Chapter 7. True Eyes (真実の目) 4
けたたましく扉を叩くと、面倒くさそうな表情を隠そうともせずに年配のメイドが出てきた。
「――何か?」
「すみません……。弟が急に苦しみ出して。休ませていただけませんか」
ぐったりとした様子のジョナサンを支えながら、ルースは訴えた。
「お断りだよ」
すげなく扉を閉められそうになったが、止める声があった。この屋敷の主人、ゴードンだ。
「まあまあ。入れてあげなさい。さあ、お嬢さん、お入りなさい。我が家は広いからね」
「ありがとうございます!」
ルースは感激したような声を出し、ゴードンに招かれるがままに家に入っていった。扉が閉められてから、建物の影から見守っていたフェリックスとトゥルー・アイズが顔を出した。
「へえ。お前の言った通りになったな」
「あの男は、見るからに見栄っ張りだからな。先代の出資者に負けない名士になろうと努力する、と踏んだのだ」
「お前は相変わらず――すごい目を持っているな」
フェリックスが本気で感心した声を出すと、トゥルー・アイズは少しだけ唇の端を上げた。
通された部屋で寝台に横になったジョナサンは、メイドが姿を消すなり身を起こした。
「お姉ちゃん、探検だね!」
「こら、ジョナサン。静かにしなさい。ばれたらどうするのよ」
「大丈夫だよ! さあ、探検だよ!」
少年らしい好奇心をもって、ジョナサンは今にも走り出そうとしていた。
「待ちなさい。フェリックスが言ってたでしょ。あくまで、あたしたちは気を惹く役。侵入はフェリックスがやるのよ」
「むー。つまんないなあ」
「あたしたちは悪魔見ても、わからないでしょ」
言いながらルースは不思議な気分だった。フェリックスやトゥルー・アイズと、自分は見ているものが違うのかと思うと奇妙だった。
そのとき、扉を叩く音がしてゴードンが顔を出した。ジョナサンが慌てて布団に潜り込む。
「やあ、気分はどうかね」
でっぷりした腹を揺らし、こちらに近づいてくる。左手首にはめられた細い金の腕輪が反射し、眩しさにルースは目を細めた。よく見れば、細い蛇が巻きついている形になっている。お世辞にも趣味が良いとは言えない、と思いながらもルースは笑顔を取りつくろった。
「大分、落ち着いたみたいです。本当に、ありがとうございます」
「いやいや。こういうときは助け合わないとねえ」
にったりにったり笑われ、ルースは心持ち身を引いてしまった。
(あの二人は、上手くやってるんでしょうね)
二人が成功させるまで、ゴードンの機嫌を損ねないようにしなくてはならない。
「君たち、お腹が空いていないかい? ちょうど、食事にしようと思っていたところなんだ。食べれば、元気も出ると思うよ」
ゴードンは笑顔で、ルースたちを食事に誘った。
豪奢な部屋に案内され、ルースは金ぴかの室内を見回した。
「あの……ここって」
ルースがためらいがちに質問すると、ゴードンはにやりと笑った。
「食堂だよ。見て、わからないかね」
「はあ……」
テーブルに並べられた金ぴかの食器を食事に使うとは、どうしても思えなかっただけである。
「まあまあ……私は今、機嫌が良いんだ。たくさん食べたまえ」
ゴードンが――もちろん金ぴかの――ベルを鳴らすと、メイドたちが次々と銀色の大きな蓋をかぶせた皿を手に入ってきた。皿を置き、蓋を開けると、ほかほかの料理が現れる。
「さあ、食べなさい」
ルースとジョナサンは顔を見合わせながらも、促されるがまま料理に手を付けた。
二人も潜入しては気づかれる可能性が高いので、フェリックスだけが侵入し、トゥルー・アイズは外で待機することとなった。
一階の窓が開いていたので、そこからあっさりと廊下に侵入する。勝手はよく知っていた。元々、この屋敷はフランクリンのものだったからだ。フランクリンがここの主人だったときに何度か、客としてお邪魔したことがある。
宝があるとしたら主人の寝室だろうと見当を付け、フェリックスは足音を立てないようにそろりと階段を上っていった。
フェリックスは曲がり角で危うくメイドと鉢合わせしそうになり、慌てて部屋に飛び込んだ。
汚い物置で、蜘蛛の巣が張っている。
(こんなところにいたら、喉を痛めそうだ……)
口を抑えて咳をこらえ、フェリックスは室内を見渡す。
がらくたばかりかと思いきや、骨董品が所狭しと乱雑に置かれている。
「こりゃあ……フランクリンの宝じゃないか」
ハッとして裸婦の描かれた絵を見る。彼が持っていた宝物の中でも、最も高価なものだったはずだ。
(ははあ……ゴードンの奴、美術品の価値はわからないんだな)
ここにはゴードンにとって要らないものばかり詰め込んでいるようなので、悪魔の品は置かれていないだろう。
フェリックスは扉に耳を当て、物音がしないことを確認してから、そっとドアノブを回した。
ばくばくばくばく……際限なく、ゴードンは口に食べ物を押し込んでいた。
食べ方は正直言って汚く、テーブルのあちこちに口に入れそこねた食物の残骸が散らばっている。
うえ、と呻いたジョナサンを肘でつつき、ルースは愛想笑いを浮かべた。
「ミスター・ゴードン? あたしたちは満腹になったので、もう結構です」
止めないと、次々と料理が運ばれ薦められるのだ。お腹がはち切れそうだった。
「ほう、そうか……。それは、もったいないね」
ルースとジョナサンの前に置かれていた食べ物まで引き寄せ、しっかり腹に収めてから、ゴードンはようやっと一息をついた。
いくら太っているとはいえ、あれだけの食べ物をよく入れられるものだ……と、ルースは感心してしまった。
「お、お姉ちゃん」
「なあに?」
ジョナサンが腕を引っ張ってきたので、ルースは眉をひそめて弟の方を向いた。心なしか怯えた表情だ。
「まあ、また気分が悪くなったの? ――ごめんなさい。もう一度、寝室を貸してもらっても良いかしら」
ジョナサンが何か言いたいのだと察したルースは、ゴードンに低姿勢で頼んだ。
「おう、構わないよ。メイドに案内させよう」
ゴードンがあっさり承諾してメイドに顎で示すのを見て、ルースとジョナサンは慌てて立ち上がる。
そこでルースは、ゴードンの左腕に輝く金ぴかの腕輪に目を留めた。
(あんなの、着けてたっけ?)
確かに腕輪は着けていたが、あれほど肉厚ではなかったはずだ。途中で着け代えたのだろうかといぶかしみつつも、ルースはメイドの背を追った。
ジョナサンの告白には、驚愕せざるを得なかった。
「――腕輪が、食べ物を食べるのを見たですって?」
「う、うん……。蛇みたいな頭がにゅーって手元に伸びて、むしゃむしゃ食べてたんだ。お姉ちゃん、必死で見ないようにしてたから、気づいてなかったと思うけど……」
にわかには信じ難い話だ。しかし、ジョナサンがこういうときに嘘を言う子ではないことは、ルースが一番よく知っていた。
「じゃあフェリックスが忍びこむのって、無意味よね。本人が普段も着けてるんじゃ……。ジョナサン、ここで待ってて。もう忍びこんでるはずだから、フェリックスを捜してくる」
「お姉ちゃん、危ないよ」
「大丈夫。いざとなったら、迷ったふりをするわ。良い子にしてるのよ」
ルースはジョナサンの頭を撫でたあと、扉を開いて誰もいないことを確認してから、廊下に出た。音を立てないようにして、扉を締める。
ルースは、だだっ広い廊下に出て心細さを感じたが、すぐにキッと唇を噛み締めて二階へと続く階段を上がった。
長い廊下に、いくつも小部屋があるが……一つだけ、金ぴかのドアノブを付けた扉があった。
(きっとあれが、宝物がある部屋だわ。フェリックスは、あそこかもしれない)
ルースが足音を殺してその扉に近づいたとき、手前の扉が少し開いて腕が伸びた。ルースが気づいたときには既に、その手に口をふさがれ、もう片方の腕で部屋の中まで引きずり込まれていた。
叫びたくても叫べず、ルースがじたばたし始めたときには扉が閉じられて闇に閉ざされてしまった。
焦り、ルースは手に噛みつこうとしたが――
「ルース、騒がないでくれよ」
聞き馴染んだ声がしたので、一気に力が抜ける。そっと手が放されたので、ルースは後ろを振り返った。
「フェリックス?」
「――どうしてここにいるんだ?」
「あんたこそ」
「俺は、宝物がありそうな部屋に鍵がかかってたから、鍵を探して、この部屋を漁ってたんだ」
フェリックスは簡潔に説明を述べた。「で、ルースは?」と目だけで問われる。
「ああ、そうだ。あたし、あんたに知らせなくちゃいけないと思って、捜してたのよ。あのね、ゴードンと一緒に食事したんだけど……そのときに、ジョナサンが見たって言うのよ」
「見たって?」
「ゴードンの腕輪が、料理を食べてたらしいの。蛇みたいなのが、にゅって出てばくっと……」
それを聞いてフェリックスは顔をしかめた。
「そうか。普段、持ち歩いているんだな。それにしては、気配が薄かったんだが……」
「そのことなんだけど。あれ、どうも変形してるみたいよ」
ルースは食事の後に腕輪が太くなった話をすると、フェリックスは「ははあ」と頷いた。
「なるほどね。そりゃあ“暴食”の腕輪だな。たらふく食わせておけば、腕輪は願いを叶え続けてくれるのさ」
「そんなものがあるの……?」
「話を聞いたことはあった。腕輪が太くなったとき、力が強くなるんだろう」
「あたしは、ジョナサンを連れて早くお暇するわ」
「ああ、気をつけてな」
「あたしは大丈夫。あんたこそ」
一応ルースはゴードンによって家に入ることを許可されている身なので、フェリックスよりはずっと安全なはずだった。
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