Chapter 7. True Eyes (真実の目) 5



 ルースはジョナサンの待っている部屋に戻り、ベッドで丸まって眠っている弟を揺さぶり起こした。


「ジョナサン、起きなさい。行くわよ」


「うーん? ふあああ」


 ジョナサンは大きなあくびをしてから、ぎょっとした顔でルースの背後を凝視した。


「――ジョナサン?」


 ルースは恐る恐る振り返り、すぐ近くにゴードンが立っていることに気づいた。


「やあ。君、邸内をうろついていたようだね」


「ご、ごめんなさい。ちょっと好奇心に駆られて部屋を出たら、迷っちゃって……」


 ルースは言い訳を口にしたが、ゴードンの細い目から覗く眼光の鋭さに息を呑んで口をつぐんだ。


「君たち、これのこと話していたってね?」


 ゴードンは左手を挙げ、その手首に巻かれた腕輪を顎で示した。


 どうして、とルースが呟きかけたところでゴードンがにやりと笑う。


「ちょうど、新しい使用人が欲しかったところなんだ」








 いつまで経っても出てこないルースとジョナサンを心配して、フェリックスは苛々と腕を組んだ。


「遅すぎる!」


「――何か、あったのかもしれないな」


 トゥルー・アイズの視線は家の中まで見通すかのように、屋敷へと向けられていた。


「もう一度、忍びこんでみる」


 痺れを切らせたフェリックスが歩き出したとき、玄関の扉が開いて少年が出てきた。


「ジョナサン」


「フェ、フェリックス……たたた、大変だよ」


 ジョナサンは動揺のあまり何度もつっかえながら、こちらに走ってきた。


「どうしたんだ」


「――お姉ちゃんが、ゴードンに捕まっちゃった。秘密を知ったからって……もし僕が秘密を言ったら、姉の命はないぞって言われて……」


 そしてジョナサンは「うわああん」と泣き出してしまった。トゥルー・アイズが屈みこんで、ジョナサンの頭を優しく撫でる。


「泣くな、少年。秘密とは、さっきフェリックスの言っていた腕輪のことか?」


「う、うん。どうしよう。聞かれてるなんて」


「――参ったな」


 フェリックスは悔しげに唇を噛んだ。


「ポーカー勝負しかないのではないか?」


「あっちに暴食の腕輪がある以上、ポーカーでは負かせない」


 トゥルー・アイズの思いつきを、フェリックスは一蹴した。


「ポーカー以外の勝負は受けないって話だから、ポーカーで絶対負けないように願ってでもいるんだろう。もし俺がいかさまをしても、ばれるような展開になるだろう」


 フェリックスは考え込み、しくしく泣いているジョナサンを困ったように見やった。


「泣くんじゃない、ジョナサン。ルースを取り戻しに行くから」


「取り戻しにって――力づくか」


「それしかないだろ?」


 フェリックスはホルスターに収まった銃に触れて、悪役さながらに微笑んだ。




 フェリックスは先ほど出てきたばかりの窓から、もう一度屋敷内に侵入した。今度はトゥルー・アイズも一緒だ。


 ジョナサンも付いていきたいと喚いたが、どうにか説得して宿での留守番を頼んだ。


「見つかれば、私たちは逮捕されるだろうな」


「嫌なこと言うなよ。大体、ルースを誘拐したのはあっちだろ」


 ひそひそ話をしながら、だだっ広い廊下を足音を殺しながら歩く。


「――隠れろ」


 トゥルー・アイズが、とっさにフェリックスの腕を引っ張る。二人は共に柱の影に隠れた。


 部屋から、ゴードンとルースが出てきたところだった。ルースは固い表情で、気丈にも顔を上げていた。


 二人は息を殺して、向こうに歩いていく二人を一旦見送った。


「腕輪はゴードンが着けているんだったな? 先に、それを奪わないと……」


「ああ。もし契約を変えたら、ルースを取り返せなくなるかもしれない」


 二人が扉の向こうに消えてから放たれたトゥルー・アイズの質問に、フェリックスは真剣な面持ちで答えた。


 ゴードンの腕からどうやって腕輪を取るか、しばしフェリックスは思案して手を打った。


「風呂に入るときぐらいは外すだろう」


「わからないぞ。そもそも、その腕輪は外れるものなのか?」


 トゥルー・アイズの指摘に、フェリックスはふと考え込む。


「それもそうか。…………そうだ。おそらく、契約不履行なら外れる。腕輪に食べさせなかったら良いんだ」


「だが、どうやって?」


 ここでもまた、考え込んでしまって、うつむいたが――


「食べ物を奪ってしまえば良いんじゃないか?」


 フェリックスはにっこり笑って、顔を上げた。




 ゴードンは捕らえた少女と共に、食事の席に着いた。


「おや、食事の支度がまだだな。おーい、まだか!」


 すると、シェフが走ってきた。


「すみません、ゴードン様。さっきまで仕込んであったものが、全て消えたのです。新たに作ろうにも、食材まで消えていて……」


「何だとお!? 一体、どうしてだ」


「わかりません。もう一度、捜してきます!」


 会話を聞きながら、ルースはひょっとしてと首を巡らせた。


(フェリックスたちかしら……)


「おい、小娘。何か心当たりがあるのか」


 じろりと睨まれてルースは首を横に振った。


「いえ、何も」


「お前も一緒に捜せ。腹が減ってたまらん」


 大きな腹をゆさゆさと揺らし、ゴードンはルースの腕をつかんだ。せっかく逃げる良い機会だと思ったのに、これでは逃げられない。


 しかし、あの昼食の量が通常だったのだとしたら、相当な食事の量だろう。そんなにも大量の食物をフェリックスたちだけで隠せるか、大いに疑問だった。


 ゴードンに連れられて屋敷中を回ったが、料理はどこにも見つからなかった。


「畜生! こうなったら、店で買ってこい! ――おい、誰かいないのか!」


 使用人もどこへ行ってしまったのか、わんわんとゴードンの声が広い屋敷にいやに響き渡る。


「どうなっているんだ。おい、娘。行くぞ」


「ど、どこへ?」


「外に決まってるだろう!」


 そこで耳障りな音が響いた。腕輪の蛇が鳴いているのだと気づき、ルースはぞっとした。


「おお、すまんすまん。もうすぐ何か食わせてやるからな」


 まるでペットに語りかけるような猫なで声で、ゴードンは腕輪を撫でた。




 交易所の店は、どこも閉まっていた。


「畜生!」


 乱暴に店の扉を叩くが、返事はない。


「そうだ。宿なら食事があるな」


 ゴードンと彼に腕をつかまれたルースは、宿屋に走る。その間も、腕輪は不快な音を立て続けていた。


 宿に入った途端に、ゴードンは声を荒らげた。


「主人! 金なら払うから、何か食い物を持ってこい!」


 だが、カウンター越しの主人はゆっくりと首を振った。


「何も、ありませんよ」


「何だと!?」


「食べ物は消えました」


「ふざけるな! チョコレートのひとかけらもない、っていうのか!」


 ゴードンが胸倉をつかんで主人を脅し始めたので、ルースは慌てて叫んだ。


「止めなさいよ!」


「黙れ小娘――」


 腕輪の鳴き声が、無視できないほどに大きく反響している。


「……そうだ」


 ふと、ゴードンはルースに目を留めた。


「食料なら、ここにあるじゃないか!」


 そして、にいっと笑ってゴードンは腕輪をはめた腕をルースに近づけた。


 痩せ細った蛇の頭が、こちらに牙を向く。


 ルースが悲鳴をあげると同時に、銃声が響いた。


「なっ……」


 手首を掠った熱さにゴードンが振り向くと、銃を構えた男が立っていた。


「フェリックス!」


 ルースは助かった、と一気に安堵を覚えた。


「ゴードン。その腕輪との契約はもう止めておけよ」


 ハッとして下を見ると、すっかり針金のように細くなってしまった腕輪が落ちており――横から伸びた手がそれを奪ってしまった。


「悪霊の持ち物を所持することは、寿命を縮めるぞ」


 一部が焼き切れた腕輪をひっくり返して眺めながら、トゥルー・アイズは「見事なものだ」と呟いた。


「あんたは契約と同時に、暴食の業を負った。人間、食べなくても死ぬけどな――食べ過ぎても死ぬんだぞ? 俺に感謝してくれよ」


 フェリックスが微笑むと、ゴードンは必死に喚いた。


「それは、わしの腕輪だ! 返さないと窃盗罪で訴えるぞ!」


「返してやるさ。教会で浄化してもらったらな。――それと、そっちが訴えるなら俺もあんたがルースを軟禁したこと訴えるけど、良いのか?」


 フェリックスの問いかけに、ゴードンは顔をひきつらせた。


「わ、わかった。必ず返せよ。高かったんだからな!」


 そしてほうぼうの体で、ゴードンは逃げ出していった。


 手に入れた腕輪を眺めて、フェリックスは微笑む。


「これであいつから、異常な幸運はなくなった。普通にポーカーをしても、勝てるはずだ」


「ふむ。それでは、フランクリンがもう一度勝負を挑めば良いんだな」


 トゥルー・アイズは呟き、フェリックスの手に収まった腕輪をちらりと見やった。既に焼き切れた部分も、元に戻っている。


「――大丈夫か」


 呆然としているルースに気づき、トゥルー・アイズが目の前で手を振ってきた。ハッとしてルースは目を瞬かせる。


「だ、大丈夫。……食べ物を隠したのって、あなたたちの仕業?」


 質問を浴びせると、フェリックスとトゥルー・アイズは、ほとんど同時に肩をすくめた。


「俺の提案だけど、使用人たちがみんな協力してくれたんだ。元々あそこはフランクリンの屋敷で、ゴードンに主人が変わって使用人も不満を覚えていたらしいな」


「ああ、それであんな短時間に隠せたのね」


 やっと納得がいって、ルースは息をついた。


「ルース、無事か?」


 今更のように尋ねられ、こくりと頷く。


「見ての通り、元気よ。どうなることかと思ったけど……」


「良かった良かった。ジョナサンが大泣きしてたから、早く行ってやれ。部屋にいるよ」


「ええ、わかったわ」


 ルースは弟に会いにいくべく、階段を駆け上がった。


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