Chapter 7. True Eyes (真実の目) 6



 ジョナサンはルースの顔を見るなり、飛びついてきた。


「ごめんね、お姉ちゃん」


「あんたのせいじゃないわよ」


 体を離して見下ろすと、ジョナサンはにっこり笑った。


「フェリックスが、倒してくれたの?」


「ええ。倒したというか……腕輪を奪ったんだけど。下に行きましょう。あたしだけじゃ説明できないわ」


 笑いながらジョナサンの手を引こうとして、ルースはふと動きを止めた。


「ねえ、ジョナサン」


 少しだけ間を空けてから、続く言葉を口にする。


「どうしてあんたは、フェリックスが悪魔祓いだってことをあたしに隠したの? 何で、あんたは知っていたの?」


 ジョナサンは散々ためらった後に、ようやく口を開いた。


「僕は偶然……悪魔祓いするところを見たんだ。それでフェリックスに口止めされた。特に、お姉ちゃんには内緒だって。なぜかは、教えてくれなかった」


「そう、なの」


 ルースは肩の力を抜き、うつむいた。


(ジョナサンは、よく知らないのね。昔のあたしなら、知っていたんでしょうね)


 ルースは、とうとう決意した。フェリックスに、どうして自分が忘れたがったのか聞いてみようと。


 そこでルースはふと、ジョナサンが右腕をさすっていることに気づいた。


「ジョナサン? 腕、痛いの?」


「ううん。別に。行こう」


 一瞬ぎくりとした様子を見せながらも、ジョナサンはルースの手を握った。




 勝負は、翌日の夕方に行われた。


 この交易所唯一のサルーンは、いつも以上の賑わいを見せていた。久々にゴードンへの挑戦者が現れたということで、興味津々で人々が集まったのだ。


 といっても今回の挑戦者は、つい先日までの王者――フランクリンだった。


 無論、賭けるものはゴードンがフランクリンから奪った全て――出資者の権利、財産と屋敷である。


 ゴードンは明らかに青ざめながら、配られたカードを眺めていた。


(本当に、勝つんでしょうね……)


「ビッド」


「俺もビッドだ」


 どちらも、最初の一手で勝負することにしたらしい。


 先手はゴードンだった。


 カードを開くと、噂に聞いていたロイヤルストレートフラッシュは――現れなかった。


 ルールをよく知らないルースが戸惑いながらフェリックスを見上げると、フェリックスはこっそり耳打ちしてくれた。


「あれはフルハウスだ。そこまで悪い手じゃないから……フランクリンの手次第だな」


 観衆は息を飲んで、フランクリンがカードを明かす瞬間を待った。そしてフランクリンの手は――


「……ストレートフラッシュ! 挑戦者の勝ちだ!」


 人々は奇声や歓声を上げ、一斉にフランクリンにと祝いの酒を注文する。


 ゴードンは真っ青な顔を隠しもせず、逃げるようにして出ていってしまった。


「フェリックスにトゥルー・アイズ! お前たちのおかげだ!」


 フランクリンは二人に駆け寄り、観衆から渡されたビールのジョッキを押しつけた。


「ロイヤルストレートフラッシュが出なかったとき、心の中で拍手したよ! 一体、どうやったんだ?」


「そんなに、特別なことはしてないさ。ただ――まやかしの幸運を見抜いただけさ」


 フェリックスの遠まわしな言い方に、フランクリンは「はあ?」と間抜けな声を出した。


「まあ良いじゃないか。それより、いくら強いからって、ポーカーで出資者の権利を賭けたりするなよ。みんな困るんだからな」


「わかっているとも。以前のように、平等な取引が行われるように努力するよ」


 フェリックスにたしなめられ、フランクリンは真面目な顔になって頷いていた。




 サルーンを出たときにはもう、日がとっぷり暮れていた。


 なぜかルースも酒を飲まされてしまい、頬が熱かった。


 ジョナサンもちゃっかり飲んでしまったらしく、赤い顔をしてトゥルー・アイズの背中でくうくう眠っている。


「ルース、ふらついてるぞ。大丈夫か」


「か、顔が熱いわ」


「少し、夜風に当たって帰るか」


 フェリックスが提案すると、ルースはぐらぐらする頭を縦に振った。


「では私は先に、この子を宿に連れて帰っておく」


 そうしてトゥルー・アイズはジョナサンを背負ったまま、行ってしまった。トゥルー・アイズも相当飲んでいたはずなのだが、顔色一つ変えていなかった。それは、フェリックスも同じだったが。


 ルースはフェリックスに手を引かれながら、町はずれまで歩いた。




 涼しい夜気が頬を冷やしていく。


 ルースは夜空を見ながら、大岩にもたれかかっていた。ずるずると倒れ込みそうになる度、「大丈夫かよ」と笑ってフェリックスが腕をつかんで戻してくれる。


「……ねえ、フェリックス」


 二人きりだ。聞くなら今しかなかった。


「あたしが、どうして記憶を失いたかったか知ってる……?」


 しんとした空気が流れた。


「知ってる」


 フェリックスの表情は、少しも揺らいでいなかった。


「教えてくれるかしら。何の記憶を失ったかも、含めて」


「――それはできない。悪いな、ルース」


 フェリックスはこちらを向いて、微笑む。


「記憶を失くす前のルースと、約束したんだ」


 フェリックスは、明かしてくれなかった。


「今のあたしが知りたいって言っても、昔のあたしとの約束を守るの?」


 過去の自分がそんな約束をしたなんて、納得できるはずもなかった。


 フェリックスを見上げ、ルースは彼を問い詰める。


「守るよ」


 何のためらいも迷いもなく、フェリックスは言い切る。


「ルースがもし自分がそう言ってきても、言うなって言ったから」


 どうしてか、胸が痛む。


 真実を知ることができない。そしてそれを隠したのは、他でもない過去の自分なのだという。歯痒くて、たまらなかった。


 それ以上は答える気がないらしく、フェリックスは目を逸らしてしまった。気まずい沈黙が降りる。


「ねえ、フェリックス」


 ルースはわざと明るい声を出して、話題を変えることにした。


「あんたは悪魔祓いなのよね。神父さんか牧師さんなの?」


「――違うよ。悪魔が見えるってだけで、聖職者じゃない」


 フェリックスは苦く笑った。どうしてそんな表情をするかわからなくて、ルースは首を傾げた。


「俺には悪魔が見えるから、悪魔を退治しながら西部を放浪しているんだ。用心棒してるのは、悪魔祓いがほぼ無償だからだ」


「……へえ」


 ルースが相槌を打った後、再び沈黙が訪れたので、ずっと気になっていたことを口にした。


「トゥルー・アイズさんと、お互い兄弟って言い合ってるけど……本当に兄弟なの?」


「まあな。血はつながってないけど、兄弟だ」


 そこでフェリックスは、岩から背を離した。


「もう行こう。これ以上いたら冷える」


「……ええ」


 足早に歩き始めたフェリックスを追って、ルースは慌てて走り出した。




 宿に帰り、フェリックスと別れてルースは部屋に戻った。


 ベッドで眠るジョナサンを、椅子に腰かけたトゥルー・アイズが見守っていた。


「トゥルー・アイズさん? ありがとう、ジョナサンの傍についていてくれて」


「いや。この子が、宿に着いたら起きたんだ。それで、さっきまで頭が痛いと喚いていたが、先ほどようやく眠った」


「もう、子供のくせにお酒飲むから……!」


 明日起きたら、たっぷり叱ってやらねばならない。


「――姉も戻ってきたことだし、私はもう行こう」


 トゥルー・アイズは立ち上がって出ていこうとしたが、ルースは途中で彼を呼び止めた。


「待って」


 トゥルー・アイズは、静かに振り返る。


「……フェリックスに尋ねたわ。でも、教えてくれなかった。忘れることを望んだあたしと、約束したからって――」


 ルースの声は段々と弱々しくなっていき、とうとう最後にはうつむいてしまった。


「そうか」


 トゥルー・アイズはしばらく間を開けてから、言葉を口にした。


「以前、私はお前に会ったと言ったな。そのときのお前は、今とは随分違っていたぞ」


「違っていた……?」


「ああ。顔は青ざめ、やつれていた。病気なのではと聞いたぐらいだ。――だから、お前は忘れて良かったのだ。今は血色も良いし、元気そうだ」


 トゥルー・アイズの真っ直ぐな視線が、優しく注がれる。


「……そう」


 ルースは、ぎこちなく笑ってみせた。


「何にせよ、フェリックスがお前を大切にしていることは確かだ」


 トゥルー・アイズの台詞が引っかかり、ルースは眉をひそめた。


「どういう意味?」


「フェリックスは、冷たくはない。だが赤の他人を、私を呼び出してまで助けるほど、博愛精神に富んだ男ではないということだ。――珍しい。他人に深く関わることはしない男なのに」


 トゥルー・アイズがぽんぽんと言い放つ度に、ルースは驚きっぱなしだった。


「何にせよ、兄弟としては喜んでやるべきなのかもしれないがな」


 トゥルー・アイズは微かに、だが優しい笑みを浮かべた。


「ルース。お前に、頼みがある」


「あたしに?」


「ああ。――どうか、フェリックスの心を開いてやってはくれないか」


 ルースは驚きすぎて、絶句してしまった。


「どういうことよ。フェリックスは、みんなに心を開きまくってるじゃない」


 軟派でお調子者で、誰にでも優しい。それがフェリックスだ。


「本当に、そう見えるか?」


 問われてルースは戸惑い、ハッとする。


(あたし、何にもフェリックスのこと知らないわ……)


 過去のことも、家族のことも。彼は決して語らない。悪魔祓いであることだって、ずっと隠していた。さっきだって、トゥルー・アイズのことを聞いたら早々に話を断ち切ってしまった。


 それに誰にでも愛想が良いが、親しくなりすぎることはない気がする。


「でも、あなたには……心を開いているのよね」


 兄弟と呼び合う二人を見ていたら、自然にわかった。


「ああ。だが、私ではだめなのだ。私は彼の過去に属するから」


「過去……?」


「もう誰にも心を開かないと、フェリックスは決めている。私は――それを壊す誰かが、いて欲しい。くわえて、私はレネ族のシャーマンだ。ずっと、フェリックスの傍にいてやることはできない」


 淋しそうな、表情だった。


「すまない、混乱させてしまったな。だが、私は本当に期待しているんだ。可能性を持つ者が現れたのだと」


「……トゥルー・アイズさん……?」


「おやすみ、ルース」


 その言い方がひどくフェリックスに似ていた気がして、息を呑んでいる間にトゥルー・アイズは行ってしまった。


(一体、どういうことなのよ……)


 ルースはその夜、トゥルー・アイズの言葉について考えすぎて眠れなくなってしまった。


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