Chapter 5. Thousand Crosses Town (千十字架の町) 2



「マイクだ」


「アンバーよ」


「ニールだ」


「ライナスだ」


 最後に先ほどの店主が名乗り、自己紹介は終了した。


 オーウェンを合わせて、六人。これだけが町の住人らしい。


 不思議なことに、どこから来たか――そして自分が何者だったのかは、オーウェン以外全員が知らなかった。


「記憶喪失、というやつか?」


「でしょうね。気がつけばここにいて……あたしは三番目だったかしらね?」


 オーウェンの確認に、アンバーはためらいがちに頷いた。


「俺が来たときには、ティナがいたな。他の奴らはいなかった」


 ライナスの証言で、ティナが一番の古株だということが判明した。


「なら、変だな。どうして俺は記憶があるんだ?」


「俺も初めは、あった気がする。段々と抜け落ちていってな……」


 カウボーイハットを粋にかぶった若い男、ニールは眉をひそめた。


「初めにあったなら、誰かに話していないのか?」


「それが、ニールは最初来たときは大混乱で、俺たちの誰も寄せつけなくてさ……このサルーンに姿を現したのは、彼が来て三日後かな。そのときには、何も覚えてなかったんだ」


 オーウェンの疑問には、ニールではなくマイクが答えた。マイクもまた、若い男だった。荒々しいニールとは対照的に、人がよさそうで、素朴な印象の青年である。


「つまり、三日かかって記憶を失ったということだな。あんたも、俺と同じように時間のかかるタイプなんだろう。今のうちに、自分のことを俺たちに話しちゃどうだ?」


 ニールに提案され、オーウェンは頷いた。もしも本当に忘れてしまうなら、誰かに覚えていてもらわなければならない。


「俺の名前はオーウェン・I・ウィンドワードといって、旅芸人だ。色々あって、今は妹と用心棒と一緒に旅をしている。……こんなところで、良いか?」


「はいはい。一応、書いとくわね」


 アンバーは、古びた紙に鉛筆で素早く書きとめた。


「一刻も早く、俺は外に出たい」


「みんなそうさ。さあ、オーウェン。とにかく今は、飲もうじゃないか。歓迎すべき出会い方ではないが、わしらは一蓮托生の仲間だよ。――乾杯!」


 ライナスが音頭を取り、皆はグラスを掲げた。




 オーウェンはサルーンを出た後、また町の端へと向かった。今度は、さっき足が動かなかった場所から遠く離れたところだ。


 だがしかし、やはり一歩も外には出られなかった。


「――なぜだ! なぜなんだ!」


 ほとばしるのは、焦燥とぶつけようのない怒りだ。


 こんなことをしている場合ではないのに。


 ルースも用心棒も、自分の行方を捜しているだろう。


「まあまあ、落ち着けよ」


 この場にふさわしくないような鷹揚な声と共に現れたのは、ニールだった。強い風に、帽子をおさえている。


「落ち着けるわけ、ないだろう……」


「俺も、あんたみたいにパニックになったらしい。――なあ、オーウェン。他の奴らは記憶を最初から完全に失っていたのに、どうして俺たちは途中まであったんだと思う?」


 オーウェンは突然の質問に戸惑い、歯を食いしばった。


「すまないが、わからない」


「そうか。――俺の推論は、こうだ。ここに何らかの力が働いているとして……その力が、弱まっているんじゃないか?」


 どうやらオーウェンに質問したのは話の導入のためだったらしく、ニールはあっさりと答えを口にしていた。


「それなら、ここから出られる日も近いかもしれない。焦らず、方法を捜そうぜ」


 オーウェンの肩を叩き、ニールは背を向けた。


 その姿を見送り、オーウェンは深いため息をついた。


 本当に、出られる日が来るというのだろうか。








 フィービーは、日が高くなってから目覚めた。


「……エウ?」


 がらんとした部屋に呼びかけるも、返事はない。今日出発のはずなのに、起こしに来なかったのか。


 何やら釈然としないまま、フィービーは連邦保安官の制服を着込んで階下に向かった。


(どこにいるんだ……?)


 宿屋のどこにも、エウスタシオの姿はなかった。宿の受付に伝言も残していなかった。


 仕方なしに、一人で朝食を取る。


(もしや、馬を取りにいったのか)


 思いついて、フィービーは朝食をさっさと平らげてから宿屋を出た。


 だが、辿り着いた農場にもエウスタシオはいなかった。


「保安官補? 今日は、まだ来てませんよ。今日、取りにくるとは聞いてますけど」


 馬主も、まだ彼を見ていないらしい。


「……そうか。どうも、変だな。几帳面な奴なのに」


 エウスタシオの性格上、黙っていなくなるとは考えられない。


「どうかしました?」


「いや――」


「もしかして保安官補まで、いなくなったんですか?」


 馬主は軽く冗談を言ったつもりだったらしいが、フィービーの眉間に皺が刻まれるところを見て口をつぐんだ。


「まさか、本当に」


「まだ町の中は捜していない。だが――妙だ」


 あまりにも、突然すぎた。


「おい、お前。失踪事件には詳しいんだろう。例の地域には入っていないのに、姿を消すなんてことがあるのか」


「く、詳しいってほどじゃないんですけど……」


 馬主はしばらく考え込んでから、ハッとして顔を上げた。


「ないことは、ないんじゃないですかね。だって、誰も消えたところを見たわけじゃないんですから」


「――なるほど」


 あくまで、この町から隣町リングヘッドへの道中に姿を消すという噂だ。そして、その間の空白地帯が怪しいので、そこで消えるのだと見当をつけただけである。


「町から姿を消した、ってのはまだ聞いたことがないんですけどね。もしかすると、保安官補が何か目撃でもして、少し町から離れてあの地域に近づいて……」


「消えたということか」


「そういうこともある、という可能性の話ですけど」


「わかっている。まずは町中を捜す」


 フィービーは踵を返し、農場から町へと戻っていった。




 しかしフィービーの捜索も空しく、エウスタシオは見つからなかった。


「――どうなっている!」


 通りがかった民家の壁を思わず拳で叩くと、中から盛大に赤子の泣く声がした。


 じん、と痛む拳をコートのポケットに突っ込み、苛々として足を止めた。


(これだけ捜してもいないとなると……。あの馬主の言うことが正しそうだな)


 はあ、とため息をついてフィービーは決意を固めて農場へと向かった。








 ルースとフェリックスは、朝食を取りながら情報を整理していた。


「まず、一つ。兄さんがいなくなった」


「その二。この町リングヘッドと、隣町の間で最近人が消える噂がある」


「三つめ。兄さんはサルーンを出る前、様子が変だった。自分からサルーンを出て、町を出た確率が高い……」


「その四。悪魔の気配が残っていたから、悪魔が絡んでいるのは間違いなし」


「そして――五つめ。あたしたちは今から、兄さんを捜すべく隣町へと向かう」


 二人は頷き、ほぼ同時にコーヒーのカップをテーブルに置いた。


「兄さん、失踪とか……どんなお姫様なんだよ」


「ちょっと。兄さんだって、好きで消えたわけじゃないでしょ。あんた、直前まで兄さんと一緒にいたんでしょ? 何か、思い当たることはないの? もし町の失踪事件とは関係なく自分から消えたんだとしたら、どうするのよ」


 ルースの指摘に一瞬フェリックスはハッとしたようだが、すぐに首を横に振った。


「それはないよ。兄さんの責任感からして――ジョナサンのことがあるのに、そんなことはしないさ」


「……それも、そうね」


 何だか自分よりもフェリックスの方が、兄のことをわかっているような気がしてくる。


「ねえ、フェリックス。悪魔が絡んでいるって言ったけど……。本当なの?」


「ああ。残されていた気配と、昨日聞いた話を考えると……」


 ルースは昨夜、サルーンのマスターの息子から聞いた話を思い浮かべた。


 十数年前、リングヘッドと隣町ウォーターソンのちょうど間ぐらいにあった町が消えたのだという。


『元々、風の強いところで。不幸なことに、ハリケーンがその町を直撃したんですよ。町にいた人は全員死んだって話で……たまたま出かけていて難を逃れた人たちが、帰ってきて十字架を墓標代わりに立てたそうです』


 遺体はほとんど、見つからなかったらしい。


「だけど、妙よね。失踪者が出始めたのは最近。ハリケーンで町が壊滅したのは……十数年前って言うじゃない? 町に悪魔が取り憑いたとか、言わないでよ?」


「悪魔は町には憑かない。おそらく、誰かに憑いているんだろう」


「十数年前に滅びた町の、関係者?」


「そうだろうな。あと一つ、サルーンの客に昨日聞いてどうも変だと思ったのは……最近、町から色んなものがなくなってるってことだ」


 ルースは首を傾げた。


 そういえばフェリックスはルースを宿に帰した後も、サルーンで聞き込みを続けていたのだった。


「色んなもの?」


「ああ。食糧や家具などが、民家や店からなくなるらしい。腕利きの泥棒だという噂だけど、それにしちゃ盗るもんが変だろ」


「本当ね。何か、失踪事件に関係あるのかしら?」


「さあ。ともかく、行かないとわからない。――そろそろ行こうか、ルース」


 フェリックスが立ち上がると、ルースも覚悟を決めて、口元を引き締めて立ち上がったのだった。




 宿の部屋で荷物をまとめたルースは、フェリックスの泊まっている部屋に向かった。ノックすると、すぐにフェリックスが扉を開けてくれる。


「ルース、準備できたか?」


「ええ。あんたは?」


「ちょっと弾の残りが心もとないから、買ってこようと思うんだ。ここで待っててくれ」


「わかったわ」


 返事をして、ルースは自分の荷物を持ってフェリックスの部屋に入った。入れ違いのようにして、フェリックスが出ていってしまう。


 元々二人用のつもりで取った部屋だったので、ベッドは二つあった。その内の一つに座って、ルースはふうっとため息をつく。


 そこでふと、ベッドの枕元に置かれた小さな黒い手帳のようなものに気づいた。


(フェリックスの……よね)


 ふとそれを手に取り、ハッとする。


(だめだめ、あたし。人のもの勝手に見ちゃだめよ!)


 好奇心と戦いながら、ルースは手帳を元の位置に戻そうとしたが――ぱさりと手帳から何かが抜け出て床に落ちてしまった。


「あっ……」


 ルースは拾ったそれを、凝視してしまう。


 そこに写っていたのは、子供二人と大人二人だった。


(この子って――フェリックス?)


 彼に似た少年をなぞるように、ルースは写真を撫でる。


 面影が確かにあるのに、疑問を抱いてしまうのは彼の表情が今とは全く違っているからだ。


 自信の満ちた笑みや不敵な笑顔を浮かべることの多い用心棒は、写真の中では驚くほどに弱々しく微笑んでいた。


 一方、フェリックスの右隣に立つ少年はすぐに誰かわかった。トゥルー・アイズだ。彼は今とそれほど変わらぬ、控えめな笑みを浮かべていた。


 背後に立つ大人二人は、両方とも男性だったが見事に対照的だった。


 一人は穏やかに微笑む、細身の若い男性だった。ゆるやかに波打つのは金髪だったが、フェリックスと全く似ていなかったので血縁ではないだろう。


 その隣に立つ男性はおそらく、壮年に差しかかったぐらいの年齢だろう。左目に眼帯をしており、それががっしりした体躯と相まって、なんともいえない迫力をかもしだしていたが、豪快な笑顔は案外気が良さそうだった。


 廊下に足音が響き、ルースはハッとして写真を手帳に挟んで手帳を枕元に再び戻しておいた。


 だが足音はフェリックスのものではなかったらしく、部屋の前をあっさり通過していた。


(そっか。いくらなんでも早すぎるわよね)


 ルースは胸を撫でおろしながら、手帳に再び目をやった。


 トゥルー・アイズも写っていたのだから、あれは間違いなくフェリックスだろう。別人のような表情だが――別人だとしたら、写真を持っている意味がわからない。


 写真について聞きたいのは山々だが、それを聞けばルースが勝手に見たことがばれてしまう。


(見なかったことにするわ)


 ルースは窓に目をやり、フェリックスの帰りを待った。


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