Chapter 5. Thousand Crosses Town (千十字架の町) 3



 目を覚ましたオーウェンは、ふかふかのベッドに手をつき起き上がった。


 必要最低限の家具が並べられた部屋を、無感動に見渡す。


(一晩経てば戻るかと思ったが……そのままか)


 手早く着替えて、オーウェンはテーブルに置かれた紙袋から昨日買って――いや、もらってきたパンと牛乳の瓶を取り出した。


 パンを咀嚼そしゃくし、流し込むように牛乳を飲む。


 美味しくも何ともないのは、今の状況が異常だからだろうか。


 また外に出て試してみようと決意し、家の外に出るとティナがすぐ傍に立っていた。


「あら、おはようオーウェン」


「……おはよう」


「よく眠れた?」


「ああ。ここで、何を?」


「昨日のあなたの様子、心配だったから見にきたのよ」


 ティナはにっこり笑って、腰に手を当てた。


 外見はキャスリーンを彷彿とさせるが、むしろ性格はルースに近いかもしれない。


 そんなことを考えながら、オーウェンはふっと笑った。


「すまないな。今日も、試してみようと思うんだが……」


「お好きなだけどうぞ。終わったらまた、サルーンに来てくれない? みんなでお喋りしたいし」


「ああ、わかったよ」


 素っ気ないとも言える返事をして、オーウェンはティナを残して町と荒野の見えない境界線の元へ向かった。


 踏み出そうとする一歩。だが、今日も動かない。


「…………」


 なんて、歯痒い。手を伸ばしても、ある一点で止まる。まるで、透明の壁があるようだ。


 絶望して、うつむく。そしてオーウェンは、ためらいながらも一歩下がり――遠い荒野を見つめた。


 舞う砂塵さじんは肌を打つのに、どうして荒野に足を踏み入れられないのか。




 サルーンには、もう全員が揃っていた。


「おはよう。よく眠れたか?」


 オーウェンの姿を真っ先に認めたマイクが、歩み寄ってくる。


「……ああ。おはよう」


 マイクだけにではなく皆に向かって挨拶しながら、オーウェンは皆が座るテーブル席へと近づいた。


「あんまり顔色、良くないね。眠れなかったのかい?」


 心配そうな声音で、アンバーがオーウェンに尋ねる。


「あまり、寝つけなかった」


「まあ、最初の夜はそりゃそうだろうね。特にあんたには、記憶があるんだし。――ニール、あんたもそんな感じだった?」


「どうだろうな。覚えてない。ここにいると、色んなことを忘れてしまうみたいだ」


 アンバーに話を振られたニールは、短くなった煙草を灰皿に押しつけた。


「今朝も試してみたが、だめだった」


 オーウェンは一応、報告しておいた。


 何を、とは言わなかったが、それだけで誰もが察したように重々しい空気になる。


 ――誰も、出られない町。


「そういえば、聞きそびれていた。ティナ。ここにはどうして、千の十字架があるんだ?」


 突然とも言えるオーウェンの問いに、ティナは眉をひそめた。


「ああ、本当。言いそびれてたわね。――ハリケーンがあったそうよ。それで町が壊滅したの」


「どうして、わかったんだ?」


「新聞記事が、残っていたの。このサルーンにね」


 ティナの答えに呼応するかのように、ライナスがどこからか新聞を持ってきた。随分と古びた新聞だ。


 そこには、古い事件を懐古するような記録が載っていた。


 記事のタイトルは、サウザンド・クロスの丘――。


 十数年前に起こった悲劇が、無数の十字架が写された写真と共に描写されている。


「……この新聞、途中で破れてるな。しかも、これ一枚だけ?」


 オーウェンは、思わず呟く。


 新聞とは、何枚も重ねられてでき上がっているものだ。切り抜きというよりは、抜き出されたものに見える。


「変だろ?」


「ああ、変だ」


 ニールに確認され、オーウェンは頷いた。


 裏を返すと、血生臭い事件が載っていた。ブラッディ・レズリーの襲撃事件だ。ということは、この新聞自体は最近のものなのだろう。少なくとも、ブラッディ・レズリーが西部で暴れ始めた後だ。


「これだけぽつんと、サルーンにあったというのか?」


「そうよ」


 オーウェンが確認すると、ティナが端的に答えた。


 ティナが来たときから、そうだったらしい。


「ここは、妙なことばかりだな……」


 大体、素直に受け入れかけているが――勝手に供給される家具や食糧、そして見えない壁も充分に不気味だ。


(それに、あのキャスリーンは……)


 町が、自分をおびき出すための罠とでもいうのだろうか。


(だが、俺が町に呼ばれる理由なんてない)


 オーウェンは新聞を握りつぶしたい衝動を抑え、ライナスに新聞を返した。








 フェリックスとルースが出発して、軽く六時間は経った。


「と、遠いわね……。どこが隣町よ」


 西部は大体、町と町の間の間隔がやたら広いのが通例なので、ここまで時間がかかってもおかしくはない。わかっていても、ルースはつい毒を吐いた。


「大丈夫か? あっちに民家が見えるな。少し、あそこで休むか。水も、もうあんまりないんだ」


「そうね」


 フェリックスとルースは馬の首を違う方向へ向けて、また走り出した。


 馬から降り、民家の扉を叩きかけたところで、フェリックスはふと聞き覚えのある声に立ち止まる。


「フェリックス?」


「しっ。なんか嫌な予感が……」


 扉に耳を当てると、ドスの効いた低い女声が聞こえてきた。


「ほう。とすると、お前は私が餓死しても良いんだな?」


「そ、そんなこと言ってないじゃないですか! ただ、祭りでもないのに山羊は殺せない……」


「金はあるぞ」


「金の問題じゃないんです! こいつは、ミルクも出してくれる貴重な家畜で――」


「ふうむ――。ん? ちょっと待ってろ」


 フェリックスが慌てて扉から離れ、ルースの手を引き一緒に伏せたところで聞き慣れた声が響いた。


「お前は――!」


「や、やっぱり!」


 フェリックスの嫌な予感は、見事に当たった。


 そこには、銃を構えた連邦保安官――フィービー・R・アレクサンドラが立っていたのだ。




「言っとくけど、撃たないでくれよフィービー」


 片手をつきながら起き上がったフェリックスは、呆然とするルースを助け起こした。


「お、おい、あんたら! この人と知り合いなのか!? 助けてくれ! うちの山羊を食わせろと、迫ってくるんだ!」


 ひょっこりフィービーの後ろから現れた老人は、必死にフェリックスとルースに助けを求めてきた。


「まーた、無茶な要求してるんだな」


「そんなに無茶か?」


 呆れたフェリックスに対し、フィービーは激昂することもなく首を傾げた。フィービーには、それほど悪気はないらしい。


「無茶だ。貴重な家畜をそう簡単に売れないだろ。――あれ、エウスタシオはいないのか?」


 フィービーは顔をしかめて「今はいない」と告げた。


「それでか。フィービーの常識を担うエウスタシオがいないから、暴走してるんだな」


「フェ、フェリックス……そろそろ黙ったら。撃たれるわよ」


 ルースの忠告にフェリックスもハッとしたが、フィービーは怒った様子を見せなかった。


「うん? 様子が変だな」


「そうよね。いつもの勢いがないわ」


 簡単に言うと、今のフィービーには元気がない。


「フィービー。食糧が欲しいんなら、分けてやるよ。干し肉が少しあるし」


「そうか――。なら、頼む」


 あっさり受け入れられ、フェリックスは青ざめた。


「何だ、この素直なフィービー。気持ち悪いぞ?」


「あ、あたしも寒気がしてきたわ」


 ルースとて、短い付き合いだがフィービーの傲岸不遜ごうがんふそんさは嫌と言うほど目にしている。


 それがどうだ、このしおらしい有様は。


 そもそも食糧が欲しいから山羊をさばけ、とはフィービーにしても無茶苦茶すぎる。ひょっとすると、どこか調子が悪いのではなかろうか。


「あんたたちは恩人だ! 山羊は無理だが、他のことなら何でも言ってくれ!」


 フェリックスに飛びついて老人が気前の良いことを言ってくれたが、食糧は余分に持っていたので水だけお願いすることにした。




 フェリックスとルース、そしてフィービーは屋外の木陰に座って一休みしていた。


 老人から振舞われたコーヒーを有り難くすすりながら、フェリックスは思い切って聞いてみた。


「フィービー。何かあったのか?」


「……まあな。……エウを見なかったか?」


 突然の質問に、フェリックスとルースは顔を見合わせた。


「見てないよ。何だ、もしかしてはぐれたのか?」


「突然、消えたんだ。ちょうど、隣町との境にある空白地帯で人が消えるという噂を調査しているときだった」


「その噂……って、ちょっと待ってくれ。隣町ってリングヘッドのことか?」


「ああ」


「じゃあ、あんたがいたのはウォーターソンか!」


 フェリックスの確認に、フィービーは眉をひそめた。


「まさか、リングヘッドにも同じ噂が?」


「ああ。実は、俺たちの連れも消えたんだ。町中で、忽然と」


 フェリックスの発言に、フィービーはハッとなったようだった。


「エウも同じだ。私は、あの地帯に近づかなければ消えないと思っていたのだが……。そうか、町中でも消える事例があったのか! なら、やはりエウもそれで消えたんだな」


 フィービーは原因がわかってホッとするどころか、余計に不機嫌になったようだった。


「エウは、いつ消えたんだ? 俺たちの連れは昨日、消えた」


「今朝だ。もう一日、町の中を捜そうと思ったが――噂が気になってな。こっちに来てみたんだ」


 そこでふと、フェリックスは考え込んだ。


「あれ? じゃあ、ウォーターソンを発ってからそこまで時間経ってないのか?」


「ああ。お前、失踪多発地域に行きたいなら、もっと南だぞ」


「えっ」


 どうやら道を間違えていたらしい。


「変だな。ちゃんと、リングヘッドからウォーターソンへの道は聞いたんだが……」


「町人に聞いたのなら、安全な道を教えてくれたんだろう。最近は、ウォーターソンとリングヘッドを行き来するときには、遠回りだが失踪地帯にかからない道を取ることにしたそうだ」


「なるほど。どうも遠いと思ったんだよな……」


「ほらー。やっぱり!」


 ルースは自分の直観が正しかったことを突き止め、少しスッキリした気分になった。


「空白地帯は、ここだ。で、ここが私たちが今いる位置だ」


 フィービーがフェリックスとルースに、地図を見せて指で示してくれた。確かに、今いるところはウォーターソンに近い。


「フィービー。協力しないか? 今回、どっちも失踪者がいることだし……。三人の方が心強いだろ」


 フェリックスの申し出にフィービーは眉を上げ、唇を歪めた。


「ふん。――いつもなら断るところだが、乗ってやろう」


 やはり今日のフィービーは、異常に素直だった。


「情報を交換しようぜ。こっちはリングヘッドで仕入れた情報だ。二カ月ほど前に靴屋やってたオッサンが消えて、一月前に農家の主婦が消えたらしい」


 フェリックスが早速情報をさらすと、フィービーも失踪者の情報を口にした。


「ウォーターソンでは農場で働いていた男が一人消えて、そいつを捜しに出た保安官も消えたそうだ。どちらも半月ほど前のことだという」


「なるほど。失踪者は合わせて四人か……それに兄さんとエウの二人が加わって、六人」


「ねえねえ、フェリックス。ちょっと、こっち来て」


 ルースがフェリックスの袖を引いてきたので、フェリックスはフィービーに「失礼」と断って彼女から離れた。


 声が届かないであろうところまで離れてから、ルースは口を開いた。


「ちょっと。今回、悪魔が絡んでるんでしょ? フィービーは、あんたが悪魔祓いなこと知ってるの?」


「知らないだろ」


「じゃあ、まずいわよ! 一緒に行動しない方が良いんじゃない?」


「あのな、ルース。どうせ目的地は一緒なんだよ。この場合、協力しない方が変だ」


 フェリックスの正論に、ルースはぐっと詰まった。


「大丈夫。どうも今日のフィービーは調子悪そうだし、捕まらないように行動するよ。心配してくれてるのか? ありがとな」


「別に、心配してるわけじゃないわよ。――あんたが良いなら、良いわ」


 ルースは首を振り、フィービーのところまで戻った。


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