Chapter 5. Thousand Crosses Town (千十字架の町) 4





 オーウェンはくらい目で、床を見つめていた。


「――こんなところにいたの」


 少女の声に顔を上げると、ティナがゆっくりと入ってきた。


「何も、ないところよ?」


「わかっている。……だから、ここに来た」


 自分が住み始めた家でもなく、皆が集まるサルーンでもなく、がらんどうの廃屋こそを必要としていたのだ。


 生活臭があると、どうしても苛立ってしまうから。


 こんなところにいる場合ではないと、焦りが先に立ってしまう。


「オーウェン。あなた、ずっと思い悩んでいる顔しているわ。ここから、出られないから?」


「……それも大きい。だが……」


 目を閉じれば、浮かぶ顔があった。


 心が整理できないままに、ここに来てしまった。


「何か、悩み事でもあるの? 私でよければ、聞くけど」


 ティナは優しく微笑み、オーウェンの顔を覗き込んだ。


 どうしても、昔のキャスリーンを重ねてしまう。


「――一人の、女の子がいたんだ」


 どうして語り始めてしまったのかは、自分でもわからない。だが、水が溢れるように口から自然に言葉が出ていた。


「その子は、ずっと行方不明だった。だが最近になって、亡くなったことがわかった」


 オーウェンは、そのまま語りはしなかった。妹であることも隠して、微妙な言い代えを使う。


「それで……?」


「その子は、俺のことが……」


「好きだったの?」


「かも、しれないという話だ。俺は全く気づかず、相談ごとをその子にしていた」


「まさか、恋の相談とか?」


「……」


 心が読めるのか、と疑いたくなるぐらいに的確に当てられて、オーウェンは目を見開いた。


「顔が、言ってたわ」


「……そんなに俺は、わかりやすいか」


 若干肩を落としたところで、オーウェンの手にティナが手を重ねた。


「後悔してるのね」


「ああ」


「でも、あなたが自分を責めることなの? 確かに……知っててそうしたなら、無神経だと思うわ。でも、あなたは何も知らなかったんでしょう?」


 ティナの言葉は、染みいるようにオーウェンの心を慰めてくれた。


「実は、その子に私が似てたりする?」


 またも目を見開くと、またティナは「顔が言ってたわ」といたずらっ子のように微笑んだ。


「ねえ、オーウェン。あなたは随分と疲れているみたいね」


「疲れている……?」


「悩み事、きっとそれだけじゃないでしょう」


 指摘されて、思い当たることがたくさんあった。


 ジョナサンのこと、ルースのこと、そしてもちろんキャスリーンのこと……。


 新大陸に来てから、仲間が急に少なくなったこともあって、長男のオーウェンにかかる負担も大きくなった。


「そう、だな……」


 そういえばキャスリーンはいつもこんな風に、話を聞いてくれたのだった。


「ゆっくり、休んだら? 幸い、ここは現実とは隔たった場所だわ。外に出るまで、何も考えずに過ごせば良いわ」


 それは、罪のように思えた。だが同時に、甘美な誘惑だった。


 急激な眠気を覚えて、オーウェンはがくりと首を垂らす。


 その首を優しく誘導し、ティナは己の膝に彼の頭を載せた。


「あなたが良いわ、オーウェン」


 すうすうと気持ち良さそうに眠るオーウェンの髪を撫で、ティナは妖しく微笑んだ。








 遠くに見える蜃気楼しんきろうを見据えて、金髪の男――ロビンは大きなあくびをした。


「ばっちり悪魔に憑かれたみたいだな」


 ロビンが見上げたのは、全身黒ずくめの男だった。年の頃は、壮年。褐色の肌に、黒い髪と黒い目を持っていた。


「――ああ」


「エデンの効果は凄まじいもんだ」


「確かにな」


 男は素っ気なく答えた。


「ところで、エデン売るのは良いんだが……もうちょっと厳選してくれね? 今回の奴とか、遠すぎだろ。おかげで、来るのに時間がかかっちまったぜ」


「私は悪魔に憑かれる素質がある者にしか、売らない。厳選しているつもりだ」


「そうじゃなくて。場所を集中させてくれると――」


「あまりに事件が起こる地域が近すぎると、さすがに疑われるぞ」


 それもそうか、とロビンはあっさり引き下がる。


 二人は、しばし黙って佇んでいたが――ふと男が口を開いた。


「ルビィ――いや、ウィリアムは?」


「宿に置いてきた。今、あいつは不要だろ。誰も殺す必要はないんだからさ。しかし、様子見るだけってのも面倒だし退屈だよな。……あんたは違うんだろうけどな、ヴラド」


 ヴラドと呼ばれた男は、黒い帽子を少しだけ上げて前を見据えた。


 蜃気楼にしか見えぬ、歪んだ空間。あの向こうに、かつて滅んだ町があった。そして今は――仮初めの復活を遂げた町がある。


「俺は悪党だが、お前ほど悪趣味じゃねえな」


「私も、趣味でやっているわけではない。あれは完全なる偶然だ。だが――そうだな、予想すべきだった。あれは悪魔に気に入られやすいんだろう」


 ヴラドの彫の深い顔は、表情を揺るがすこともなかった。


「何で? あんた、言ってたじゃん。息子は自分の力を継がなかったって」


「完全に継がなくとも、素質はあったんだろう」


「わーけ、わかんね」


 ロビンは自分で聞いておきながらあっさり一蹴したが、ヴラドは気を悪くした様子もなかった。


「さてっと。そろそろ引き上げるか。あの悪魔祓いが来るはずだ」


「見届けなくて良いのか?」


「エデンの効果は証明された。……あ、でもあの子もそろそろ捕まえたいんだよな。悪魔祓いが来るんなら、あの子も来るだろ。近くで待機しとくか」


 ロビンは周囲を見渡したが、不毛の大地に彼らの身を隠すものはなかった。


「町、入るか」


「……冗談か?」


「俺は本気だぜ?」


 ロビンは挑戦的に笑って、一歩踏み出した。少し遅れて、ヴラドがロビンの後を追う。


 しばらく歩いて、ロビンは足を止めた。揺らいだ空間に手を突っ込むと、ぐにゃりと嫌な感触がした。


「うえー。これを通り抜けるのかよ。通る間は、息を止めるべきだな」


「――本当に、入るのか?」


「怖いなら、あんたは止めておけば? だけど、あいつらに見つかるなよ」


 ロビンはヴラドを置いて、さっさと入っていってしまう。


 ヴラドもため息をついて、不可視の壁を通り抜けるべく、歩を進めた。








 フェリックスとフィービーが共闘の意志を固めた頃、ジェーンは優雅に足を組んで本を読んでいた。


「おーい、ジェーンさん」


 すっかりジェーンに骨抜きになっているリッキーが、にこにこして近寄ってくる。


「あら、なあに?」


「ジェーンさん宛に手紙が来たぜ」


 リッキーに渡された封筒を一瞥いちべつして、ジェーンはにっこり笑う。


「ありがとう。あ、ねえリッキー。この農場に、使ってない建物ない? または、滅多に使わない倉庫とか」


「倉庫なら、あるよ。何でそんなこと聞くんだ?」


「ちょっとね。賞金稼ぎ仲間で集まろうって話が出てるのよ。でも私は、ここから動くわけにはいかないからね。どこか場所を借りられたらと思ったの。どう?」


 艶やかに微笑んでみせると、リッキーは何度も首を縦に振った。


「そりゃもちろん、どんどん使ってよ」


「ありがとう。このこと、他の人には内緒よ?」


「へ? 何で?」


「賞金稼ぎって、荒っぽい奴らばっかりなんだもの。あなたのお父さんとお母さんも、良い気はしないでしょう」


「そうかなあ……。ま、良いよ。秘密にしたいなら、俺は誰にも言わないでおくよ」


「ありがとうリッキー、良い子ね」


 手招きされたのでリッキーはもう一歩近づく。


「ご褒美ね」


 頬にキスをされて、リッキーは真っ赤になった。


「あわわわ、こんなんでご褒美もらえるならオレ……いくらだって黙ってるよ! ……あ、オレ母さんに呼ばれてるんだった。もう行くよ」


 ジェーンが苦笑している内に、リッキーはスキップせんばかりの足取りで部屋を出ていった。


 彼を見送った後、ジェーンは封筒を開けて手紙を確認した。


「手がかり確保――ね。待ってなさい、クルーエル・キッド」


 嫣然えんぜんと微笑み、ジェーンは仇敵の名を呟いた。




To be Continued...


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