある」


「通過儀礼?」


「そう。シャーマンになる者は、子供の折に名前以外の記憶を消し――荒野に放り出される」


 思った以上に壮絶な話に、ルースは目を剥いた。


「生き抜くことのできた者は、いずれ記憶を取り戻す。そして一族のもとに帰るのだ」


「随分、危険な方法ね」


「……そうでもない。レネのシャーマンは、“よく見える”からな。どこが安全か、どうやれば安全に生き抜けるか、なんとなくわかるのだ」


「はあ……」


 勘が鋭いってことかしら、とルースは首を傾げた。


「私はふらふらと町を歩いていた。すると、シュトーゲル牧師が保護してくれてな。そして牧師が亡くなった後ぐらいに、私は記憶を取り戻したのだ」


「それまでは、フェリックスと一緒に育ったのね」


「ああ」


 もっと語ってくれるのかと思ったが、トゥルー・アイズはそれ以上は口を開かなかった。


 玄関で、ノックの音が響いた。


「ああ、医師が来たな。迎えにいってくる」


「ええ……」


 ルースはトゥルー・アイズの背を見送りながら、ため息をついた。


(フェリックス、大丈夫かしら――)


 それにしても、と思う。


 フェリックスがあんなに語らなかった理由。そして、牧師の死。おそらく、その二つは結びついている。


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